3 思って
【2026年8月3日(月)札幌市南区真駒内緑町団地】
"なんという胸を締めつけられるような、切なく愛おしい小説でしょうか。"
……こんなこと言われたら、その気になっちゃうよ。たとえ相手がAIだとしてもさ。
Googleの画面のスクショを閉じて、web小説投稿サイトのマイページを開く。
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やっぱり、誰も読んでくれてない。公開して、もうひと月たつのに。PV3は、公開したその日について、それっきり。
純くんは明日、やっと退院できる。やらなきゃいけないこと、考えなきゃなんないことが多過ぎて、小説のこと忘れてたけど……そのまま忘れちゃえばよかったな。
純くん。仕方ないのかな。あんな事故にあって……心臓、一回止まっちゃったってことは、死ん……いや、臨死?ってやつかな?そんな体験したんだから、誰だってちょっとはおかしくなるよね。あたりまえ。普通のことだって、お医者さんも、お母さんもお父さんも言ってた。だから……。
普通のこと、か……。
呼び捨てはもう慣れたし、前より近くなった気がして嬉しいけど……違和感はずっとある。
元々、おしゃべりじゃなかったし、そこも好きだったけど……あれから何日かは、まるで純香みたいな喋り方で。
『喉。乾いた』
『ご飯。いつ?』
『おしっこ。トイレ』
お医者さんは、心配ないって言ってた。2、3日で普通に喋るようになるって。その通りだったけど。
『ア……鹿。鹿はどうなったの?死んだんだよね?』
『もう見れない……寂しいな……』
『あの場所……事故の場所に、行けない?』
なんでそんなことばっかり……仕事のこととか、車のこととか、他にいろいろあるはずなのに、鹿のことばっかり。
そりゃ純くんは、昔から動物が大好きだった。小さい頃にお母さんが亡くなって、お爺さんとお婆さんのお宅で育って、飼ってた犬が親友だったってよく言ってた。わたしたちが知り合えたのも、動物のおかげ。高校の自然同好会のおかげ。わたしはお花とかの方が好きだけど。
でも……鹿?同好会で山や森に入って、鹿を近くで見たことも何回もあったけど……そんなに好きだったかな。
『カナコ。純くんは、いつ退院できるの?』
『純香はよく泣くね。純くんが遊んであげるよ』
一番変なのはこれ。自分のことを、純くんって……前は"ぼく"だったし。アニメで女の子が自分のことを名前で言うの、変だよって言ってたこともあったのに。
ここ何日かは、テレビやスマホばっかり観てる。ニュースをよく観てるけど、前はあまり見なかったドラマとかいろいろ。ちらっと見えちゃったら、鹿の画像……。あと、読書。わたしが持っていった文庫本。前は、受け取るけど読まないのがほとんどだったのに。びっくりするくらい速く読んじゃって、もっと読みたいだって。まあ本ならたくさん持ってるから、それで退屈しないならいいんだけど……今度、わたしの小説も読んでもらう?
