17 かき消して
【2026年9月27日(日)昼前 五輪通り、真駒内アイスアリーナ交差点】
どうしたら……。
タクシーの中で、ずっと考えてた。
恐い。
純くんに聞くのが恐い。
"ピピッと電子音がなって、私は体温計の数字を確認した。
38.1。
「凛……どう?熱下がった?」
「……全然。あーまいったなー。インフルじゃないとは思うけど。せっかく取材したのに……」
「無理しちゃだめだよ……おかゆ作ったよ!置いとくから、好きな時に食べて」
「……てかあんた、仕事は?」
「え?……いや……なんか僕も体だるくてさ。僕も休もうかな?熱あるかも!」
潤は自分の禿げ上がった額に体温計を向けた。
ピピッ。
私はそれをひったくった。
「……36.4。平熱!バカなこと言ってないで、さっさと仕事行ったら?」
潤はあたふたと出勤して行った。
……ばかな男……優しい男。"
もし……もしも。
純くんが……わたしが思ってるような人じゃなかったら?事故のせい……とかじゃなくって、わたしの知ってる純くんが……無理してた、とか……気を使ってるだけだった、とか……だったら?
本当の純くんは……今の純く——
ガクン!と衝撃、そしてシートベルトが食い込んだ。また鹿の角のまぼろしが見えた。純香も、わたしの腕の中で前に飛び出しそうになった。
「危ねえっ!」
交差点だ。青信号。タクシーが動き出してすぐに急ブレーキを踏んだ。
「全く自転車は……お客さん、お怪我ないですか?」
「は、はい……すみません!降ります!」
「……は?……はい……」
交差点を渡ってからタクシーを降り、歩道で叫んだ。
「凛ちゃんッ!待って!!」
さっき鹿の角のまぼろしと同時に、チラッとだけど、自転車の前カゴにマイメロが見えた。凛ちゃんだ。
……聞こえない、か。立ち漕ぎで爆走してった。もうあんなに遠くに……。
え、止まった?自転車……戻ってくる?
凛ちゃんは戻ってきた。立ち漕ぎで。
前カゴのマイメロの長い耳が、後ろ向きに伏せられて。
キキーッ。
「ハァ……ハァ……呼んだ?」
「りんちゃん!マイメロ!きゃはははは!」
純香が、両手をあげてはしゃいだ。
「……よく、聞こえたね……」
「ん?耳は良いんだぁ。キャハッ!」
わたしたちは歩きながら話した。純香が重くて、抱っこし直す。
「ママー!おさんぽー!」
「だいじょぶ?ぽんぽん」
「ぽんぽん!なーい!」
純香は元気そう……純香。もう純香だけ……。
降ろして、手はしっかり繋ぐ。
「どうしたのぉ?スミカ」
「うん、ちょっと……吐いちゃって。病院行ってたんだ」
「え!マジ!……でも良かったねぇ!」
「……え?」
「治ったんでしょ?元気そうじゃん!」
「……そうだね……」
立ち止まった。
「おさんぽー!」
「凛ちゃん……」
「ん?どしたん?」
「あの……ちょ、ちょっと、聞きたいことあるんだけど……」
「はい?なぁにぃ?」
ごくんと、唾を飲み込む。
「あ……あの。純くんの……こと」
凛ちゃんはきょとんとして、わたしを見た。
「お……教えて!純くんのこと!……し、知ってるんでしょ?!わたしの知らないこと!」
「ふうん……いいよぉ!」
「……え?」
「いいよって言った。全部、教えてあげる!てか、今までも言ってたけどさぁ。キャハッ!」
「あの……ちゃ、ちゃんと話して、ね?う……嘘、とか、無しで……」
「はあ?あたしがなんで嘘つくのぉ?」
「いや、その……あたしに、気を……気を使ったり、しなくて、いいから……ね?」
「んん?なんそれ?……なんかわかんないけど……だいじょぶ?カナコ」
「だ……だいじょぶ、だから。……たぶん」
凛ちゃんに、じっと見つめられた。
『ほんとに大丈夫?』
……え?
