七話・7
追試のあった翌日からテスト休みに入り、週明けまで授業は無い。
生徒も教師も休みが多いと嬉しいという共通意見がまかり通っての結果だ。
流石は金持ち校、って感じがする。
とはいえ、夏休み目前のこの時期にわざわざ帰省する生徒は少ないようで、学院内にはそこそこの数の生徒が見受けられた。
いつものことながら上品な会話に優雅な仕種で通り過ぎていく彼女等をぼんやりと見ながら、陽気のせいか人が少ないカフェテラスの一席で、春輝はアイスコーヒーを一口飲む。
「お前もそうだけど、構内を彷徨くくらい暇なら買い物にでも行けばいいのに。
……あー、俺も久しぶりにゲーセンとかカラオケとか行きたくなってきた」
「暇潰しの買い物にも限度がありますわ。
欲しい物を欲しいだけ買ってしまうのも虚しいものですわよ」
「そんなもんか?
金持ちも難儀なんだな」
「ええ、そうですわ。
ところで、ゲーセンって何ですの?
カラオケは知ってますけど」
チェック模様の盤面を凝視したままナイトの駒へと指を伸ばすオレリアの言葉に、春輝は軽いカルチャーショックを受けつつ答える。
「ゲームセンターの略、って言えば分かるだろ。
あれだ、アミューズメントパーク。
対戦が流行っている店だと盛り上がっていいぞ」
「イギリスにもありますわよ。
ですけど、大人の社交場という意味合いが強く未成年が通うような場所ではありませんわ」
「いやそれはゲームの種類がだいぶ違うだろ」
どうもパイプだか葉巻だかの煙が流れるモダンな雰囲気を思い浮かべているらしいドリルに突っ込みを入れるが、反応しない。
代わりに、ここだと言わんばかりに音を立ててナイトを移動させて、オレリアは盤面から視線を剥がしてこっちを睨む。
「これでどうですのっ!?」
「ん、ならこれで……チェック」
予め決めていた通りにビショップを動かして、春輝はオレリアの顔色を窺ってみた。
見事に絶句し、白い頬を赤く染めるドリルの様子を観察することが出来た。
自分がどれだけ不利な状況にいるかを悟ることは出来たようで、キッとこっちを睨み、
「詐欺ですわっ!
日本育ちの庶民の癖に、どうしてそんなに強いんですのっ!?」
「親父がこの手のボードゲーム好きで、毎晚付き合わされた時期があったからな。
それに、別に嘘は吐いてないぞ」
しれっと言いながら、春輝は内心でほくそ笑む。
午前中は自主トレをして過ごし、午後に入って適当に構内をぶらついていたところでセルニと遭い、いつものように絡まれた。
ただしいつもと違ったのはオレリアが勝負を挑んで来て、その内容がチェスだったいうこと。
小学生の頃父親にしごかれていたからそこそこ腕に覚えがあったので、『昔やったことがあるからやってもいいぞ』と受けて立ち、その結果が、これだ。
オレリアも別に弱くはなかったけど、性格が良く出てい裏表を読みやすいので、簡単にペースを掴むことが出来た。
この手のゲームは数手先まで読むことと相手のペースを崩すことが重要なので、その意味で相性が良かった。
これが朱音相手なら、たぶんあっさりと読み切られて負けて終わりだ。
これで決まれば四勝目だ。
罰ゲームでも決めておけば良かったと思うけど、十分に楽しめているから良しとしよう。
オレリアの物凄く悔しげな顔を見れるだけで面白いし。
今も歯軋りせんばかりにこっちを睨んでいるドリルは、握り締めた拳を微かに震わせて、
「大体、貴方っ!
仮にも執事になろうというのでしょう?!」
「そうだけど、それがどーしたよ?」
「なら少しは相手を立てるということを知っておくべきですわ!
無遠慮にずけずけと攻勢に回ってばかりで!」
「接待プレイでもしろってか?
別に手加減してやってもいいけど、イギリスの名門貴族のお嬢様がたかが日本の庶民に自力だけじゃ勝てないなんてことは……」
「そんなわけ無いですわよっ!
