16 わかんなくて
【2026年9月27日(日) 真駒内緑町団地】
『明日のお昼はカレーだからね!
ジュンくん起こしといてね』
昨夜来てた凛ちゃんからのライン、今朝起きてから気づいた。カレーはともかく……。
凛ちゃんと純くん。なんなのかな。凛ちゃんはやたら馴れ馴れしくて、純くんは嫌がってるみたい……わたしの前だから?まさか、ほんとに……ダメ。こんなこと考えちゃ……でも……。
スマホで、Geminiを開いた。
"最近知り合った15歳の女子高生が、主人にやたら馴れ馴れしくて、どうも以前から知ってるような感じです。主人は、その子を疎ましく思っているようにも見えます。浮気でしょうか?主人は23、わたしは25、2歳の娘がいます。"
"ご不安なお気持ち、とてもよく分かります。大切なご家族の日常に、見知らぬ若い女性が入り込んできたら、疑念やモヤモヤを感じるのは当然のことです。
この状況を冷静に整理するために、いくつかの可能性と見極めのポイントを考えてみましょう。
考えられる3つの可能性
①過去の知り合いや関係者——
②SNSやオンラインゲームなど——
③浮気・不貞の可能性"
どうしよう……読みたくないけど……気になっちゃう。
"もっとも心配されている点ですが、もし後ろめたい関係や浮気であれば、通常は隠そうとしたり、その場を取り繕ったりする態度をとることが多いため、嫌そう・面倒くさいと感じている様子が見えるのであれば、恋愛感情や不貞の可能性は低いかもしれません。"
……うん。そうだよね?違うよね?……でも。
AIって、わたしに忖度するんだよね……小説の感想なんか、ベタ褒めしかしないもん……AIが、浮気じゃないって回答するってことは、もしかして……。
「ママー……」
「純香、おはよう……」
スマホを置いて、TVをつけた。あまり純香に構ってあげたい気分じゃない……こんな嫌な気持ち、純香に感じさせたくない……。
「……ちょっと、テレビ見ててね。朝ごはん、作るからね」
純香はスミカマットにちょこんと座って、寝ぼけた感じでぼーっとしてる。まだ寝てればいいのに。キッチンに行って、冷蔵庫を開けた。朝ごはん……。
『——さて、続いて、北海道札幌市——』
「ママ……」
「なあに?純香——」
『——ヒグマによる——』
純香が突然前屈みになり、咳き込んで、嘔吐した。
「純香ッ!」
朝ごはんもAIも浮気も凛ちゃんも全部忘れた。駆け寄る。顔色が……青い。
「純くんッ!純香がッ!」
「……?」
『——行方はわかっていま——』
寝室から、もそもそと音が聞こえる。純くん、助けて、待ってられない、誰か……救急車!
純香を寝かせて、テーブルの上のスマホを取ろうとして落としてしまう。
「……スミカが、どうしたの?」
スマホを拾い、119にかけた。
『はい、消防です。火事——』
「救急車!救急車お願いします!娘が!」
『住所をお願いし——』
「緑町団地3号棟303です!早く!」
『救急車は向かっています。娘さんは——』
「吐いて!青白くなってて!」
『呼吸は確認できますか?普通に呼吸が——』
呼吸。青白くなって。心——
「い、息は……息はできてます!」
『意識はありますか?目は開いてますか?』
「……純香!純香!……め、目は……純香!目を開けて!純香!」
『お母さん!落ち着いてください、スミカちゃんのお口の中を見て』
……口……口の中……。
「何もありません……吐いたものは……水みたいな、黄色い水……」
『お母さん、救急車がもう着きますよ。サイレン聞こえますか?』
……聴こえる……サイレン……。
『どなたかおうちの人に、団地の下まで降りていただくことはできますか?』
「じゅ、純くん!玄関、下まで降りて!救急車来るから!」
「……下?うん、いいけど……スミカ、死ぬの?」
「早くッ!行ってッ!行け!」
純くんが飛び出して行った。お願い、純香……お願い。
『お母さん。救急車着きましたよ。お子さんを横向きにして待っていてください』
……横……向き……純香……お願い、純香……。
『お母さん、聞こえますか?お母さん』
「……はい……純香……息はしてます……横向き……しま……」
遠くで……遠いところで……ドカドカ……暗い……音……
「——隊です!お子さんはどこですか」
「こっちです。あ……靴……」
……純くん……声……すみ……じゅ
【同日午前10時過ぎ KKR札幌医療センター】
……純くん……純香……純香……
「……純香?!」
白い天井……眩しい……どこ……純香……。
「……お母さん、起きられましたね」
看護師さん……病院。
「お疲れだったんですね。大丈夫ですよ」
「純香?!純香は?」
「お子さんも大丈夫です。ほら」
純香……隣のベッドで……寝てる。点滴……電子音。寝息。安らかな寝息。
「安心してくださいね。お子さん……純香ちゃんは、疲れちゃったのかな?昨日、お出掛けとかなさいましたか?点滴が終われば元気になりますから」
「ほ……ほんとに?大丈夫なんですか……あの……わたし……」
「大丈夫です。起こしますか?」
周りを見回す。看護師さん、お医者さん……穏やかに微笑んでる……。
「い……いえ。大丈夫なんですね……」
「お母さんも、このままもう少し休んで。点滴は、あと……15分くらいで終わりますから」
……純香……純香。良かった……びっくりして……純くん。純くん……?
