六話・9
ハーティの言う『用意した場所』というのは、元々あった東屋を白っぽい布で囲って綺麗にセットしたものだった。
中の簡素な木のテーブルを挟む形で春輝は奥の椅子に座り、リーシャは向かいに。
ハーティはというと、一度は中に入ったものの、リーシャに何やら説得されたらしく今は幕の外にいる。
影すら見えないのに『お嬢様に何か失礼なことがあれば首切りますよ』と言わんばかりの強烈なプレッシャーがあって……物凄く落ち着かない。
ただし、落ち着かないのはマーダー侍女の殺気のせいだけじゃない。
向かいに座るリーシャが、静かにじっとこっちを見つめているのも原因の一つだ。
露出しているのは目の周りだけだし口を利くことも憚られる厳しい戒律があるんだから、見るだけしか出来ないんだろうけど……それでも凄い緊張するよ。
ただ見られるだけっていうのは、ちょっと困る。
何が言いたいのかなんて分かんないし、宝石だってそこまでは綺麗じゃないだろうってくらい澄んだ茶褐色の瞳を向けられるとそれだけで気が騒いで落ち着かない。
どうしたもんかと春輝が悩んでいると、リーシャはおもむろにローブ状になっているチャドルの下に手を突っ込んだ。
布の胸の辺りがもぞもぞと動いてこれは意外に駄目な光景だ。
なんか教育上良くない想像をしてしまう。
見えないっていうのは、こんなにも青少年の敏感な心を刺激するものだったのか。
新発見だ。
そんな馬鹿なことを考えている間にチャドルから手は引き抜かれて、見れば手の中にはメモ帳とペンが握られていた。
なるほどと春輝は納得し……かけたところで肝心なことに気が付いた。
「日本語、書けるのか?」
訊ねてみると、リーシャは無言のままメモ帳を開いてテーブルに置き、そこにさらさらとペンを走らせてこっちから見えるように手をどける。
そこに綺麗な字で『大丈夫です』と書かれていたので、春輝は思わず感心してしまった。
「……凄いな、ひらがなも漢字も外国の人には覚えるのが大変だって話なのに」
『日本に来てもう四年経ちます。
それに、頑張りました』
目尻を柔らかく下げるリーシャは少し照れているみたいだけど、ここまで見事に日本語を使いこなすには相当な努力が必要なのは簡単に推測出来る。
きっと喋ることが出来ない分、読み書きの習得に多くの時間を割いたんだろうけど……それにしても驚いた。
でもそのおかげてコミュニケーションは取れるわけだ。
結婚話を無かったことにするためにも、意志の疎通が出来るっていうのはかなり助かる。
これはチャンスだ。
あの侍女に邪魔されずに説得が出来る、恐らくは数少ない大チャンス。
よし、と気合いを入れ直して、春輝は真っ直ぐに自分を見つめるリーシャへと語りかけた。
「なあ、リーシャさん」
『どうぞ、リーシャとお呼び下さい』
「じゃ、じゃあ……リーシャ、俺は昼にも言った通りまだ結婚はしたくないんだ。
これが戒律の問題っていうのは分かったけど、リーシャだって好きでも無い男と結婚したくないだろ?」
『いいえ、私は春輝様との結婚に異論などありません』
あっさりと、目論見から思いっきり外れてしまう返答がきた。
あっれー、おかしいな?
想像だと、ここで『仕方ないですから』みたいな返事が来るから、上手いこと丸め込むつもりだったのに……お、おかしいな……?
いきなりノープランになってしまい、春輝は焦りながら、
「え、な、何でだ?
何で嫌じゃない?」
『神様の思し召しです。
喜びこそすれ、嫌がる理由などありません』
「……ぉぅ」
真っ正面から宗教的な答えを聞かされ、春輝は二の句が継げなくなる。
んなこと言われて、どう反論すりゃあいいんだよ。
こっちは宗教知識なんて無いし、そもそも信仰心ゼロな人間だから相手の気持ちも理解出来ないし。
……これは、参った。
ハーティが居なければ楽かと思ったら、この人凄い頑なで対処がとても難しいよ。
春輝がどうすりゃいいんだと頭を抱えたくなっていると、さらさらとメモ帳にペン先が走るのが見えた。
なんだろうと書かれた文字を追って春輝は、いよいよ混乱する。
『個人的にも、私は春輝様の事を好ましく思っています』
今日の昼まで接点なんて一つも無かった。
しかもラベールブロンシュで流れている自分の噂にいいものなんて一つもない。
むしろメタクソに言われているはずだ。
なのに好意的だなんて……おかしい。
どう考えても納得出来ない。
もう少し面がマシなら甘んじて受け入れるけど、爽やかさ零パーセントで目つきもヤバい自分がこの短期間で好かれる理由なんてどこにも無いはずだって、言ってて自分で凄いダメージ受けるな、これ。
ともあれ、疑問が晴れないので解答を見ようと、春輝はややテーブルに身を乗り出して……固まった。
『……瞳に前進を恐れない、強い意志の光が見えます。
とても綺麗です』
「……」
『……凜々しいです。
素晴らしいと思います』
「……アノ、 モウイイデス……」
『……とても勇敢だと、』
「いやもうその辺で勘弁してくれませんかお願いだからっ!」
恥ずかしさが爆発して思いっきり叫んで、春輝は、テーブルに突っ伏した。
モウ駄目ダ、強すぎる。
純真かつ天然な宗教娘がここまで手強いだなんて、思ってもみなかった。
悪意なんて一欠片もなくて、言葉も丁寧でこっちへの敬意さえ感じられるのに……それがとんでもなく心を抉るよ。
唸りたい衝動を堪えて、春輝はどう説得すりゃあいいんだと頭を悩ませて……
「……あ?」
テーブルの上に投げ出していた手を、そっと柔らかな感触が包み込んだ。
予期せぬ温かさに春輝は思わず顔を上げ……見なきゃ良かったと、大後悔。
自分の右手を、大事な物でも隠すようにリーシャが両手で覆っている。
オーケー、それは何となく感触で分かっていた。
問題は、僅かに覗いているリーシャの目。
あれ、既のちょっとだけど潤んでいるように見えるのは、気のせいじゃないよな?
なんだよあの思慕か敬愛だか分からない好意の目は?
そんな、そんな好感度上げるようなことは何もして無いのに、どーしてあんな目をなされているのでしょうね?
そんな目でじっと見つめられると……そりゃあやっぱり生身の少年なんでから、当然湧き上がってくる衝動が、
「失礼しますお嬢様、お飲み物をお持ち致しました……って、どうしてすっ転んでいるのですか旦那様或いは汚豚様?」
「な、なんでもない……」
慌てて手を振り払って無様にこけたままでそう応える。
何も悪いことをしていないし、むしろ被害者というか別に動揺することなかった身のはずなのに、ほんのちょっとでも心に芽生えた感情のせいでダイビングだ。
……あぶな……あのままだとうっかりときめいて不利なことになりかねなかった……
チャンスのはずが攻略難度の高さを改めて知る羽目になった春輝は、よろよろと情けない動作で椅子に座り直して……深く、ため息を吐いた。
敵は、本気で手強かった。




