六話・13
「……何のことだ?」
「今のお前みたいに偶然の事故が原因で、婚約or死刑の二択を迫られているんだよっ。
後生だから何とかしてくれ!」
拝み倒す勢いで言うと、倉木はあからさまに不審な顔になり、
「噂を少し聞きかじったが、本当に事故だったのか?」
「……事故以外だったら相手が無神論者でも覗きの罪で捕まるっての」
「そうだとして、今何をしていた?
兵頭は服を着ているから、その……さ、最後までしてないのは分かっているが、接吻くらいしてしまったんじゃないか?」
「してない、断じてしてない!」
暗いので何となくでしかないけど赤くなっている風な倉木に、春輝は全力で否定する。
目から疑惑の色は消えきらなかったものの、倉木は「それなら」と前置いて、
「偶発的な事故の場合ならば、一年以内も契りを交わさなければ無効になるはずだ」
走者一掃の逆転打に値する情報を、さらっと口にした。
あんまり簡単に言うので、春輝はすぐにその意味を理解出来ずにぽかんと口を開けてしまった。
事故なら、無効になる?
何が?
何もかもが、か?
待て、待てよ。
会議の時、朱音はなんて言っていた?
確か『落ち着いて構えていれば大丈夫』とか言ってなかったか?
あれはつまり、その特例処置を知っていての発言だったんじゃないか?
ギギギ、と鈍い動きで首を回して主従コンビを見れば、
「まあ、バレてしまいましたよお嬢様。
元々短期決戦の予定でしたが、これにてひとまず終了ということですね」
ハーティが全く悪びれのない爽やかな表情で言う言葉に、リーシャは残念そうに頷いた。
この反応に、春輝は愕然とする。
つまり倉木の言う通りということらしい。
それなら、つまり、今までのは、
「殺される必要も婚約の必要も無かったってことじゃねえか!」
「……当たり前だろう。
一生を決める問題だぞ」
呆れた声の倉木の言うことは尤もだ。
春輝もそれが常識だと思って、そう主張した。
けど、それを価値観と宗教観の差で覆された挙げ句にこうしているんだから、悪いのは自分じゃなくて、嵌めてくれやがったヤツで……
キッ、と春輝は強くハーティを睨み付け、
「あんたなっ、最初からそう言ってくれれば」
「事故であったものの、リーシャお嬢様が婚姻を望まれた以上、侍女である私が取る対応は決まっております。
確かに尊いご意志を受けて計画を立てたのは私ですから、責められるのも仕方ありません。
ただし、反省も後悔も塵ほどもする気はありませんけれど」
しれっとそんなことを言ってくれやかる侍女に、春輝は怒りと呆れが合い混ぜになって、何も言えなくなる。
えー、あー、これはどこにどうぶつければいいんだ?
一刻も早くサンドバッグか香取の馬鹿を用意して欲しい。
バテるまで全力で殴り続ければきっと少しはマシになるだろうから。
春輝が頭を掻きむしりたい衝動に駆られていると、リーシャがそっと傍らの侍女に耳打ちをした。
すぐに主人の言葉を受けたハーティがこちらを向き直り、
「『騙すような真似をしてごめんなさい』、
とお嬢様が仰っています。
だからといっていい気になるのは止して下さいね?」
「……いや侍女のあんたの一言で色々とぶち壊しなんだが」
「侍女にだって感情はありますもの。
なんですかお嬢様?」
再び主に耳打ちされて聞きに入るハーティに対し、春輝は怒ればいいのか嘆けばいいのか分からなくなる。
本当に、どこまでマイペースなんだよこの主従は。
複雑すぎるこっちの心情なんてまるで気にしていないようにリーシャは耳打ちを終えて、ハーティはこちらを向き、
「お嬢様からお言葉ですが、
『春輝様は事故と仰いましたが、私はこれを運命と思いました。春輝様と結ばれたい』
とも」
「いや……その気持ちは少し嬉しいけど、だからってな……」
「『春輝様の意思を無視する形で強引に事を進めようとしたことは謝罪します。
ですがこれからも、少なくとも猶予期間である一年間は諦めません。
ただ、次からはもう少し慎みを持って、好かれる努力に気を回そうと思います』」
「……やっぱ恥ずかしかったのか」
確認も込めて春輝がそう言うと、何故か鷹揚にハーティが頷いた。
「リーシャお嬢様は貴人であり淑女であられますから、当然です」
「なのにあんた、こんなことさせたのか?」
「個人的にはさせたくありませんでしたよ、それはもう当然ですよ。
ですがお嬢様の意志を汲むのが侍女の務め、我が儘で手段を選ぶような真似は致しません」
「いや選べよ手段!
