14 読み返して
【2026年9月26日(土) SAPPOROもふもふパーク】
「どうぞ、入って入って!」
園長さんはなぜか嬉しそう。
「は……はい……お邪魔します……」
促されるまま、奥へ進もうとして純くんをチラッと見た。
純くんは立ち止まった。なんか、ためらってる?
「……純くん?」
「ほら、おいでよぉ!」
り、凛ちゃんが……純くんのシャツの裾をひっ捕まえた……。
「……逃がさないよぉ?キャハッ!」
「悪いね……お茶とかも、もうなくって」
園長さんが、テーブルの上に伏せられていた文庫本を片付けてペットボトルを2つ置いた。定山渓の水。常温のミネラルウォーター。
勧められた古いソファに、純香を膝に乗せて座った。隣に純くん……その隣に、純くんの肩を抱いてというより押さえつけて、マイメロを膝に乗せた凛ちゃん……。
「おいおい。奥さんの前でそんな。怒られるぞ?」
園長さんが笑う。いや、怒るとかより、わけわかんないんだけど……。
応接室?みたいな感じだけど、薄暗い。蛍光灯を点けてない。窓があるからそこから陽は差してるけど。
「えー?あたし15歳だよぉ?こんなおじさんに興味ないもん!カナコはシンユーだし。ねー!カナコー!」
シンユーって、親友?……なった覚えはないけど……悪い気はしないけど。
「ははは……山下さんはほんとに……で?純くん、今日は?うちの見納めに来てくれたのかい?」
純くん……大丈夫かな……やっぱり具合悪いのかな……。
「メエメエ!ママー、メエメエは?」
「ヤギはいないけど、ヒツジならまだ1匹だけ残ってるぞ!メヘヘヘェ!」
園長さんが鳴き真似をした。純香がキャッキャと喜ぶ。凛ちゃんも。
「キャハハハッ!おっちゃん、うまいじゃん!」
「見に行くかい、嬢ちゃん?お名前は?」
「……メエメエ。スミカ!」
「スミカちゃんか!いくつ?」
純香はもじもじしながら、小さな手で純香流Vサインをした。人差し指中指はピンと伸びてるけど、その他の指も曲げられてない。
「2つかな?かわいいねえ。君たちが結婚してこんなお子さんまで……いやあ、月日がたつのは早いなあ……年をとるわけだ」
「……あの……わたしたちのこと、覚えてるんですか……」
「もちろんだ!……あー、君たちというか、純くんは特によく覚えてるよ?うちの若いやつらを質問攻めにして!動物博士が来ましたってみんなで言ってたんだ!……純くんみたいな子をバイトに雇いたいって……懐かしいなあ……」
「へーえ。ジュンくんは、動物博士なんだ。へーえ。そうなの?ジュンくん?」
「メエメエ!メエメエは?」
「あーよしよし!ヒツジのアントワネットと遊びに行こうか!」
「……はい……純くん、大丈夫?」
「……あ?……あ、うん……スミカ、行こうか」
純くんが凛ちゃんを振り払って、純香を抱き上げながら腰を上げた。
「……ふうん。なるほどねぇ」
凛ちゃんがスーッと目を細めた。
「アントワネット!おいで!」
園長さんが奥のドアから外へ出て、大声で呼んだ。
「アン?メエメエ?」
わたしたちも後に続いた。ライオンのお尻から出た感じになった。
寂れた平地が広がってた。プレハブ小屋がいくつかと、ところどころに柵はあるけど、動物は1匹も見当たらない。奥の山との境にはフェンスがある。確か、ちゃんとした電気柵だ。前に来た時、クマとか野生動物の対策って説明されたっけ。ここはすぐ隣が発電所で、山沿いに大きな鉄塔も並んでる。
「アントワネット!」
「メヘヘヘェ」
プレハブの陰から現れたのは、見たことのない動物だった。大型犬くらいの大きさの……ヒツジ?確かに真っ白で毛むくじゃらでもこもこだけど、顔や足の先は黒。特に顔は、目鼻立ちとか全然わかんないくらい真っ黒!……かわいい、かも?耳が4つ?ちっちゃなツノかな?左右の長さが違う。
純香は大はしゃぎ。両手をめいっぱい伸ばして、歓声をあげる。
「メエメエ!アン!」
「世界一可愛いヒツジ!ヴァレーブラックノーズシープのアントワネットだ」
「メヘヘヘェ」
ヒツジは、ちょこちょこと近づいて来た。人になれてるみたい。
ヒツジが足元に来ると、純くんが屈んだ。純香を抱いたまま。
「メヘヘヘェ」
「メエメエ!アン!」
「……もう、残ってるのはこいつだけでね……ルイ26世は山下さんが引き取ってくれたし」
「マイメロだってばぁ。キャハハッ!」
凛ちゃんが、ニコニコしながらヒツジの後ろにしゃがんだ。純くんと純香の正面に。
「それにしてもあの社長……よく譲ってくれたなあ。ルイ26世をえらくお気に入りだったんだが」
「キャハッ!あたしがオネガイしたからねぇ。あたしのオネガイは、みぃんな聞いてくれるからぁ!」
そう言いながら、凛ちゃんは純くんの顔をじーっと見てる。純くんも顔を上げた。
『——虹彩絡めるかぁ』
……見つめあってる……虹彩?どういうこと?
「ちぇっ。そうきたか」
凛ちゃんはすぐに顔を顰めて立ち上がった。
なに?……なんなの?
