7 出会って
【2026年9月11日(金)札幌市南区真駒内緑町団地】
"「バカなこと言わないでよ、潤!これがあたしの仕事なんだから!このハゲ!」"
……このハゲ!は削ろうかな……凛らしいんだけど。ハゲって、もしかして差別表現?大丈夫だよね……知り合いにいないからわかんないや。お父さんもフサフサだし。白髪はだいぶ増えてきたけど。
ため息をついて、ソファで横になった。
投稿サイトの編集ページを開いたままスマホを置いて、純香の寝顔を眺める。ソファとテレビの間で、スミカマットでお昼寝中。いいなあ、子どもって。こんな変なことで悩まなくていいし……。
凛って、書いてたら勝手に喋りだしちゃう。書いてる間はいいんだけど、読み返したらどこからこんなセリフ思いついたんだろうってなる。わたしが書いてるのに……なんか、わかんなくなってきちゃったな。
やっぱりダメだなあ、わたし。自分で書いたこともわかんないのに……人のこと……純くんのことなんか、もっとわかんないよ……。
エゾシカ。鹿だよね。事故のあと、純くんは鹿の話ばっかり。入院中からずっと。お仕事に復帰したら、今度は鹿係のお仕事やりたいとか言うし。冗談かと思ってたら本気だったし。役所のお仕事のこと、よくわかんないけど、人手不足でぼくなら詳しいからピッタリなんだって。
いつから?いつ鹿博士になったの?全然知らなかったんだけど。
札幌市環境局、環境共生担当課、エゾシカ対策係……そんなの、あることも知らなかった。本庁勤務ってことは出世なのかな、鹿係……。
10月から、南区役所じゃなくて大通りの市役所に通うんだって。地下鉄一本だから便利だけど。
"「バカなこと言わないでよ、潤!これがあたしの仕事なんだから!こ|____」"
……この馬鹿鹿。ばかしか。鹿バカ……鹿男あをによし……原作は——
スマホが振動した。ライン。純くんから。
『氷上される ぼくとカナコ』
……?……???
『お仕事おつかれさま!氷上ってなに?』
即既読ついたけど、返信は来ない。
これも、純くんがあれから変わったこと。ラインの誤変換が多くて意味がわからない上に、聞いても返事が来ない。帰って来るまで謎だらけ。
"「バカなこと言わないでよ、潤!これがあたしの仕事なんだから!この鹿オタク!」"
これにしとこ。
2時くらいに純香が起きて、ラルズまでお散歩と買い物いって、晩ご飯作ってたら純くん帰って来た。6時頃。
「パパー!おやこどん!」
「おかえりなさい……お疲れ様でした」
純くんは鼻をくんくんさせてから、ニッコリした。
「ヒョウショウされるよ。ぼくとカナコ」
「……表彰?……え?なんで?」
「人命救助?したからだって。よくわからない」
「……あの女の子?山下さんのこと?え……表彰……ええ……え?待って……もう決まってるの?」
「うん。課長が決めた。断るわけないよなって言ってた。みんな拍手して喜んでたし」
「そ……そう……良かった、ね?……わたしは……恥ずかしいから……純くんだけで、いいよね?」
「え?カナコもだよ。決まってるんだって」
まただ。前は、なんかしたり決めたりは全部、必ずわたしに聞いて、話し合って、わたしの気持ちを一番に考えてくれて。
「火曜日に消防署来てって」
「か、火曜日?!今度の?待って待って、ちょっと——」
「——課長が、一緒に行ってくれるって。役所の車で」
か、課長が……もう断れないやつじゃん……どうして、そんな……わたしに用事があったらどうするつもりだったの?……用事なんてないけど——
「親子丼!今日のはしょっぱくない?」
【9月12日(土)】
表彰式なんて……服がない。きちんとした服なんて喪服しかない……だから、今日は街にお買い物。3人で。
表彰式ってことは、なんか体育館みたいな広いところで、舞台に上げられて、えらい人から表彰状かなんか渡されるアレだよね?卒業式みたいにしてればいいのかな……テレビとかも来る?凛みたいな人にインタビューされたり?
