鬼門遊仁:メイカイな答え
遊仁の能力は極めて限定的である。
まず、時間の問題があった。満月かその前後頃の月が昇る夜でなくてはならない。月からの光量が、彼の能力の発動条件と密接に関わるものである。雲がかかっていてもだめなのだ。ビルなどの建物に遮られてもいけない。
さらに言えば、満月が昇って時間が浅くある、もしくは月が沈む直前である必要もあった。これは条件というより、遊仁が最も能力を生かせる時間である。
……つまり遊仁の能力は、一ヶ月に三日か四日ほどしか、発動することができない。いかに優秀な能力と言えども〈方舟〉の中でそれは、かなりの制約だった。戦うことはろくにできず、そもそも能力をまともに披露することもできない。
だが、彼はいま、その力に感謝している。
なにせいまが、その時であった。偶然ではないだろう。占い師の能力で、人をあえて狂わせているというのならば、満月の夜であるのは道理だ。
ルナティック、という言葉がある。月を起源にする言葉であり、意味は「狂っている人」である。満月というのは太古の昔から人を狂わせるものである。月の女神アルテミスが放つ病いの矢、それを起源を持つディアナ女神がローマ皇帝カリギュラにかけた呪い、狼男に変身するという伝承、吸血鬼が最も能力を発揮する時間。
果たしてそれほどの力かはわからないが、夢に関わる能力であると言うなら、おかしくはないだろう。
遊仁は両腕を広げた。ゲートから差し込む月の光が、遊仁の体にあたり影を作り出す。
なるべく、影は大きい方がいい。それこそが、遊仁の力の源であったから。
影から何かが出てくる。気づけば、影はただ地面を黒く染めているだけではなくなっていた。
底が見えない暗さ、である。深淵だ。覗き込んでしまえば最後、取り込まれてしまうのではないかと思うほどに。
「さあ、来い……地獄の番犬!」
そう言うと、現れたのは真っ黒な犬である。
いいや、犬などと言っていいのか。涎を垂らし、冷気をまとうそれは、狼だ。
能力で生み出された存在なのか、どこかに本当は存在しているものを呼び出しているだけなのか、わからない。
だが、これこそが遊仁の能力であった。
すなわち、地獄の者たちを呼び寄せる力であった。
その名は〈死を授け賜え〉である。
他にも使い方はもう一つあるが、それは禁じ手である。いまは彼の者を呼び寄せるだけだ。
影と線でつながった狼は、ガルムかケルベロスの眷属だろう。その狼は数を増やし、四匹にもなった。
「頼む、力を貸してくれ……妹を止めるんだ!」
そう指示を出すと、狼たちは一斉に悠果へと飛びかかった。
〈鬼神奮迅〉を発動した悠果は圧倒的である。遊仁が呼び出した鬼は、彼女のような力を持たない。
圧倒的な膂力に加えて、強靭な鋼の肉体、そして神通力までもを使ってみせる、日本伝承における鬼の姿をとる。オーガ、という訳を遥かに超えており、その力を知っても尚、侮っていると言えるほどの認識しか持たぬ者もいるほどだ。
だが、そんな彼女が相対するのは、冥府の者どもである。
氷の息を吹きかける狼たちによって、暴走する悠果の腕が凍らされる。関節に張り付いた氷は、彼女の動きを阻害する。忠実な狼たちは遊仁の願いをきちんと聞いていた。可能な限り傷つけずに、悠果を足止めするという役割を果たしていた。
だが、ぴしり、という音とともに悠果は氷を砕いた。薄氷では止めることはできない。そう判断したのは狼たちであった。
より強い氷の吐息を。一匹が囮となって、他の三匹が追い詰める。狼の狩りであった。
彼らの本当の力は、社会性であった。真に恐るべき能力である。
悠果は止まらなかった。氷の息を吹きかけられる前に、狼を殴りつける。弾き飛ばされた狼は倉庫の壁に叩きつけられるも、未だ健在である。その隙を狙って他の狼たちも飛びかかるが、効果はあげられない。