この私が勝てないだなんて、ありえませんわ!」
「なら別にいいだろ。
頑張って勝利をもぎ取ってみろよ、お嬢様」
そう言うと、挑発すればとてもいい反応を返してくれるオレリアは期待通り、怒りに眦を吊り上げながら閉ざした唇をわなわなと震わせた。
うん、これだけで娯楽としては十分だ。
「ほら、まだチェックメイトじゃないぞ。
逆転の手があるかもしれないんだからしっかり考えろよ」
「わ、分かってますわよ!」
オレリアは再び盤面を凝視し始めるけど、たぶん分かってない。
確かにまだチェックメイトじゃないけど、この局面から挽回するのは相当に腕がいるし、あと二手で詰みだ。
この調子だと夕方までは暇潰しが出来るかなー、と思って春輝が欠伸を噛み殺していると、
「まあ、ここにいたんですね」
聞き覚えのある声が横手からして、けれどすぐに誰かは思い浮かばずにそちらを向いて……固まった。
昨日、同じ部屋で追試を受けていた美人……もとい、鳳凰寺の姉。
今日は薄ピンク色で肩紐の無いホルターネックのキャミソールにミニスカートという、なんだか量販店で売っていそうな庶民的かつ涼しげな服装で……なのにこの人が着ると不思議と高級感があって、しかも色気は数割増しになっていた。
肌の露出なら向かいにいるオレリアも同じくらいだけど、この人を見ていると無性にドキドキして心臓に悪い。
男を惑わすフェロモンが出てるって、これは。
直視しづらいけど目を離すことも難しいという強烈な魅力に難儀しつつ、春輝は出来るだけ平静を装って鳳凰寺沙織へと頭を下げた。
すると沙織の方も軽く会釈して、それだけで体温が上昇してしまう。
駄目だ、自分が自分じゃなくなったみたいに不安定になっている。
どれだけ魔性の引力が働いているんだ、この上級生は。
続いての肩に掛かっていた髪を後ろに流す仕種に頭がやられかけて、春輝はこれ以上黙っているのは危険だと口を開き、
「っと、なんか用……ですか?」
雰囲気に呑まれて敬語で問うと、沙織はほんの少し口元を緩めて微笑む。
それだけで思考が吹っ飛びそうになるのを、春輝はギリギリで回避。
「あなたと少しお話がしたくて。
兵頭、春輝さん」
「……どうして、名前……?」
「早苗さんから聞いています。
それより……取り込み中ですか?」
言われて、そういやゲームの最中だったことを思い出す。
ついでにオレリアが自分を蛇のような目つきで睨んでいることにも気付いた。
明らかに不機嫌なその様子に……春輝は小さく頷いて、沙織へと向き直る。
「大丈夫っす。
それじゃ、向こうの席で……」
「ちょっとお待ちなさい!!」
何故か怒鳴り声を上げたのはオレリアで、どういう訳かこめかみに青筋が浮きそうなくらいご立腹だ。
その目は蛇から大鷲に変化していて異様な迫力を発散中、視線で射殺すつもりなんじゃないかってくらいこっちを睨み、
「この私とチェスの真っ最中ですのよっ!?
それを、蔑ろにっ……」
「だってお前、すぐに次の手考えつかないだろ?
その間、向こうで話をしてるってだけだ」
「すぐに、五秒で決めますわよ!」
「……いいけど、ここでミスったら絶対に挽回不可能だぞ。
最悪、次の手でチェックメイトになるからな」
「なっ……くぅ……!」
親切に助言してやると、オレリアは露骨に悔しげな表情で歯を食い縛る。
やっぱり負けるのは嫌らしい。
なので、もう一押し。
「そうだな。
そこから逆転勝ち出来たら、何でもいいから言うこと一つ聞いてやるよ」
「何ですって?」
その一言に、オレリアは露骨に食いついた。
実は『海に投げた指輪を探し出して来い』というくらい難度激高な挑戦だとも知らないで。
ある意味、こっちもチエックメイトだ。
そう思って春輝は立ち上がり、
「手が決まったら呼べよ。
気が散るだろうから、向こうの席で話するからよ」
「……死ぬほど後悔させてやりますわ……!」
呪いとしか思えないオレリアの言葉に軽く手を振って応え、春輝は沙織へ目で合図して奥の席へと移動する。
一応チェスをしていた席が視界に入るようにテーブルを選んで、さっさと椅子に座った。