アーフラム教は知らないけど、イスラム教徒の女性ってもっと慎み深いというか奥手というか、少なくとも寝技でどうこうさせるもんじゃないだろ?!」
「そうですけど、
『肌を覆い隠し殿方の影も踏まない従順で敬虔な女性が閨では積極的』
というのが燃えるのではありませんか?
参考にした少女漫画雑誌の特集ではそのように書いてありましたが」
いやなんだそのいかがわしい特集は。
それは本当に少女漫画に書かれているのか?
そしてアンケート対象はどこの誰だ。
「それではお嬢様、今宵はこれで引き下がることに致しましょうね。
隣室に着替えを用意しておりますので、参りましょう」
春輝が深刻なダメージを受けていると、ハーティはさっさと退く準備を始めどこからか出したスカーフで主人の顔を隠した。
「おい、ここの電気は?」
「撤退完了次第復旧致します。
窓の修理手配と床の掃除もこちらで手配しておきますので、ご安心を」
倉木とハーティの事務的な会話も終わるが、春輝はまだ立ち直れない。
……というか、倉木の奴はダメージないのか。
あいつは理不尽な負い目を感じなかったということなんだろうか。
だとしたら本気で自分がえろえろしい人みたいで、余計落ち込めた。
ため息を吐いて、春輝は部屋から出て行こうとする二人の背を見送る。
たった半日で滅茶苦茶疲れる羽目になった原因がいなくなるのをちゃんと見届けようと思っての行為だが……不意に、リーシャが足を止めて振り返った。
「……お嬢様?」
すぐにそれに気が付いたハーティの言葉にも反応せず、何故か春輝の方へと近付いて来る。
意図が読めないその行動に、春輝は訝しく思いながらも自分に接近する上級生の姿をただ見つめていた。
今更第二ラウンドをおっ始めようって気はないだろうし、かといって忘れ物があるはずもないし、何が目的なのかさっぱり分からないから反応にも困る。
なので黙って突っ立っていると、リーシャは薄暗い中でもハッキリと繊細な顔立ちが分かるくらい間近な所でようやく足を止めた。
そしてそのまま、こちらへと両腕を伸ばして……
ゆっくりと、自然すぎて反応が出来ない動作で抱き付き、首に腕を絡ませてきた。
滑らかで吸い込まれるように柔らかい肌の感触と軽すぎる体重が預けられたことで、 ようやく自分が何をされているかに気付いて、春輝は慌てて抗議の声を、
「貴方様の寵愛を受けられる日が来ることを、祈っています」
耳元で囁かれた言葉に、出るはずだった声は見事に消え失せてしまった。
今の、声はリーシャ、だよな?
か細くて消え入りそうな、それなのに脳髄まで染み渡るような心地良さがあって、驚いているはずなのに何故か安堵しているような感じもあって、まともな思考も出来なくなつて……
春輝が我に返った時、既にリーシャの体は自分から離れていて、侍女のいる廊下の向こうへと向かっていた。
突拍子のない行動をやるだけやって満足したらしい。
呆然と見送る視線に気が付いたのか、途中で振り向いたリーシャはたおやかな微笑を浮かべて一礼し、何も言わずに去って行く。
程なくして、ドアが閉まるガチャッという音がして……春輝は肺腑を絞るように大きく息を吐いた。




