鬼門遊仁:助けたい、という願い
鬼門遊仁は心強い味方を手に入れた、はずだ。
隣を歩く女子大生は蝶ノ芽さん、と苗字で呼ぶように言った。
むろん、そう親しくもないのにいきなり名前で呼ぶような不躾なことをするつもりはない遊仁であったが、少し意味を含んだその言葉は妙に気になった。
「蝶ノ芽さんも、妹さんを?」
「うーん、まあね」
余計なことを言うまい、という口調であった。
頭を押さえていて、体調が悪そうなそぶりをしているものの、顔色は良好である。
「複雑なの、わかって」
歯切れの悪い言葉だ。短い時間しか一緒にいないが、らしくない、と思った。
しかし追求することもはばかられるから、口をつぐんだ。
「それで、占い師なのだけれど、彼女の先駆者としての力はわかる?」
「いいえ……お会いしたことがあるのですか?」
「本当に、こういうときは鋭いのね」
まだ占い師が男か女かも明かしてないにもかかわらず、彼女などと口を滑らせたことが決め手であった。
「それで、彼女の能力なのだけれど、おそらくは幻惑を見せる系よ」
「幻惑、ですか。幻というか、そういう?」
「ええ。おそらくだけれどね。本人の口を通すまでは、推測しかできない」
けれども、その推測は限りなく正しいのだと思う。そう蝶ノ芽は言った。
「夢魔と言えばわかる?」
「わかります。サキュバスやインキュバス……夢に出てくる悪魔ですね」
いまでこそ淫魔という風に伝わり、様々なメディアで淫らな悪魔として扱われている男をかどわすサキュバス、女をかどわすインキュバスであるが、その元となった伝承では違う実態で語られる。
寝ている異性の夢に現れて、性交をする。自らの抑えきれないほどの性欲ため、とも言われいるし、単独で生殖行為ができないために男女それぞれから子を成すための素を奪っていっているのだ、とも言われた。
ルネサンス時代にかけて、彼らは多くの大衆に利用されることになる。例えば、インキュバスなどの実在性について議論される一方では、浮気、不倫、婚前交渉によって妊娠した際に、インキュバスに襲われたのだと言い訳をする女性が多くいただとか。当時の社会情勢がうかがえる話である。
一方、男子が襲われるサキュバス場合については……大声で言うのはためらわれるが、暴発の言い訳、と濁しておく。
「さすが幽弦高校の生徒さん、詳しいのね」
蝶ノ芽はそう言った。マニアックな知識であるが、褒められると嫌な気持ちもしない。
尤も、それは彼女なりの、男性を手玉に乗せる技術であるのだが、言わぬが花である。
「それで、その夢魔とどういう関係が?」
「占い師の能力は、まるでそれだと思うの。都合の良い夢を見せて、人を意のままに操る。その狙いはわからないけれどもね」
蝶ノ芽はそう予想をしめくくった。
夢を使って、人を操る能力。それは、この〈方舟〉ではどれほど有効な技能なのだろうか。
例えば、意のままに人を操って、誰かと戦わせる。そうして稼いだSPを、今度は自分と戦闘させて奪い取る。
だが、それは恐ろしく手間である。戦闘不能にさせず降参させても、何度も繰り返してしまえば不審に思われて捜査されることもあるだろう。
おおよそ、戦闘に関わらない能力は不遇扱いされるのが〈方舟〉であるからして、その力の使い道は普通ではなくなってしまう。
わかりやすい、というのはそういうことであった。シンプルで、応用の効くものというのは、いつだって重宝される。だが、その傍らで、有効であるにもかかわらず限られた力しか持たないために、苦渋を舐めさせられる者がいる。
それが、世界である。納得できるかは別にして。
「そういえば、さっきから緊急メールいっぱい入ってるんだけど」
VS-Driveに入っている通知を見る。第九区から早く出て行くように、と促されているのだ。
何があったか、と思うと同時に、あちこちで煙があがっているのが見えた。
悲鳴が響き、ついで怒号。
遊仁と蝶ノ芽は顔を見合わせる。
「これがあの占い師の狙い、ってわけね。あちこちで先駆者の暴走事件があったのも、このための布石なのかしら。ねえ、あなたの妹さん、能力はどんなの?」
「ええっと、鬼の力を身につける、です」
「見えてきたわね。あの占い師、扱いやすく、且つ強力な先駆者を探しているに違いないわ」
それは、占い師自身の能力が扱いにくいものであるからか。その当てつけか。
わからないが、ともあれ確かに、有用な使い方ではある。誰かを操り、自分の手を汚さずになにがしかを達成せしめる。
合法かどうかを除けば、であるが。
走って逃げ惑う生徒たち。先駆者による事件というのは、この〈方舟〉では日常茶飯事であった。
しかし、これほどの規模の事件、区画を一つ二つを巻き込んだ事件は起きたりしない。
人知れず、解決されたというのもあるかもしれないが。これほどの大騒ぎに出くわしたりしたのは初めてであるから、少しだけ興奮してしまう。
妹が当事者でなければ、自分もこの中の一人でいられただろう、と思う。
「行きましょう。あの、爆発のした方へ。あそこへエリュースさん、妹の友だちは向かったはずです」
「覚悟、できてる? 遊仁くん、あなたの能力はわからないけれど、戦闘向きじゃなさそうよ?」
「大丈夫です。妹に、妹の友だちまで巻き込まれて……それで黙ってたら、男が廃ります」
男だ、女だ、なんて古い考えだ。
でも古くから伝わる男の姿に憧れを持つのは、間違いなんかじゃないはずだ。
「ふうん……」
面白そうなものを見る目で、蝶ノ芽は遊仁を見た。
それに、と遊仁は付け加える。
「もうすぐ、僕の能力の発動条件が満たされますので」
あと少し、あと少しだけ、時間が掛かる。
それまで相手は待っていてくれはしないだろう、とも思う。
そして、自分もまた、待てないだろうとも。
二人は駆け出す。人ごみを逆らって、進んでいった




