六話・8
「彼女、というのは効果無しだと思いますよ。
一夫多妻制が認められているお国柄ですし」
「む……そうか」
「今回のケースは、イスラム教圏内でならば問答無用で二択を強いられる羽目になったのでしょうけど、ここはラベールブロンシュですから。
アーフラム教の戒律を守らねばならないのはカティアさんで、春輝くんに罰を与えることまでは出来ないと思いますよ?
それを盾に、いざとなったら裁判に持ち込めば勝てるでしょうし」
「おお……」
思わず歓喜の声を上げて、春輝はようやくで見えた光明に目を輝かせる。
流行だ、ミス腹黒。
いきなり裁判なんて法的な話を出してくるなんて、普通のお嬢様には真似できない芸当だよ。
この調子で意見してくれるなら、かなり期待が……
「ああでも、結局はハーティさんの信仰心と力業の前ではねじ曲げられてしまいそうですね?
ほら、『時に絶対の権力ですら子供じみた暴力に屈する』って言いますし」
笑顔のまま、ミス腹黒はそんなことを言い出した。
うん、素晴らしい。
希望で心が満ち溢れた瞬間に卓袱台返しを決めるだなんて普通出来ないよこの悪魔。
絶妙すぎるタイミングで肩透かしを食らわされて、春輝はがっくりと肩を落とした。
やっぱり朱音は諸刃の剣だ。
助けてくれる時は助けてくれるけど、気が向かないといたぶられて終了という最悪の結果になるだけだし。
ぐったりと項垂れたままで、春輝は期待の主をチェンジして、
「……先輩、なんかアイデアないか?
婚約と死を逃れられるなら贅沢は言わないから」
「……それより、どーして彼女役にななみの名前が挙がらなかったのか、凄く気になるんだけど……」
じとーと粘着質な目で見上げられて、春輝は初めてそのことに気付く。
もう丸っきり、端から頭数に入ってなかった。
「あー……だって俺、別にロリコンじゃ……」
「なっ、ななみは年上っ!
もう立派な大人の女性なの!
お酒もタバコも大丈夫だし、夜遅くにお店に入っても追い出されないし警察の人に怒られることも無いんだから!」
「いや酒もタバコも二十歳以上じゃないと駄目だから。
あと、身分証無しだと間違いなく追い返されるし補導もされるぞ」
「ううー」
悔しそうに顔を赤くして唸るななみは、もう完璧に小学生にしか見えない。
確かに年齢と知名度、さらに容姿も悪くないどころかかなりいいと思うけど、外見年齢が幼すぎだ。
この推定ロリータを彼女と言いふらすのは、人としてどうなんだろうな?
ちなみに自己判断ではかなりアウトだ。
ななみの威圧感ゼロの睨みを甘んじて受けながら、あまりの成果の無さに春輝はやや途方に慕れてしまう。
こうなると、頼りになりそうなのは……やっぱり、違う側面からの情報か。
「……なあオレリア、いい案ないか?
身分違いの結婚なんてー、みたいな納め方もあるかと思うんだが」
春輝がそう尋ねると、オレリアは小さな声で、
「……そういうことですの」
呟いて、軽く腕組みをして視線をテーブルに落とす。
状況説明を求めて来たオレリアにも会議に参加して貰ったのは、ななみや朱音とは違い生粋のお嬢様だから、この手の話の実例を知っていそうだと思つたからだ。
どうやらその考えに間違いは無かったようで、春輝はひとまずホッと安堵の息を吐いた。
黙って様子を見守っていると、珍しく朱音も静かにオレリアを注視して、ななみは緊張気味に居住まいを正す。
地面で呻いている香取はさっさと帰って欲しい。
むしろ土に還って欲しい。
十数秒の沈黙の後、オレリアは蒼い目を春輝へと向けた。
「確かに、メイドやフットマンとの間に不義を働いた貴族の話はいつの時代にも存在しますし、あろうことか婚姻関係にまで発展するケースもありますわ。
大抵は暗黙の了解で外に囲うパターンになるものですが、稀に後妻に納まることもあるようですわね。
その場合、社交界では格好の笑いの種や蔑みの対象になりますので、好ましくないスキャンダルと言えますわね」
「おお……!」
よし、と春輝は小さくガッツポーズを取って、オレリアに詳しい内容を訊こうとして、
「ですけど、宗教国家と言われる程に宗教が浸透している地域の場合、家の名誉を守る為に戒律を破るような真似をすれば、それこそ家名は地に墜ちますわ。
中東ならば、どれだけ苦い思いを胸に秘めようとも、反対する親族など一人として出ませんわよ」
「……おおぅ」
訊く前に、向こうから潰しがかかった。
朱音みたいにわざとじゃないんだろうけど、ダメージは変わらない。
……いやむしろ不意打ちだったからより深い傷になったかも。
それでも、
「何か、何かないのか?