……絶対無理。恥ずかしい。純くんがモデルだって、きっとすぐわかっちゃうし。
あと……あの美人の看護師さん。すごく親切なんだけど……親切過ぎないかな。名前はあやじゃなくて、わたしと同い年で、シンママらしい。純香も懐いてるけど。
退院すれば関係なくなるから、いいんだけど。
「ママー……寝よう……」
「……起きちゃった。ごめんね?ママも今行くから。お布団で待ってて?」
「……はあーい……」
ごちゃごちゃ考えてても仕方ないか。明日、純くんが退院して、3人で簾舞行って。しばらくお母さんに甘えて、のんびりしよう。
純くんだって、きっとすぐに、元通りになる。
きっと。
【8月4日(火)】
「お義父さん。腰はいかがでございますか?」
お父さんの目が見開いた。普段は糸目なのに、目だけじゃなく口も、ぽかんと。
「……い……いや、ありがとうございます……純……さん。大丈夫です」
「そうですか。それはよろしいですね。車の運転は腰に悪いですから。ぼくが運転できればよろしかったんですが」
……純くんは、まだ少し……変だ。
お父さんも無口な人だから、今までこの2人がなんか話してるのはあまり見たことがなかった。でも、お医者さんも大丈夫だと思ったから退院させてくれたんだし……あまり気にしない方がいいのかな。
実際、少しずつだけど元に戻ってきてる。"純くん"もすぐに言わなくなったし。ちゃんと"ぼく"って。言葉使いがやたら丁寧なのは、急に小説読み過ぎたから?わかんないけど。わたしと話す時は、もう普通の喋り方。
「国道230号線、通称石山通りから行くのですね。市道南沢白川線ではなく」
「しど……ああ。あそこは……あー、俺は好きじゃないんだわ。平日だから石山通りの方が早いべ?」
「そうでございますね。ぼくに異議はありません」
「……あ、あの、お父さん?お昼、なんか買ってかない?お母さんが——」
「あー、昼飯は母さんが作るって言ってたからな。買い物もいいから、真っ直ぐ帰ってこいってさ」
「そ、そう……」
ルームミラーのお父さんの目が、純くんをチラチラ見てる。わたしは居心地が悪い……これから簾舞行って、しばらくは一緒に暮らすんだから、仲良くしてくれるといいんだけど——
「昼飯はなんですか?」
「じゅ、純くん?……純くんは、何が食べたい?」
「母さんは親子丼作るって言ってたな。純くんも、前に美味しいって言ってたって」
「親子丼とは、鶏肉と卵を——」
「じゅ、純くん!ほら、あそこのお店!ボロネーゼ、美味しかったよね!」
「ボロネーゼ。イタリア、ボローニャ地方の——」
「パパー!ブーブー!」
……気にしないでおこう、今は。
家につくまで、フィットの車内は微妙な空気のままだった。純香だけは、景色や、久しぶりにパパと一緒ではしゃいでたけど。
車を降りたら、もう親子丼の美味しそうな匂いがした。
「ばあばー!」
純香が走り出す。
「すみちゃーん!おいでー!」
いつもなら、純くんが素早く純香の後を追い、転びそうになったらすぐに捕まえる。でも純くんは、純香には目もくれず辺りを見回して、鼻をくんくんさせていた。
「……純くん?どうしたの?」
お腹が鳴る音が返事した。
……とにかく。純くんは無事、退院できた。ちょっと言うことが変な以外は、事故の後遺症みたいのもないし……良かったんだ、これで。すぐに、何もかも、元通りになる。
きっと。
「これは……素晴らしい。こんな……こんな……信じられない。こんな素晴らしいものがあったとは……」
「まあまあ。純くん、そんなに気を使わないで?香奈子だって、作ってあげてるしょ?」
純くんは親子丼をがっついた。
お母さんの親子丼は特別なんだよね……もちろんわたしも、お母さんに習ったから作れるし、うちでも何度か作ってるけど……なかなかお母さんと同じ味にはならない。わたしが料理下手なだけなんだけど。
「カナコ。毎日これを食べたい。毎日」
「ママー。カレー!まいにちー!」
カレー……レトルトなのに。こっちにいる間、またお母さんに教えてもらわなきゃ……。
料理……お母さんはこんなに上手なのに、なんでわたしは上手くできないんだろう。何分煮込んで、とか待ってると、ぼーっと他のこと……小説のこととか考えちゃって、ダメになっちゃう。あーあ。
「——純くん、こっちにいる間は、ゆっくりして。よーく休んでね。何もしなくていいからね」
「ありがとうございます、お母上」
わたし。もう、甘えてちゃだめだよね。純くんのことは、わたしがちゃんと世話しなきゃ……今までは、ダメなわたしを純くんが支えてくれてた。これからは、わたしがお返ししなきゃ……できるかな……わたしなんかに。
純くんも純香も、わたしがしっかりしなきゃ。わたし……がんばれるかな……。
「ママー!こぼしたー!」
はっとして純香を見たけど、純香じゃなくって、鶏肉をこぼしたのはわたしだった。
ダメなわたし。




