六話・12
「倉木っ!」
「……くっ」
ありったけの願いをこめて名を呼ぶと、まだ躊躇うようにその場から動かずにいた倉木が呻き……
そして、それまでの躊躇が嘘のような迅速な歩みでリーシャへと近づき、その手を掴んだ。
「ちょっと来て下さい」
「……」
有無を言わさない固い声に、リーシャはまじまじと倉木の顔を見る。
やや強張った表情の倉木は、苦渋の決断を下したように歯を食い縛っていて……その深刻さに呑まれ、春輝は一歩退いてリーシャから離れた。
どうするつもりなのかとハラハラしながら見守っていると、じっと倉木を見ていたリーシャが小さく頷いた。
それを受けた倉木は彼女の手を引いたまま、部屋の出口側へと移動する。
ただ、そっちにはハーティがいる。
成り行きを見守っていた彼女だけど、この不穏な空気に黙っていると春輝には思えない。
案の定、ハーティは刺すような目つきで口を開き、
「……あなたも一緒に来てくれ」
何かを言う前に、倉木がそう先制した。
一瞬、怪訝そうに眉を顰めたハーティだが、特に口を挟むことなく頷いた。
そして倉木は主従二人を連れて洗面所へと入って行く。
何をするつもりなのかさっぱり見当の付かない春輝は、取り残されていることを急に不安に感じて、
「なあ、俺はどうすんだ?」
見えなくなりそうな背中に訊ねると、倉木はひょこっと顔を出して、
「そこにいろ。
いいか、絶対に入って来るな。
覗いたりしたら、命の保障はしない」
「了解」
虎でも怯みそうな苛烈な視線に、春輝は無駄口を挟まず頷いた。
数秒の間、倉木は視線で射殺すつもりなのかってくらい睨み続け……それからようやく顔を引っ込め、洗面所のドアを閉めた。
一人、ぽつんと部屋に遺された春輝は、大きく息を吐いてベッドに座り込む。
事態は自分の手を離れたけど、たぶんすぐに舞い戻ってくる。
その時に今より好転しているかどうかは倉木次第だ。
あいつだけが頼りで、自分が今出来るのは祈るだけ。
とてもとても情けないけど、お願いだからなんとかして欲しい。
結婚も嫌だけど、スプラッタはもっと嫌だ。
それにしても……と、顔だけ動かして洗面所の方を見る。
閉じられたあの中で、倉木はどんな説得をしているのか。
言って聞くような相手じゃないけど、どうするつもりなんだ?
力尽くで……っていうのも、ハーティがいる以上厳しいはずだ。
倉木も凄いけど、あの侍女も負けてない。
一体どうなるんだろうと考えながら、気まずい時間が過ぎていき……
もう五分は経ったんじゃないかと思った時、カチャリと洗面所のドアが開いた。
そこからまず倉木が出て来て、次いでハーティが、最後にリーシャが顔を出す。
ちなみにリーシャは洗面所にあったバスタオルをマントのように羽織って体を隠していて……これはこれで色っぽい。
こんな時に抱く感想としては間違っているのかもしれないけど、ちょっとくらい明るくなれる材料を脳が求めているらしい。
……たぶん。
それはともかくとして、どうなったのか結果を聞こうと春輝は立ち上がる。
何故だか気まずそうに視線を逸らしていた倉木はそれを気配で察したらしく、こっちが口を開く前に、ぽつりと言った。
「……問題は解決した。
カティア先輩は自決を取り止めてくれるそうだ」
「おおっ、マジか!?」
ちょっと信じられないニュースに、リーシャ達に確認しようとそちらを見れば、二人してこくりと頷いた。
どうやら本当に説得に応じてくれたらしい。
これは凄い、何を言っても無駄って感じの頑なな態度だったのに、何をどうすればこうもあっさりまとまったのか。
「なあ、どんな手を使ったんだ?
コツとかあるなら教えろよ」
「……うるさい、黙ってろ。
問題解決したんだから、それでいいだろう」
「いやでも、」
「黙れと言っているんだ」
食い下がったところに、至近距離で例の猛獣もごめんな睨みを効かせられて、春輝は黙らざるを得なくなった。
物凄く気になるけど、仕方ない。
確かに倉木の言う通り問題は解決したんだから、それで良しとするしか……
「……いや待て、肝心な問題が残ったままだ」
うっかり忘れるところだったのを、春輝はギリギリで思い出した。
まだ、結婚だの婚約だのという問題が、ちっとも解決されていない状態で残っている。
そうだ、忘れてた。
……というか、無茶で派手なことになりすぎで、脳がいっぱいいっぱいになっていたから、放置していた。
明日以降に持ち越そうと思っていたけど、ここに有能な人村がいる。
実績も十分だ。
春輝はすぐ傍に立つ倉木の肩を……叩こうとして、止めた。
この一ヶ月で、倉木が他人に触れられるのを極端に嫌う性質なのを何となく理解している。
ただ、その挙動で向こうの目がこちらへと向いたので、結果的に目的は達せられた。
春輝は訝しげに眉を顰める倉木に小さな声で、
「事のついでだ、協力してくれ。
根本的なところから解決しないと安心して眠ることが出来ないと今分かった」