一発逆転なんかじゃなくていいから、次に繋げられそうな一打でいいから……!」
精神的には三ラウンドで五回ダウンしたボクサーくらいボロボロになって、それでも春輝は諦めずにそう言った。
そうだ、諦めてたまるか。
諦めたらそこでデッドオアエンゲージ確定だ。
どっちもまだまだ早すぎる。
「くっ……第二の人生をスタートするっもりでラベールブロンシュに来たっていうのに……!」
「おおっ、そしたらホンマに第二の人生っちゅーか人生の転換期になったっちゅうわけか!
あはははは、やるなぁハルハル!
半端なくおもろいでぼぐぇっ?!」
倒れていたのにわざわざ復活してつまらないことをほざいてくれた香取を瞬時に肘と膝を活用して黙らせると、どこかのほほんとした朱音の声が聞こえてきた。
「そんなに慌てなくても、落ち着いて構えていれば大丈夫ですよ」
「……根拠は?」
「特にありませんよ?」
自信たっぷりに突き放されて、どこか遠くに行きたいなぁ……と現実逃避気味に春輝は大きくため息を吐いて、
……不意に、何故だか周囲にいた生徒達の雰囲気が一変したような気がした。
春輝は眉を顰め、なんだろうと訝しく思って辺りを見回そうとして、
「こちらに居ましたか、旦那様」
聞きたくない声が、言われたくない名称でもって背後から投げかけられた。
瞬時に振り向けば、そこにはやっぱり黒衣の侍女と、彼女を従えるように前に立っている全身をチャドルで隠した上級生。
道理で静まり返る訳だ。
ただでさえ人目に触れることを控える彼女達が、今一番の話題の中心なんだから。
春輝は二人の醸し出す独特な雰囲気に吞まれないよう気を引き締めて、とりあえず一発返す。
「誰が旦那様なんだよ。
あの話は絶賛保留中だろうが」
「お嬢様の意向なのです、仕方ありません諦めて下さいませ。
私も浜辺に打ち上げられた藻屑以下のゴミ野郎としか思えない相手を旦那様と呼ぶのは不本意極まりないというのにお嬢様の為と涙を呑んでいるのですから、聞き分け下さい」
……あれ?
ちょっと抗議しただけなのに、どうしてここまで暴言吐かれないといけないんだろうな?
地味に心が痛いんですけど?
しかもそんな相手と大事なお嬢様を結婚させようって、正気かこいつ?
いや藻屑以下でもゴミ野郎でも無いけどな!
「まあそんなことはどうでもいいのです、肝心なのはお嬢様の尊い意思です」
「……どうでもよくないけど、何なんだよ?」
「リーシャお嬢様は放課後の一時を大鋸屑野郎……ではありませんでした、旦那様と共に過ごしたいと仰っております、ですからご同行下さいませ。
ここは人が多すぎますし、 あちらに場所を用意致しました」
「……、分かった」
色々と言いたい言葉を吞み込んで、春輝は立ち上がった。
ごねてやりたいという反骨精神もちょっとはあるけど、何を言ってもカウンターを食らうのが目に見えているし、実際にやられたばかりだし。
下手に騒いでさらに傷を深くするのは自虐的すぎるし、大人の態度でいった方が得策だ、うん。
……なんか自分を騙すことさえ出来ないヘタレた言い訳が物凄く心に染みるけど、今は捨て置こう。
婚約に比べればいくらでも後回しに出来る問題だ。
出来れば負け犬根性は染みついて欲しくないなあ……と思いつつ、春輝は今まで居たテーブを振り返り、
「それじゃ、ちょっと行ってくる。
まだ作戦会議し足りないから、出来れば残っていてくれ」
ちょっっと一方的だけどそう告げて、ハーティの視線に促されるようにして二人の方へと向かう。
周囲の視線を背中に受けてとんでもなく居心地の悪い思いをしながら、春輝はカフェテラスを後にした。




