七話・8
執事になるべく訓練しているんだしウエイター実習では椅子を引いてあげたりしているんだからここでもやるべきかもしれないけど、至近距離で微笑まれたりしたらまた妄想の翼が広がって、どれだけダメージを食らうか分かったもんじゃないので止めておく。
話をするだけでどれだけ気力を削られるか分からないので、春輝は覚悟を決めつつ沙織が椅子に腰掛ける様を、
「あっ……?」
訂正。
椅子に腰掛けようとして見事にすっ転ぶ姿を見届けた。
その拍子に昨日に続いてスカートの中が見えて、やっぱり色は……ってそれはどうでもいいか。
なんというか、見事なまでの鈍臭さで座り損ねて倒れる姿は、美人が台無しというか今まで感じていたフェロモン空間が瞬時に破壊されるくらいの駄目っぷりで、ようやく実感する。
この人は、間違いなく鳳凰寺の姉だ。
助けるにしても微妙すぎるので春輝が黙って見て見ぬ振りをしていると、沙織はのろのろと椅子に捕まるようにして立ち上がり、今度こそちゃんと腰掛ける。
そしてにっこりと微笑み、
「今日は椅子の調子が良くありませんね?」
こけたのを椅子のせいにした。
というか、椅子の調子ってなんだろう。
物凄く突っ込みたいけど、なんだか訳の分からない返しをされそうな気がして、春輝は黙殺を決め込む。
何も見なかったし、何も聞かなかった。
それで平和に事が済む。
とりあえず誤魔化すように笑って見せて、
「それで、話っていうのは?
鳳凰寺……っと、妹さんのことですよね?」
「ええ、その通りです。
良く分かりますね?」
「……まあ、一応」
というか、分からない方がおかしいというか。
「あなたのことは早苗さんから聞いていて……とてもお世話になっているって」
「世話というか」
むしろ迷惑かけられているだけというか……
「だからあなたにも早苗さんのことを訊きたいな、って思ったんです。
従育科の授業についていけているのか、少し心配で」
「あー……何とかなってますよ」
その代償に自分が心身を滅茶苦茶にされているというか……
「あの子、ちょっぴり慌てん坊さんですから。
きっとお母さんに似たのね」
「……そうかもしれないっすね」
……うん、もういいや。
この姉妹にはどうせ通じないんだろうし……
あまりにアレな会話内容に、春輝は曖昧な笑みを浮かべたまま、テーブルの下で強く拳を握り締める。
温々で素面じゃやってられないような話だけど、桃色ワールドに引きずり込まれるよりはずっといい。
瞬間瞬間はとても嬉しいけど、トータルで考えれば色々と辛いし。
それに、視界の奥に映っているオレリアのドリル頭が何度となくこっちを振り向いているのも気になる。
まだ次の手は思いついてないっぽいけど、あの監視するような雰囲気は何なんだ。
もしや鳳凰寺(姉)の驚異的なエロスパワーを知っていて注意を払っているんだろーか?
何だか居たたまれなくなってきた春輝は、早めにこの対話を終わらせられるようにしようと脳裏に鳳凰寺(妹)の顔を思い浮かべ、
「なんっつーか……後から編入して来た俺が言うのもアレですけど、頑張っていると思いますよ。
少なくとも、授業に真剣に取り組んでいるっていうのは評価出来るはずだと」
「ふふ……昔から真面目で、真っ直ぐにしか物事を見られないような子だったんですよ。
中学の時にあった体育祭でも、上手くハードルを飛べずに……」
「転んだとか?」
「最終的には転びましたけど、それまでは薙ぎ散らすようにして見事に破壊していました」
そう聞くと、なんだか妙に納得出来る。
ドジで天然入っている上に無駄にパワフルで、だからこそ大怪我せずに済んでいるんだと春輝は思っていた。
しかし、ハードルを薙ぎ倒すて。
どんなお嬢様時代だ、それは。
どうコメントしていいか迷った挙げ句、
「……元気なのはいいことっすよ」
そっと目を逸らして、そう言った。
半分くらいは本音だから、別に逃げた訳じゃない。
けど、姉の身としては嬉しい発言だったらしい。
沙織は白百合のような清楚な笑みを浮かべ、真っ直ぐにこちらを見て、
「良かったです。
早苗さんのことをそう言ってくれる友人がいるなら、わたしも安心して嫁ぐことが出来ますから」
「あー、あんまり安心されてもっ……て、え?」
なんかさらりと衝撃発言をされてしまった。
彼女、今凄いこと言わなかったか?
確か……担ぐ、じゃなくて、
「嫁ぐって……え?
それは、誰が?」
「勿論、わたしですよ?」
「いつ?」
「そうですね、卒業してからだと思いますよ。
でも、結納くらいは夏休みの間にしてしまうかもしれません。
何しろ、事は急を要しますので」
「?」
唐突な結婚発言に驚いていた春輝だったが、少し引っかかる部分があった。
今の言い方は、ちょっとおかしい気がする。
微笑を湛えていて、祝うべき内容を話しているはずなのに、まるで……
「結婚したいんじゃなくて、しないと駄目なのか?」
「そうですね。
それがわたしに出来る最善のことだと思いますから」
「頼む、もう少し分かりやすく答えてくれ。
結婚しないといけない理由って何なんだよ?」
難解な言い回しをする彼女に根負けしそうになりながら春輝が訊ねると、沙織は右手を自分のふくよかな胸に当てて、そっと目を閉じた。
「今、わたしの家は大変なんです。
お父様は職探しをしては失敗して、お母様はまともに家事も出来ません。
お祖父さまに至ってはちょっとボケ始めています。
率直に言って、駄目家族ですから」
「それは大変だな」
「ええ、大変なんですよ。
そしてわたし自身も、何の取り柄も無い駄目な娘で……就職は絶望的だと自負しています」
そこは堂々と自負すんなよと言いたい。
……が、春輝は空気を読んで黙ることにする。
代わりに、
「だからって、結婚なのか?」
「はい。
何も出来ない頭も悪いわたしですが、容姿だけは恵まれているみたいで……昔から求婚は絶えませんでしたから。
家が傾いた今でも、わたしを欲して下さる殿方は多くて数々のお誘いが来ているんですよ」
「まあ、そうだろうなぁ」
真っ当な男なら誰でも見惚れてしまうような、世界規模のコンテストでも優勝出来そうなくらいの美人だ。
今まで高嶺の花で手が出なかった奴も、ここぞとばかりに勝負に出たんだろう。
春輝だって、ほんのちょっと前までヤバかった。
呆れや混乱で感覚が麻痺しかけている間に多少慣れたものの、見つめられるとやっぱり鼓動が速まってしまう。