『マジで本物のヒーローですね!Fantastick!今のお気持ちは?』
スペル、あってるかな……。
勝手に決められちゃってびっくりしたけど、ちょっぴり楽しくなってきた。3人でお買い物なんて久しぶりだし。デートみたい!4プラ、新しくなってから行くの初めてだし、お昼はどうしようかな?純香連れて入れる、オシャレなお店あるかな……。
なか卯だった……。
大通りで降りるつもりだったのに純くんが寝ちゃってて降りれなくて、札幌駅でやっと起きてくれて、まあいいかと思って大丸行こうとして、そしたら純くんが急に鼻くんくんさせて叫んだ。
「親子丼だ!」
「昨日食べたよね?!……やっぱり、美味しくなかった——」
「お腹空いた!カナコ、親子丼!」
「すみか、カレー!」
はぁーーー。
でも、こういうのもいいかも?後から思い出したらほのぼのできそう。
その後、大丸でいろんなお店ぶらぶらしてる間も、ずっとこんな感じだった。
前までの、なんでも相談して気を使ってくれて、嫌だと言わない優しい純くんももちろん好きだけど、こういう……引っ張ってってくれる、頼もしい……のとはちょっぴり違うかもだけど、でもでも、優しいのは変わってない。わたしが服選べないでいたら、こっちの方がいいってパッと決めてくれて。
こんな人だったかなって不思議なのは不思議。だけど、こういうの、嬉しいし楽しい。なんか少しだけウキウキしちゃって、予算オーバーしちゃったけど今日はいいかな?いいよね?3千円くらいだし——
「カナコ!この服、綺麗だよ。これにしよう!」
純くんがまた急に立ち止まって叫んだ。ショーウィンドウを指差した。
……え。プ……プラダ?!待って待って——
「お客様!とてもお似合いかと思います。よろしければ店内に——」
「……ご、ごめんなさいっ!」
プラダのお姉さんに何回も頭を下げながら、純くんの腕を引っ掴んで逃げた。
純香を抱いて、わたしに手を引かれながら、純くんは何度も振り返ってた。
「カナコ?どうしたの?あの服、すごく——」
「いや無理。あんな高い服、わたしなんか……」
「なんで?絶対似合うよ?」
……そんなこと言われたらどうすればいいの?!小走りで純くんを引っ張りながら、耳まで熱くなっちゃう——
突然、純くんがまた立ち止まった。もう……今度はなにを——
グッチのショーウィンドウ……でも、見てるのは服じゃなかった。奥の壁の飾り。
真剣な……ちょっと怖くなるくらい真剣な表情。
角。
鹿の角の飾り。
【9月15日(火)】
朝9時半。普段通り出勤した純くんが帰ってきた。区役所のミニバンで。
「奥さん!初めまして」
「は、初めまして、じゅ……主人がお世話になっとり……なって、おり、ます……」
「じゅんかちゃんだね!こんにちは」
「課長。スミカです」
純香はじーっと課長さんの顔を見てる。
10時から、わたしたちの表彰式……南消防署なら、すぐ近くだから歩いても行けるのに。課長さんがわざわざ車でお迎えなんて……なんかドアまで開けてくれて。緊張。
純くんは助手席から降りてこない。服、だいじょぶかな……死ぬほど鏡見てきたから、だいじょぶなはずだけど。純くんが選んでくれた茶色の水玉のワンピース。かわいいけど、子どもっぽくないかな……髪だって、昨日セットしてきたけど、純くんなにも言ってくれないし。
メイク、変じゃないかな……普段あんまりしないし、下手くそだし……どうしよう。すっごいドキドキしてきた。もう着いちゃう。消防署なんて、入ったことない……。
「危ないっ!」
駐車場の入り口で、急ブレーキが踏まれてガクンと止まった。シートベルトが食い込んで、鹿の角が見えた気がした。純香はチャイルドシートだから何でもなかったけど、課長さんは怒ってた。
「こらっ!気をつけろっ!」
自転車が飛び出してきたらしい。一瞬、カン高い笑い声が聴こえた。髪の長い女の子、かな?そのまま走って行っちゃった。
「まったく……ほんとにチャリは怖いわー。轢いたら人生終わりかねんし……」
制服を着た消防署の人に、署長室に案内された。偉い人たちが3人くらいいて、それからマスコミの人かな?4人くらい。テレビカメラはなかった。
ここから広いところに連れて行かれるのかな、と思ってたら、署長さんのデスクのところでいきなり始まって、すぐに終わった。スピーチもインタビューもなし。マスコミの人がスマホで撮影してたみたいだけど、それだけ。賞状と記念品を貰って、おしまい。
緊張し過ぎてた。良かったかな。
いいことして、褒められた。
純くんと2人で。
良かったんだ。
「志川。良かったなー本当に!」
「そうなんですか?」
「ん?いやそうに決まってるべや。市民の公僕たる俺たちが、仕事以外でも市民の命を救った。しかも熱中症で倒れた女子高生を……タイムリーだし話題性もあるし、こんな素晴らしいアピ……いや、献身があるかよ!」
純くんはよくわからないって顔してる。その顔を、純香が軽く叩いた。小さな手で。
「——市長も大喜びだそうだ。いやー、俺としちゃあ、志川がずっとうちに居てくれたら良かったなあって。それだけが残念だわ」
来月から鹿係で本庁だもんね。でも、純くんが課長さんからこんなふうに言われるのって、わたしも嬉しい。理由はなんであれ。
「——奥さん、ほんとにいいんですか?お送りしなくて」
「は、はい……あの、いつもこの子と散歩してますので……」
「最近、物騒な事件も多いですからねー。高校生が強盗とか……でもまあ、そうおっしゃるなら。素敵な奥さんだ。なあ、志川!」
課長さんに背中を叩かれて、純くんがビクッとした。
「……純くん、お仕事がんばってね」
「……あー、うん」
「パパー!バイバイ!」
純香が可愛くちょこちょこって手を振ったけど、純くんは振り向かずに助手席に乗って、課長さんの運転で区役所に戻って行った。
「……。純香。じゃあママとお散歩しよっか」
「はーい!ママとー!」
抱っこしていた純香を下ろそうとした。
キキィーッ!
後ろで大きな音。咄嗟に純香に覆い被さって振り向く。
自転車。女の子。
さっき轢かれそうになった子?
この子……あの山道で、倒れてた子?
……山下さん。
ポニーテールを下ろした長い黒髪。
日焼けした真面目そうな顔立ち。
大きな黒い瞳。
白い半袖シャツとチェックのスカート。
南嶺の夏服。
山下さんは自転車に跨ったまま、わたしたちを見下ろして笑った。
「キャハハッ!」