「……わかった。んーと……どっかに、座らない?」
【同日昼 真駒内曙公園】
「牧羊管理実況の地……なにここぉ?またヒツジ?」
「ひちゅじ!アン!」
「……いなくない?どこにいるのぉ?ヒツジ」
少し歩いて、曙公園の芝生に入った。さっきちょっとにわか雨が降ったから、芝生は濡れてる。凛ちゃんは、モニュメントを見てる。
「今はいないよ、ヒツジ……昔は、ここでたくさん飼ってたみたい」
「もふパーのおっちゃん、あのヒツジと一緒に暮らすのかなぁ?なんかウケる」
「うん……そうだね……」
「アン!メエメエ!」
「あーあそこ!階段?あそこに座ろ!」
「うん……乾いてる、かな?」
「いいから!知りたいんでしょ?ジュンくんのこと!」
階段は乾いてた。10段くらいの、白くて広い、スタンド席みたいな石の階段。空はもう晴れてて、陽当たりが良くて。もうすっかり秋だけど、ぽかぽかして暖かい。
「ロクツィオしてもいいけど……別にいっか!のんびりゆっくり話すね!シンユーだし!」
とりあえず聞き流そう……またそういう話ばっかりになったら、困るし……。
「なにから話そっかなぁ?……んーと……」
凛ちゃんは、ちょっと考えてから、ニッコリ笑って言った。
「あのね?山下凛は……」
……ん?
「死んだのぉ!あたしは凛の死体に入ってんの!」
…………。
「い、いや……あの……凛ちゃん……あの、ね?」
「凛じゃないの。あたしはスリエル!」
スリ……前にも言ってた気はするけど……。
「……凛ちゃん?あの……」
「地獄で処刑係やってんの。なっかなか楽しいお仕事だよぉ!で、マイメロがさぁ、人間に捕まっちゃってさぁ——」
「凛ちゃん……待って?……」
「使い魔にする時、約束してたんだよね!ねー、マイメロ!だから、助けに来ちゃったぁ!」
「……凛ちゃん!あの……待って?……」
「あー、やっぱりあたしのことなんかどーでもいっか。ジュンくんのことだよねぇ?」
「うん、でも……あの……」
「あいつもあたしとおんなじ。ってか、たぶん、天から来たんだと思うよ?地獄のやつならあたしを無視なんてできっこないしぃ。なんてやつかはわかんないけど、鹿の——」
「凛ちゃん……凛ちゃんってば!待って!」
……凛ちゃん。なんなの?わたしは……わたしは、真剣なのに。頑張って……普段のわたしならこんなこと、聞いたり出来ないのに、頑張って……なのに。こんな変な話ばっかり……からかわれてる?バカにされてる?
「んー。まあそうだよね。信じられなくて当たり前かぁ。どうすっかなー……」
「り、凛ちゃん、あのね?わ、わたしも、そういう……お話、好きだよ?でも——」
「よし。じゃあ、これは?」
凛ちゃんが、急に立ち上がってわたしを見下ろした。そして。
目が。凛ちゃんの瞳が、ぼーっと……光った。
赤く。マイメロの——
——それだけじゃなかった。
頭?髪?……髪の毛が……逆立ったような……風もないのに、髪……髪じゃ、ない?……え?……み……耳?
白……いや、銀色?……耳みたいな、マイメロの耳、みたいなものが、頭に——
「やめてッ!」
純香を抱き寄せて、叫んだ。
「……ひどい!ひどいッ!もうやめてッ!そんな……おもちゃで!」
「……カナコ?ご、ごめん、驚かすつもりじゃ——」
「もう、いやぁッ!!」
立ち上がって、喚いた。涙が出た。
純香がビクッとして、わたしにしがみついた。
「ママ——」
そのまま階段を駆け上がり、わたしは……逃げた。
……恐い?違う……今は……悲しい。辛い。
……悔しい。
わたし……わたしは、一生懸命、考えた。純くんのこと。凛ちゃんのこと。最近起きた、いろんなこと。なのに……なのに、あの子は。
親友?……みんなそう言う。昔から、みんな。わたしに、にこにこして近づいてきて、優しいフリして。
わたしが、心を許して……仲良くなったって、友だちだって、思わせて……わたしを。わたしを……バカにして。
ひどい。みんなひどい。凛ちゃんはひどい。ひどすぎる。
わたしは……わたしは。いつも……騙される。裏切られる。ひどい。みんな、わたしを……わたしを。
純くんだって……純くんも、そうだった?そうだったのかな……わたしに、優しくして。わたしを……騙して。ひどい。なんで?なんで、みんな、わたしを……いじめるの?どうして?
ひどい。ひどい。ひどい。ひど——
「……ママぁ?だいじょぶ?」
……純香……。
「……ご……ごめんね、純香……ごめんね……」
「ママ……いたいの?」
純香……純香……。
「だいじょぶ?えんえん……」
「ごめんね……ママ、泣いちゃった……」
「……ごめんなさいママ……」
「……え?」
「……スミカがげーしたから?」
「純香……違うよ?純香……純香は、悪くないよ?」
「ママ……おうち。かえろ?」
純香……ごめんね?純香……ママが……ママのせいで……ごめんね?……でも……。
「うん……おうち。帰ろっか……」
おうち。帰りたい……もういや。お母さん……お父さん……。
おうち。わたしの、おうち。




