5 書いてみて
【2026年8月16日(日)札幌市南区簾舞】
『凛と潤のハゲしい日常』
[あらすじ]
"札幌で新婚生活を始めた若夫婦。勝気で自信に満ち溢れた女子アナ・川園凛(25)と、その夫で市役所勤めの潤(23)の、愉快だけど不釣り合いな波瀾万丈の毎日!"
……あらすじかあ。やっぱりもっと、ヒキの強い文章にしないとダメなのかな……AIに作ってもらうと、ありきたりなのしかできないし。題名?題名も、変えた方がいいのかな。気に入ってるんだけどなあ……。
純くんがカーナビをいじってる間、わたしはずっとスマホを見ていた。お盆休みは今日で終わり。明日から、純くんは仕事に復帰する。
お盆の前までに、純くんはすっかり元気になった。変な喋り方もだいぶ少なくなって、一昨日はお世話になったお礼しなきゃって、お父さんお母さんと一緒に温泉旅行までしてきた。定山渓だけど。ちゃんと運転もできた。最初はおっかなびっくりだったけど。
いつもの純くんが戻ってきた。事故以来初めて、今日の午前中は一人で床屋さんにも行ってきた。
「ず……ずいぶん、短くしたんだね」
「え?変かな。暑いし、鬱陶しくて」
……坊主頭になって帰ってきた。
まさか、わたしの小説読んでないよね?バレた?小説の中の潤は、坊主じゃなくて若ハゲなんだけど……まずいかな。もちろん純くんはハゲじゃないし、おもしろいと思ったんだけどな……。
「香奈子ー!これも持っていきな!」
お母さんがダンボール箱を抱えて出てきた。
「ナスとトマト!お父さんの自信作だからさ」
「……そんなにたくさん?食べきれないよ」
「冷蔵庫入れときゃ1週間は持つから。それに、純くんの職場の人たちにお詫びもしなきゃなんないべさ」
「ありがとうございます、お義母様。重いでしょう」
わたしがぐずぐずしている間に、純くんがさっと車を降りてダンボール箱を受け取り車に積んだ。
「すみちゃん、また来てね!」
「ばあば!バイバイ!」
道路まで出てきて大袈裟に手を振るお母さんと、庭から軽く手をあげただけのお父さんを残して、純くんはゆっくりレンタカーを発進させた。
お父さんは腰に手を当てて、首にかけたタオルで汗を拭いていた。角を曲がって見えなくなる直前、振り返ってリアウインドウ越しに見たお父さんは、ずっと、小さく手を振っていた。
純くんは石山通りには出ないで、裏道を走った。お盆休み最後の日曜日。石山通りは渋滞してる。あの日と同じだ。ひと月前の、あの事故の日と。
出発したばかりなのに、急に実家に戻りたくなった。怖いとかじゃない。わたしだって免許取り立ての頃に、お父さんの車で何回か走ったことがある裏道。お父さんには、助手席に乗ってもらって。まだ、純くんと付き合う前だった。正式にって意味だけど。
最初は、拒否されたっけ。暇じゃないって。だから純くんに頼むかなって言ったら、急に、やっぱり俺が教えてやるって。免許ないやつなんか意味ないべやって。いつも難しい顔ばっかりして偉そうにしてるのに、わたしの運転をすごく怖がって。ちょっとだけ、ほっこりしたっけ。
「……また、あの道通るの?」
「え?ダメ?国道出るより17分速く着くよ?」
「うん……いいけど。だいじょぶ?」
「CarNavigationSystemがあるから、道はわかるよ?」
まだたまに、こういう変なことを言う。道ならよく知ってるくせに。しかも、やたら発音いいのはなんなの?
『なんだそれ?帰国子女のあたしに張り合う気?』
凛ならツッコミ入れるだろうな。わたしは英語は苦手だし、聞き返すことも出来ないけど。
それきり会話もなく、車は白川から硬石山に入った。もうすぐ、あの場所だ。純香はよく寝てる。
「鹿が見えたら教えて」
純くんはスピードを極端に落として、一生懸命左右の森を確認しながら山道を登って行く。すごく真剣な顔で。ちょっと頼もしくて、カッコいいと思っちゃう。坊主頭だけど。
あの場所を通り過ぎる時は、ほとんど止まりそうにゆっくりだった。鹿はいなかった。
やがて道は下り始め、冬になったら閉まる南沢側のゲートまで来た時。
「ひとだ」
純くんがぼそっと呟いて、ブレーキを踏んだ。ゲートを過ぎたところは道が広くなってて、そこに——
人が倒れてる。
見慣れたジャージ。紺と白のツートン。わたしも7年前まで、同じのを着てた。南嶺の子?
「と、停まって!」
純くんがそのまま通り過ぎようとしたので、思わず叫んだ。急ブレーキ。少し先まで行って、道が狭くなる手前で停まる。
ドアを開けて、倒れてる子を見た。うつ伏せのまま左手が上がり、すぐ落ちた。
車を降りて一歩だけ近づく。
「あ……あの。だいじょぶですか?」
声が震えた。……病気?