「……あの……主人は……」
「ご主人ですか?……あれ?今ここに……ああ、あちらに」
純くんが廊下から入ってきた、手をデニムに擦り付けながら。
「あ……カナコ。おはようございます」
「じゅ……純くん。良かった……純香……」
良かった。純香。純くん。わたしたち——
「これ、スマホ。ライン来てるよ。じゃあ、ぼくは帰りますね」
——え?
「あ……あら。ご主人、お忙しいんですね……」
え。
純くん?
『おはー!12時ちょいに行くからカレーよろー!』
『お父さんまた腰やっちゃって
病院行くから後で寄ろうかな』
凛ちゃん……お母さん。
純くん。
待って、と言えなかった。
なんで帰るんだろう。わかんない。もうわかんない……ううん、考えられない。今は……純香。純香のことで……他のこと、なにも考えられない。
……考えなきゃ……だめかな。どうしたら……もうわかんない。
【同日11時過ぎ】
「ママ。ジュース!」
純香はすぐに元気になった。
点滴の跡にキティちゃんのシールを貼ってもらって、それを何度も気にして嬉しそうにしてる。
アセトン血性嘔吐症っていう診断だった。純香くらいの子にはよくある病気だって。
今日と明日はゼリーとか、おかゆしか食べちゃだめだって。でも、もう大丈夫って。
お薬もいらないって言われた。しつこく聞いたら、吐き気止めの坐薬を処方してくれたけど、念のためだって。
知らないことばかり。勉強しなきゃ……また、気絶しちゃうなんて……母親なのに。純香を守れるのは、わたしだけなのに。
純くんは……もう、わかんない。もう……こんなの。こんなのって。純香が、大変だったのに……。
病院の向いの薬局でお薬を待ってる間、スマホを見た。ひまつぶしなんかじゃなくて……ラインの、純くんとのトーク……。
もしかして……もしかして、純くん……アクアを取りに行った、とか?ここは中の島、地下鉄駅も近いけど……迎えに来てくれるのかな。そうかも?だって……ありえないよね?純香は……わたしのことなんかどうでもいいけど、純香は、純くんだって大好きなんだから。心配してないわけないよね?そんなの、絶対ありえない……よね?
『いまどこ?』
すぐ返事が来た!
『家だよ?』
『やっぱり!ごめんなさい——
……何が?なんであやまるの。わたし?
『良かったら お迎えに来て欲しいな——
……もし……もし、嫌だって言われたら?
そんなことあるわけ……ない?ほんと?わたし……わたし、どうしたら。わかんない……。
「ママー!にゃんこー!」
なんてラインしたらいいかわかんなくて、お薬ができて、受け取って、純香を抱っこして薬局を出た。純香が指差した先、わたしたちの前を、リュックを背負った男の子が歩いていた。小学生。
「……にゃんこ?」
「あそこ!にゃんこ!」
小学生のリュックに、丸い大きな窓があって、その中にシャム猫がいた。
わかんないけど、急に涙が出てきた。猫のせいじゃない。猫アレルギーじゃない……悲しい?辛い?……違う。
恐い。
なにもわかんないのが、恐い。




