八話・4
走って血圧が上がっているせいか、いつも被っている優等生の仮面が半分外れて好戦的な目の色になっている朱音はじろりとオレリアを睨み、
「朝早くから寮を駆け出るグランヴィルさんの姿を見て、もしかしてと思っていたら……本当にこんな展開に!」
「フフッ、当然ですわ。
いくら勝利者権限があろうとも、先約を断らせるなんて不埒な真似はしたくありませんもの。
ならは誰よりも早く約定を取り付ける、これに尽きますわ!」
「……朝一でそれだけ直っ当に思考と運動が出来て何よりですね。
羨ましく思います」
珍しく嫌味じゃなくて本音がでた。
春輝の記憶違いでなければ、小学生の時から朱音の奴は早起きが苦手だったはずだ。
たぶん低血圧なんだろうけど、それを根性だけでねじ伏せて遅刻無しの皆勤賞とかやるもんだから、もうとんでもない負けん気の強さだ。
本気で敵に回したくない。
しかし現在敵の位置にいるオレリアは優勝を確信した笑みのまま、
「藤條さんがこの庶民を気に入っていて手元に置いておこうとするのであれば、必ずカードを渡しに来ると思いましたわ。
それを阻むだけでもそれなりの収穫ですけれど……いつまで経っても態度を改めないこの男に教育を施して差し上げる良い機会でもありますわ。
そろそろ身の程というものをキッチリ躾けないと、誇り高きグランヴィル家の格が軽んじられてしまいますもの」
「そうですか。
ならばグランヴィルさんは、春輝くんと仲良く過ごしてくたさいね」
意味不明なことを言うドリルに、同じく訳分からん事を言いながら微笑む腹黒。
この構図が意味するものは分からない……が、春輝は生唾を飲み込んだ。
根拠は無いけど……何故だか自分が一手に負積を請け負うことになりそうな確信があるのはなんだろーか。
無駄に緊迫した空気の中、朱音は優等生の仮面を被り直して淑やかに歩き……倉木のすぐ側で止まった。
そして怪訝そうに見上げる倉木に、一枚のカードを差し出した。
それが何なのか春輝からは良く見えないけど、この流れなら確認するまでもない。
「とりあえず、倉木くん。
受け取って貰えます?」
「……受け取るだけならいい、が……」
珍しく歯切れの悪い調子で倉木はカードを受け取るが、気持ちは分かる。
いきなり舞台の上に引っ張り上げられてマイペースでいられるのはかなりおかしな人だ。
そしておかしな人であると同時にこの空気を作り出している張本人の一人である幼馴染みのお嬢様は、食事の音が消えた食堂によく響く声で、
「過去二回の試験と今回の試験はいくつかの違いがあるんです。
試験日が夏休みに入ってから、というのも大きな理由かもしれませんね」
「……違いって、おい。
何も聞いてないんだけどよ?」
春輝は当然の抗議をするも、オレリアは腕を組んだままそっぽを向いて反応しない。
今更だけど、こいつは本当にコミュニケーション能力がおかしいと思う。
説明拒否の態度を示すオレリアに頼るのは止めて朱音を見れば、こっちは周囲の目があるので優しく笑んで、
「今朝早く上育科の各部屋に届いたはずの封筒には、このパートナーカードと今回の試験内容が書かれていました。
それを従育科生徒に伝えることも禁止されていません。
参加する生徒は試験前日までに相手を務める生徒のパートナーカードを、深閑先生へ渡すことが義務付けられていますし、今日の授業の時にでも正式な説明があるんでしょうね」
「……なんかよく分からないけど、今回の試験は大事なのか?」
「ええ、ある意味。
何しろ……」
そこで一区切り入れて……朱音は言った。
「二泊三日の泊まりがけで、パートナーの家まで供をする……というものですから」
告げられた内容に、食堂は俄にざわつき始めた。
ついでに言うと、春輝はぽかんと口を半開きにして思考停止していた。
注まり?
二泊三日?
供をする?
どーしてそうなるんだ?
「それで、倉木くん?
わたしの誘い、受けて貰えますか?」
「い、いや……泊まりとなると、僕は……」
「あ、勿論即答で無くてもいいですよ?
無理強いもしませんし、駄目ならば遠慮無くそう言ってくださいね?」
混乱している春輝の前で、朱音と倉木は試験について話し合っていた。
動揺して明らかに乗り気じゃない倉木に、朱音は笑みを深めてからそっと耳元に顔を寄せ……何か囁いたように見えた。
瞬間、倉木の表情が目に見えて固まった。
朱音の奴が何を言ったのか想像がつかない春輝は首を捻るが、
「分かった。
その誘い、有り難く受けさせて貰う」
どういう心の変化か、倉木はあっさりと受諾した。
ただし、ちょっと顔色は悪くなっていたけど。
それを当然と言わんばかりに朱音は領いて、オレリアは少し面白くないように鼻を鳴らして、倉木は早くも後悔するようにため息を吐いて……
そして春輝は、現実的にこれからのことを考えていた。
オレリアの家に、行くのか?
二人で一緒に、相手方の家に行く。
試験ではあるけど、後学の為に本物のお嬢様の家と使用人達の働きを体験する、ということなんだろうけど……
それは、何というか、見方を変えると……いや、そんなことは無いんだろうけど、それでもなぁ……
もやもやと浮かんでくる可能性を否定するけど、まとわりつくようにして頭の中から消えてくれない。
小さく唸って、春輝は腕組みして考える。
これは最優先で解決しないといけない問題だと、自分の中で訴えるものがある。
なので、どこからか薔薇の花びらが吹き込んで来るのも、さくっと無視。
「ふっ……盛り上がっているようだね、諸君。
真打ちが登場する前に場を温めてくれているなんて、気が利いているじゃないか」
「羽柴くん?」
「どうしてこんな所に、こんなタイミングで現れますの?」
なんか聞き覚えのあるナルシーな声が聞こえるのも、まるっと無視。
「そんなことは決まっているだろう?
人の注目が集まる所に羽柴清司郎在り、だよ。
そんなつもりは毛頭なくとも魅惑のステージに足が向くのは、天の配剤というべきかな?」
「……」
「……」
「羽柴様……今日も素敵ですっ……!」
「本当に……ああ、今日は幸運な日だわ」
犬猿ムードだった二人がみるみる醒めていくのと、従育科の女生徒がどこに目を付けているのか嬉しそうにはしゃぐのが肌で分かるけど、全力で無視。
「ふっ……見たところ、パートナーカードが渦中のアイテムだね?
とても好都合なことに、僕も今持っているのだよ」
「と、清司郎様!
どうかそのカードはあたしにっ!」
「ああずるいっ、抜け駆け!?
羽柴さん、こんな眼鏡にではなくて私に!」
「いいえ、ここはスタイルと愛情の差でわたしに!!」
「おやおや、困ったな……僕の愛は無限だけど、カードは一枚しかないんだ。
誰が代表して僕の愛を受け取るか、選ぶのは困難だね。
せめて僕がもう一人いたら……もう一人の僕にカードを渡していたというのに!」
なんだこの頭の悪いC級喜劇は。
春輝は頭をがしがしと掻いて、横目で気まずげに佇んでいるオレリアを見て……やっぱり無いな、と改めて思う。
試験とはいえ、夏休みに家に招待して泊めるだなんて、そんなのまるで、
……好かれているみたいじゃないか。
「勘違い、だな」
自嘲気味に、春輝は自分に言い聞かせるように呟いて、それでも頭から離れない『もしかしたら』なんて都合の良い幻想に首を横に振った。




