エリュース・ディネラ:わたしの夢、あなたの夢
エリュースはその拳を、〈鬼神奮迅〉を発動している悠果の頭へまっすぐと伸ばした。
完全に不意打ちであったからか、悠果は抵抗をすることなく拳の直撃を受けた。
体に浮かぶ赤い紋様は、彼女の力が発揮されていることを示している。
これでもまだ、半分程度の出力だ。さきほど暴れまわっていたときなど、八割以上解放していたのだから、それに比べれば軽いもの。
悠果は不意打ちに加えて、頭部に一撃を喰らったから、昏倒していた。自然と能力も解除される。
かつて悠果と喧嘩したときも、同じようにして彼女を止めたことがあった。その経験が活かされたのである。
「お兄さん、悠果を!」
「あ、ああ! ありがとう!」
そう言って遊仁は悠果に駆け寄る。能力を使うと服が弾けてしまうから、その身に自分の上着をかけて抱きかかえていた。
それを見届けて、エリュースは占い師と女子大生の方へ向いた。
女子大生はエリュースを見ると、ニヤリと笑う。
「遅いっすよ。でも、想定外っすね。風紀委員でもやってくると思ったんすが」
「ごめんなさい。私が代理、ということにさせてもらいます」
それに、その人には借りもあることですし。
エリュースはそう言って、占い師へ迫っていく。
悠果の〈鬼神奮迅〉など、生易しいと思えるほどの速さであった。
伊達に次期〈七聖曜輝〉の筆頭と言われているわけではない。ここにいる誰もを圧倒するだけの力と技量を、彼女は備えている。
蝶ノ芽の引力・斥力操作の力で足止めを受けていた占い師は、手に持っていたナイフを向ける暇もなく倒される。
だが、気を失ってはいなかった。ただ倒されただけである。
占い師は瞠目していた。その目はエリュースの顔をじっと見ている。
襟を掴んだエリュースは、その目を見返した。
「……あなたの能力は、一人につき一度のみにしか使えないのですね」
「どうして、どうしてここにいる!? 私の〈蕩ける毒夢〉は完全に発動したはずだ! 死ぬまでその力は止まらないはずなのに!」
「死ぬまで……ですか」
だとすれば、自分があの騎士にされたことは、よほど恐ろしいことであったにちがいない。
「そのことを知っているか、知らないでやったのか、わかりませんが。ともあれ私はこのように生きています」
「一体……一体どういうこと!?」
わけがわからない、と占い師は首を振る。
理解する必要はない。エリュースとて、状況を完全に理解しているとは言い難いのだから。
ふふ、と占い師は笑った。観念の笑みだろうか。狂ったのだろうか。
「復讐しにきたのですか? それがあなたの悲願であり、夢ですものね」
それを利用した占い師は、その能力からわかったのだろう。エリュースがどんなことを願い、この〈方舟〉で生きているのか。
「でも、あなたにはできないでしょう。生まれつき力を持っているあなたには、どうして彼らがあなたを傷つけたのか、理解できない。あなたがいることで、息苦しくなる者もいる。世界とはそういうものなのです」
夢があった。誰にだって、夢があった。
それを叶えるのは、もしかしたら生まれつきのものではないか。
努力をする者はいるだろうと思う。泣きながら、苦しみながら、歩む者もいるかもしれない。
けれども、叶えることのできない者の方が圧倒的に多い。身の丈にあった生き方を、という風に言う者がほとんどなのだ。
人は愚かしくあるが、愚かではない。自分のできることの範囲内で収めようとする。
だからこそ、自分の手で掬えなかったものを、より大きな手で掬おうとする者を恐ろしく感じるのだ。
「確かに、そうなのかもしれません」
エリュースは言った。納得した。理解はできずとも、わかっているつもりであった。
彼らの目から見て、自分がどのように見えているのかなど。
その行為はもちろん悪であるけれども、蔑んで、貶してしまうその根源は、力の差であるのだろうとも。
正しさでそれらを止めても、心の底では納得できない。
優しさで誰かを助けようとも、助けられるのはほんのわずかである。
悪が勝ってしまう、というのは世の中の摂理なのかもしれない。
「けれどもです。そんな人を助けようとしてくれる人がいました。大切にしようとしてくれる人がいました」
力がなくとも、妹を助けるために立ち向かっていこうとする者がいた。本当ならそこにいてはいけないはずなのに、命を賭けて立ち向かっていった者がいた。
放っておいてもいいのに。切り捨ててもいいのに。
理屈ではないなにかに動かされて。
もしかするとそれは、形を変えた夢であったのかもしれない。小さくなっても、夢であったのかもしれない。
甘い夢は一度きりでいい。厳しい現実に打ちのめされて、でも諦められない小さな小さな願いが、もう一度その人を夢へと駆り立てていく。
だから、エリュース・ディネラは。
「私は、誰かの夢や願いを利用するあなたを許しません」
その言葉に、占い師の顔色が変わる。
「人それぞれなんです。夢も、願いも。それが破れることだって、あります。けれども私は信じています。人は前に進めると」
「そんな、そんなことを、いまさらお前が、いうな!」
「はい、私が言う義理はありません。ですがあなたは、言われるべき人だ」
言ったのです、これは代理であると。
「あなたの願いは、復讐は……夢を持っていた人しか、抱かないものです」
占い師の表情が固まった。ああ、そうなのだろう、と思った。
これは他ならないこの占い師の復讐なのだ。
内容はわからない。ただ、〈方舟〉の環境に敗れて、力を持っている人を恨んでしまうのは、彼女の言う道理に適っている。
だから、エリュースや悠果のような、この〈方舟〉に適応した能力を持つ者を恨み、それらを利用して暴れさせ、名誉の失墜と〈方舟〉の破壊を目論んだ。
「観念してください。みなさんを解放するのです。手遅れになる前に。……夢は、自分で見るものでしょう?」




