11 また迷って
「スミカー!カナコ!」
キキーッっと自転車が止まった。
「りんちゃん!うさちゃん!」
凛ちゃんは、前カゴからウサギを抱き上げた。大きくて真っ白で、赤い目をしたウサギ。
「マイメロ!返してもらっちゃったぁ!」
すっかり忘れてた。まだ純くんにも話して——
「きゃはは!ぴょんぴょん!」
「うん、ぴょんぴょんだよぉ!」
凛ちゃんがウサギを両手で抱いたまま自転車を降りた。自転車が倒れる。慌てて純香を抱き寄せた。
「ん?マイメロは怖くないよぉ?」
ウサギを地面に降ろした。というかウサギが飛び降りた。
「スミカ!触ってみて?ふわふわー!」
ウサギはおとなしく地面に座って動かなかった。鼻をヒクヒクさせて。純香がわたしを見る。
「ママー。いーい?」
「ま……待ってね、純香……ばっ……ばっちい、から……」
「ばっちい?ちょっとぉ。マイメロはきれいだよぉ?」
「あ……でも、動物だし……ば、ばい菌とか……」
「はあ?……ったく、人間って細かいねぇ……だいじょぶだってば」
純香は上目使いでわたしを見てる。ちょっと茶色っぽい黒い瞳。純くんに似てる目……やだ。そんな目で見ないで——
いきなり、白いふわふわの毛の塊がわたしと純香を遮った。もさっと。
「ほらぁ!かわいいでしょ?キャハハッ!」
凛ちゃんがウサギを純香とわたしの隙間に突っ込んで笑った。天使みたいな笑顔で。
「——それでさぁ。その社長さん、あたしのオネガイ聞いてくれちゃった!お金もいらないって!」
わたしたちは少し歩いて団地から離れ、五輪記念公園のベンチに座って、凛ちゃんの話を聞いていた。純香はマイメロを撫で続けてる……あとで、しっかり手を洗わなきゃ。
「そう……良かったね……」
「んー?カナコ、話聞いてなくない?」
「え?き、聞いてるよ?お金……」
「むー。まあいいけど?カナコがお金用意してくれるって言ってたからぁ、もういらないって言いに来た。それだけだし?」
「うん……わざわざありがとう……」
「ジュンくんにも相談してくれたんだっけ?生殖してから」
「せ……生、殖……そんなことしてない……したくないよ、もう……」
「あっそ。まあしたい時にすればいんじゃね?生殖って楽しい?」
……なにこの子。こんな……ずけずけと。純香を抱き上げ、立ち上がった。
「純香。おてて洗いに行こっか」
「ん?なんか怒った?」
「いやー!マイメロー!」
純香が駄々をこね始めた。
「やだー!もっとー!」
泣き出した……ため息が出る。仕方なく、また腰をおろした。
「マイメロも、スミカと遊びたいってさぁ!」
凛ちゃんがウサギの手を持って、スミカにちょいちょいと触った。
「きゃははははっ!マイメロ!」
純香が笑い出す。心から嬉しそう。
わたし。どうしちゃったの?もうわかんない……純香が笑ってる。こんなに。それでいいかな。
わたし……凛ちゃんに、聞いて欲しいのかな。純くんが変だって、相談したいのかな。15歳の、まだ全然よく知らない女子高生に。そんなこと。
誰かに聞いて欲しい?そうなのかな。小説の中なら、それが自然だよね、たぶん。そうした方がいいのかな。わかんない……けど。
「なあに?あたしかわいい?」
無意識に、凛ちゃんの顔をじっと見てた。目を逸らして俯いちゃう。
「……あの……聞いてもらって……いいかな」
話しちゃった。純くんのこと全部。事故のこと。鹿のこと。変なこと。
凛ちゃんはちゃんと聞いてくれた。うん、とか、へー、とか合槌打つ以外は口を挟まないで、真剣に聞いてくれた。
「あと……寝言なんだけどね?毎日じゃないけど……ときどき……あや、って……」
「あや?」
「うん……何回も聞いちゃったから、間違いないんだ……女のひとの、名前だよね……」
「あや……あや取り。怪しい。AyaSofya」
「え?」
「Ayala。Äijätär。Ayahuasca……アヤで始まる言葉なんかいっぱいあるけどぉ?女の名前とは限んないよ?」
「そ……そうなんだ?すごいね、凛ちゃん……いろんな国の言葉——」
「אַיָּל。たぶんこれかなぁ」
「な……何語?」
「アヤール。ヘブライ語」
「ヘブライ語……そ、そう?なんでそれなの?どういう意味?」
「鹿。牡鹿だから」
「鹿……どういうこと?」
凛ちゃんは黙って団地を見上げてる。わたしの家の方を。
「……凛ちゃん?」
「反応しないなぁ……カナコ!おうち行こ」
「え?」
「呼びかけたけど反応ないんだよねぇ。虹彩絡めるかぁ」
……またわけわかんないこと言い出した……呼びかけ?反応?虹彩……絡める??
凛ちゃんはさっさとマイメロを抱き上げ、団地へ入っていく。
「ま、待って!」
わたしも純香を抱き上げた。
「おーい。鹿オタクー。こんにちわぁ」
「凛ちゃん?!ちょっと——」
うちの鍵はかかってなかった。わたしが出る時、かけなかったからそのまま。凛ちゃんは勝手にどんどん入っていく。
「おーいたいたぁ。キャハハッ!寝てんの?」
純くんはベッドにいた。お布団にくるまって。
「じゅ、純くん——」
「……おい。寝たフリ?スリエルさんだよぉ?」
「凛ちゃん?!ちょっと待って——」
凛ちゃんがお布団を引き剥がした。純くんは……寝てる。縮こまって。
「……純くん?」
凛ちゃんの横から覗き込む。寝てる。
「純くん?大丈夫?具合悪いの?」
「パパー。おねむー」
「ちっ」
凛ちゃんが舌打ちした。大きな音。
「ご……ごめんなさい……」
「なんでカナコが謝んのぉ?」
「え……だって……」
「まあいいや。別に、来ちゃダメってわけじゃないしぃ。誰だか知らないけどぉ、あたしには関係ないかぁ……迷惑かけないでねぇ?」
凛ちゃんは振り向いてリビングに戻った。
「カナコ!カレー食べたい!カレー!」
「あぁ……これこれ。ヤバすぎ……」
凛ちゃんはカレーに夢中……もう純くんのことはチラ見さえしない。
「……あの。凛ちゃん?聞いても、いいかな……」
「んぐ?なふぁにい?」
「純くんのこと……前から知ってるの?」
マイメロも……どうやって、返してもらったんだろう?20万円必要って……じょしこうせい……まさか、パパ活……まさか……純くんも?
凛ちゃんがゲップをした。
……考え過ぎかな。やっぱり。
「ジュンくん?知ってるよ?カナコが教えてくれたから。……あれ?そういうことじゃなくて?」
「い、いや……なんでもない!」
「?……まあ、なんかあったらまた教えて?おもしろそうだし!……あー、恩返しもしたいし?」
凛ちゃん……この子も、よくわかんない。
「とりあえず……あたしは、用が済むまでもうちょいこっちにいるからさぁ!」
「え?凛ちゃんどっか行っちゃうの?お引越し?」
「……お引越しかぁ。まあそんなとこかな!」
それから、凛ちゃんはまた地獄とか転生とかの話を始めた。
……それどころじゃないんだけど。
マイメロはニンジンを食べた。
純香は寝かしつけた。
ベッドじゃなくて、スミカマットで。