レンタカーの横から、純くんが走り出てその子のところへ。
「どうなさいました?……」
純くんは屈むと、その子の肩を揺すった。それから、仰向けにひっくり返し、顔を近づけた。
「呼吸してないよ。死んでるのかな」
わたしも駆け寄った。手が動いてた。生きてるはず。胸を見た。NANREI。やっぱり。
「きゅ……救急車!純くん!119かけて!」
息は感じられない。自分のスマホを出しながら、懸命に思い出す——
——ブックマークしてある、「救急蘇生法」のサイト。心肺蘇生法の手順のページ。
「あー……人間が呼吸していない。救急車を手配してください」
純くんが119をしてくれた。わたしは……わたしは、やらなきゃ。簾舞にいる間、勉強したんだ。
あの時のために。また、あんなことが起きた時のために。あの時みたいに、何もできないなんて……もう嫌だから。
一瞬、急に静かになったような感じがした。セミの声、風が木の枝を揺らす音が大きく聴こえる。
「救急車すぐ来るって。大丈夫?カナコ?」
心臓マッサージしなきゃ。
「電話。切っちゃったの?」
「え?救急車はすぐ来るって言われたよ?」
どうしよう。勉強した。でも無理。スマホ見ながらできる。やったことないよ!ダメ、やらなきゃ!
「もう一回かけて!応急手当てしますって!」
女の子だ。すぐ横にスマホを置いて、読みながら胸に手を……どこ?ここであってる?
"胸の真ん中"
ここでいい?ジャージの胸の刺繍の横。NANREI。その下に筆記体で、Yamashita。
"強く"5センチ、沈むように。
"速く"毎分、120回——
「純くん!純くんッ!わたし……」
「——はい、やってるみたいです。え、ぼくが?でもカナコが——」
わたしが。わたしがやらなきゃ。出来ない!やらなきゃ!無理!
ヤマシタさん。この子の名前。
山下さん。助けなきゃ!
凛……凛!助けて!
……何も言ってくれない。言ってくれるわけがない。
わたし。凛じゃない。わたし。
「カナコ。119の人が、変わってくれだって。知り合い?」
「純くん!スピーカーにして!……それか耳、わたしの耳にスマホつけて!」
「耳?……こう?」
5センチ。毎分120回。1秒2回。
『——もしもーし。聞こえますか?』
「はいっ……ハッ……ハッ……聞こえます」
「胸を押してますか?ハイかイイエでお返事ください」
「……ハッ……ハッ……はい……」
「そのまま続けて。5センチ沈む——」
「5センチ!1秒2回!やってます!……ハッ……ハッ……」
『救急車が向かってます。頑張って続けてください』
「……ハッ……はいっ!……」
『2分たったら男の方と交代してください。時間は合図しますから』
「……はい……じゅ……純くん!交代するって!……ハッ……ハッ……見てて!わたしと同じことして!」
汗が吹き出てくる。純くんがちゃんと見てるかなんて確認できない。頑張んなきゃ。わたし……できないかも。でも、やらなきゃ……純くんは……純くんならできる。純くんなら何でもできる。
「ぼくもそれをやればいいの?」
『はい!交代してください!』
「……はい……純くん……ハァッ……ハァッ……」
少し体を引き、純くんに交代した。汗を拭きながら純くんを見る。
汗。息が苦しい。暑い。
また世界が歪んだ。音が。何も聞こえない——
だめ。嫌。もう気絶なんかしたくない……座ってるのに、体が揺れて……純くん。
純くんの腕。リズミカルに上下する肩。
安心しかけて、また気が遠くなった。体が傾いて、純くんの背中に寄りかかる。
「カナコ?重いよ」
「あ!ご……ごめんなさい……」
女の子の顔。真っ青。あの時の純くんみたいに。
純くんの手、真剣な横顔。
すごい……純くんはやっぱりすごい。正確に……わたしなんかよりもずっと正確で、力強い。大丈夫だと思った。わたしだけじゃ無理だったけど、純くんがいるから、大丈夫。
女の子。黒髪、ポニーテール。幼くて、真面目そうな顔立ち。
知らない子。会ったことも見たこともない。山下さん。
でも……助かって欲しい。
純くんみたいに。
「カナコ。交代だって」
「……はい」
がんばんなきゃ。助けたい。
純くんと2人で。山下さんを助けたい。
がんばれ、山下さん!
がんばれ……わたし!
顔色が少し……わかんない。日焼けしてるし、光の加減とか——
瞼がピクッとした。
目が開いた——大きな黒い目……レースの編み物みたいな虹彩——
なんか頭の中がごちゃごちゃになって、目を瞑った。そして、ひたすら胸を押した。
5センチ。1秒2回。
5センチ。1秒2回。
もう一度交代して、少し落ち着いてきて、深呼吸した。
遠くに、サイレンが聞こえた。