純くんが純香に微笑みかけた。なんだか穏やかな微笑み。
「スミカ……ほら。ヒツジさん」
「アン!……つじ?」
「ヒ、ツ、ジ」
純香はヒツジと見つめあってる。ヒツジが小首を傾げた。
「……ひちゅじ。きゃはは!」
「キャハハハッ!」
凛ちゃんも笑った。
「スミカの勝ち!」
……よくわかんない……でも、楽しそうだからいいかな?凛ちゃんも純香も、明るく笑ってる……純くんも。
「このヒツジも、引き取り手は決まったんですか」
純くんが、ヒツジを撫でながら言った。
「……子羊の頃に、ツノが片方欠けちゃってね……最後まで残ってしまった。アントワネットは私が連れて帰るしかなさそうだ……まあ、それでもいいんだ。うちはペット禁止だが……バレるまでに、なんとかしなきゃな」
「ぼくは来月から環境共生担当課です。あちこちに聞いてみますね」
「ほおー。君にピッタリの仕事だな。さすが動物博士だ!と言っても、役所の人たちはもう探してくれてはいるけどな。他の動物たちの行き先は、役所で決めてもらったようなもんだ。よくやってくれたよ」
「今月末でしたよね。立ち退き期限」
「……ああ。まあ、なんとかなるさ!」
「ぼくにできることがあれば、お手伝いしますよ」
「そうか……ありがとう。嬉しいよ」
園長さんが右手を差し出した。
その手を握って、純くんは優しい笑顔を見せた。その笑顔は、とても懐かしい笑顔だった。
純くんだ。
わたしが好きになった純くん。
優しくて穏やかで、わたしを和ませてくれる純くん。
頼もしくて、安心できる純くん。
イラついたり怒ったりしない。
この人となら、ずっと一緒に生きていけそうって、あの時思った。純くんの笑顔。
「ひちゅじさん!もふもふ!」
「ははは……そうだな、もふもふだ……うちに最後に残った、もふもふだな!」
「メヘヘヘェ」
園長さんも笑った。少し寂しそうだけど、それは仕方ないよね……みんな笑ってる。
わたしも、笑わなきゃ。
「……あの……そうだ、サンドイッチ。……良かったら……みなさん、いかがでしょうか……」
それから、わたしたちはライオンのお尻のそばにレジャーシートを広げて、サンドイッチを食べた。
「なにこれ鹿の肉?!シュール!やるねぇカナコ!」
「お……おいしい、よ?ね、純くん?」
「ジビエか!これも、私達人間と野生動物の共生には、欠かせないことだからね。さすが動物博士の奥さんだ!」
「そ、そんなんじゃなくて……普通の、サンドイッチも、ありますから……」
「いやこれもうまいよ!やっぱカナコって料理天才か?!」
「ほう!ぜひ私も、今度またご馳走になりたいな!何が一番——」
「カレー!絶対カレー!!マジヤバいから、カナコのカレー!!」
ま、待って……こどもカレー、しかもレトルトの——
「カレーか!私もカレーには目がないんだ!楽しみだなあ!」
「カレー!スミカもカレー!まいにちー!」
また、みんなが笑った。
今度は、とっても楽しそうに。
……良かった、のかな。
カレーは絶対出せないけど。
【同日夜 真駒内緑町団地】
"頭に来る。ロードスターのキーを潤に投げつけた。
「そんなこと言うなら、あんたが運転すれば!」
「凛……そんなつもりじゃ……」
「じゃあなに!はっきり言え!男だろ!」
困り顔で佇む潤をおいて、わたしはカフェを出た。
「待ってよ!凛!」
潤は慌てて会計すると、追いかけてきた。
「凛が悪いなんて言ってない!でもあんなのに構ってたら危ないし——」
「煽られたのよ?!わかってる?ああいうのはガッツリ言ってやんないと!それに——」
「わかってるよ!悪いのはあのトラックだ、凛じゃない。だけど——」
「わたしはニュースキャスターなの!ネタにもなるんだから!」
「そういうのが……心配なんだ!僕は……僕は、ただの窓口係だし、度胸もないし頼りないし髪の毛もないけど!でも、凛の夫だ!」"
もふパーからの帰り道。石山通りは少し混んでたけど、純くんは抜け道に入ったりしないで、のんびり、いつも通りの安全運転で、誰かに煽られたりもせず、平穏に帰ってきた。凛ちゃんは、帰りは下り坂だから!って言って、マイメロを前カゴに乗せて立ち漕ぎで帰った。何しに来たのかな。
純くんは帰り道もずっと優しい微笑みのままで、途中で藻岩のイオンでたくさん買い物したけど、重たいのに全部持ってくれて、純香もとても機嫌が良くて楽しそうで、晩ご飯もテイクアウトにして。
すごくのんびりした、いいおやすみになった。平和な、家族のおやすみ。
"「あのトラック……カフェで待ち伏せしてたの?潤!停まって!運転代わるから!」
潤はアクセルを緩めなかった。
「……僕だって……凛を守ってみせる!」
スピードが上がった。この先は直角カーブだ。
「ちょっと潤!何する気!」
トラックもスピードを上げ、すぐ後ろまで迫ってきた。ぶつかりそうなくらい。
「つかまって!」
「潤!」
直角カーブ。潤は急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切った。もちろんシートベルトはしてるけど、身体が振られて、ロードスターが左側の壁にぶつかりそうなくらい近づく。
……でも、怖くなかった。ロードスターはぶつからずにカーブを曲がって加速した。後ろですごい音がして振り返ると、トラックが壁に激突していた。
潤……潤の左腕は、私の体を庇って支えてくれていた。かすかに震える腕で、私を守ってくれた。
潤……私の旦那様。
私の、勇敢な騎士。"
……こんな、とってつけたようなドラマチックなことなんかなにも起こらない。
でも、それがいい、その方がいい。
穏やかで、優しくて、安心できるわたしの家族。
……それだけで、いいよね?