悠果の理性が失われた瞳は涙を流していた。
どんな夢を見ているのだろう、と思った。泣いてしまうほど悲しい夢なのだろうか。誰が彼女を悲しませているのだろうか。
友人だろうか、エリュースだろうか。だとしたら自分は、その者たちを許せるのだろうか。
それとも、泣かせているのは自分、なのだろうか。
そうであればいいと思った。
妹が恨むのは、自分でいい。妹を泣かせるのも、自分でいい。
ただ自分のために泣いているのだとしたらと思えば、胸が苦しくなった。
「出でよ、巨人の腕!」
叫べば、影から浮かび上がってくるのは巨大な腕である。ヘルヘイムに眠る、巨いなる者の腕であった。
その腕は、悠果をつかんだ。狼たちによって身動きがとれなくなった彼女は、腕から逃れることができないでいる。
「助けてやるからな、悠果!」
そう叫んだ。
妹を助けるために、ここまで来たのだ。
たまには兄らしいことをしないとね。そんな風に冗談めかして言いたかったが、そんな余裕は一切ない。
悠果が雄叫びをあげた。恐怖心をかきたてる咆哮だった。鬼の力の一つなのだろうか、それとも臆病な自分の心がそうさせているのだろうか。
狼たちは怯んだ。その隙に、悠果は巨人の手から力任せに逃れる。ぐっ、と呻いたのは遊仁であった。
ここから先は、この世そのものを危うくしてしまう。自分の制御ができる範囲でどうにかしなければ、そう思っていたが、やはり彼女を侮っていたようであった。
遊仁の力は強力であった。深景がいうに、その力を際限なく振るうことができてしまえば、この世はあの世と変わらなくなってしまうと。
だから、できる限り抑えて戦おうと思っていた。しかしそれは、悠果という妹を侮っていたと言える。彼女はいま、意識を失っている。自我は夢の中におり、夢の中の何かによって突き動かされている。それはある意味で〈鬼神奮迅〉を全力行使している、という意味であった。
奥の手を使うしかない、と思った。
だが、それよりも早く悠果が動く。
狼を一匹つかんだ。そしてそれを大きく天井へと投げつける。
狙ったのは、明かりであった。バチン、と一瞬だけ光が大きくなる。
「しまった……っ!」
月明かりによる影が光に塗りつぶされる。生まれた影は、月のものではなくなってしまう。
悠果はまだわずかに理性を残していたのだ。しかしその理性さえ、遊仁の能力を潰すことに使ってしまう。
自分の影と接続していた狼たちや巨人の腕が消滅してしまう。それこそが狙いだったのだ。
視線を一瞬、蝶ノ芽と占い師の方へと向けた。二人は膠着状態に陥っている。占い師が持ち出したナイフのせいで、蝶ノ芽は足止めするので精一杯なのだ。尤も、それこそが彼女の狙いであった。
光が晴れる。もう一度、能力を行使しようとした。
しかし、それよりも悠果が迫る方が早い。
潰される、と思った。妹に殺される。不肖の兄だ、仕方ないとも思った。半ば諦めていた。
もしここが屋外であったら、遊仁が勝っていたかもしれない。妹を取り押さえて、占い師が折れるまで耐えられたかもしれない。
だが、戦いではそんな想定は意味を為さない。もしも、などということはない。戦いとは、戦場が整えられた時点から始まっており、本来想定すべきは、そこからなのだ。
悠果の腕が迫った。巨人の腕を再度呼び出すが、彼女の動きを止めたところで、もはや無意味である。その腕は十分に、遊仁を射程にとらえていた。
やられる、と思った。殺されるのだ。ここで死ぬのだ。
だが、目は閉じない。せめて最後まで、妹を見ていようと思った。
最後に見た兄の姿が、怯えて目を閉じているみっともないものであってほしくはない。
そう思ったのは、わがままだろうか。
そのときだった。
赤い嵐が吹いたのは。




