↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
牡鹿の夢  作者: redzou
10/18

10 迷って

【2026年9月18日(金)札幌市南区真駒内】

「明日、洞爺湖行くから」

「……洞爺湖?……えーっ?!」

 シルバーウィークだから?びっくりした!すごい!嬉しい……嬉しいけど、明日?また急に。でも嬉しい!

「レンタカー?ホテルどこ?もう予約したの?」

「え?うん……総務の人が予約してくれたはずだけど?」

「ええ?役所の人にお願いしたの?……いいの?そんな……でも嬉しい!」

「今度は、新しい服とか買わなくていいからね。ぼくはいつもの服でいいし」

「えー?うん……また、あのワンピースでもいい?純くんが選んでくれた——」

「え?カナコも行くの?」

「……え?」

 鹿の研修旅行の話だった。

 


【9月19日(土)】

"潤はネクタイを緩めると、私に背中を向けて、ベッドに腰をおろした。

「……君が……世界中の人から非難されたって、僕は味方だから。それだけは忘れないで」

「……うん。わかってるよ」

 抱きついたその背中は、いつもより広く感じた。"


 ……はあーーー。

 このくらいまでなら、すらすら書けるんだけどなあ……。このあと、夜の描写はすっ飛ばしちゃったけど、そんなシーン書けないよ……。してたら、書けたかも?


 火曜日の夜……送別会の夜。

 夜中に帰ってきたと思ったら真っ直ぐベッドに来て……寝たふりしてドキドキしてたら、ただいまも言わないで寝ちゃった。


 ……もうずっと、してない……純香を授かってから。いや、別にそれはいいんだけど。わたしは、そういうことしたいって……あんまり、思わないし。純くんも、そういう話したこと……ないし。 

 そして今朝、純くんはひとりで行っちゃった。


"「——可哀想だなぁ……」

 私にハンドルを譲って助手席に体をずらしながら、潤がボソボソ呟いた。

「なにが?」

「あれ。トイプードル。あんな派手なピンクにされて……本人は絶対嫌がってるよね」

 潤が見てるのは、今日の収録でスタジオに来ていた、ショッキングピンクのトイプードルだった。

「うん、まあ確かにあの色はね。でも犬の気持ちなんてわかんなくない?元気だったし、飼い主さんも喜んでたよ?」

「……飼い主さんは、でしょ?」"


 わたしの書いた潤は、純くんそのまま。もちろん、セリフとかは小説らしくカッコよくしてるけど。

 周りの人たち、それどころか犬の気持ちまで考えちゃう。

 わたしに対してだってそうだった。


 純くん……わたしは純くんのことばかり考えてる。もちろん純香のこともだけど、純香はわたしの身体の一部みたいな感じだから……純くんは違う。

 7年。わたしが知ってるのは、16歳からの7年だけ。純くんの人生の、3分の1未満。


 スマホをテーブルに置いて、まだ寝室で寝てる純香をのぞいた。

 

『お願い……ぼく、働くから!絶対、香奈子さんと……お腹の、ぼくたちの子ども、幸せにするから!だから……』

 2人ともわんわん泣いた。あれが結局、プロポーズになっちゃって。

 純くんのデスクに飾ってある、純香とわたしの写真。真っ赤な顔して、猿みたいな純香と、髪もなにもぐちゃぐちゃだけど、笑ってるわたし。

 

 プリントが一枚、デスクの上にあった。 

『壮瞥町 グルメマップ』

 純くん、忘れてったのかな。ご飯ならスマホとかでも探せるし、いらなかったのかも。純くんらしい——

『絶品!エゾシカバーガー!』

 ——嘘でしょ。こんなの、純くんは絶対食べない。

 ……食べない……よね?

 わたしが知ってる純くんなら食べない。

 でも、今の純くんは?

 ……出会う前の……純くんは?


 エゾシカ……鹿。

 なんで急に、鹿オタクになったんだろう。それとも、前から?わたしと知り合う前から?

 あの事故。ぶつかる前に、純くんは鹿だってわかったのかな。わたしはわからなかった。そのくらい突然飛び出してきた。その後は病院で目を開けるまで、純くんは意識がなかった。

 鹿とぶつかって、その鹿はたぶん死んじゃって……だからかな。鹿がかわいそうだから?それとも——

『絶品!エゾシカバーガー!』

 ——鹿が怖くなったから?それとも憎いとか?怒ってる?

 怒ってはいないよね。悪口言ったり怖い顔したりしてない——


 待って?わたし……わたし、知らない……純くんの怖い顔?悪口言ってるとこ?……怒ってるとこ……見たことない。わたし、純くんが怒ったらどうなるのか……知らない——


 突然空気が薄く感じた。胸……息が苦しい。心臓がバクバクする……空気……苦しい、吸わなきゃ……息、しなきゃ……息……吸って……吐いて……。

 純香……純くん……純香。純香。

 耳がキーンってなって、部屋が暗くなった。揺れる。ベッド。純香……ベッドに手をついて、純香の横に倒れ込んだ。

「——ママー。おはよ」

「……すみ……か。純香……おはよう……」

 ゆっくり呼吸して、純香の髪を撫でた。

 少し、落ち着いた。


 純くんが、夜になっても帰ってこない、明日にならないと帰ってこない。だからかな。寂しいからかな?

 今日はもう、変なこと考えないようにしよう……純香。純香のことだけ、考えよう。


 明日、純くんが帰って来れば、またきっと。

 安心して、元通りになる。



【9月20日(日)】

 エゾシカジャーキー。エゾシカサラミ。エゾシカウインナー。エゾシカハム。

 エゾシカハンバーグ。

 純くんのおみやげ……エゾシカだらけ。

「パパー!おにくー!」

「これ、美味しかったよ。パンある?」

「……あるけど」

「よし!エゾシカバーガー作って、カナコ!」


『……は?ざけんな!てめえが作れ!』

 凛なら……絶対キレる。でも、わたしは。


「……食パンしかないから……サンドイッチならすぐ……」

「なんでもいいよ!肉が美味しいんだから」

「……そう……なんでもいいのね……」

 泣きそう……どうしよう……嫌だ。泣きたくない……。

「……待ってて。パンズとか、買ってくるね……」

「そう?じゃあ待ってる。楽しみ!」

 

 わたしは純香を連れて、家を出た。

 家に、いたくなかった。


 どうするか、何も考えてなかった。考えられない。こうしたい、じゃなかった。ただ、家に……純くんといるのが……怖い?

 どうして?

 なにかされたわけじゃない。ただバーガー作ってって。ただそう、おねだりされただけ。なのに……なのに、なにが怖いんだろう?

 悲しい?辛い?

 なにが?


 あの人が怖い。

 顔も声も……あの人は、純くん。でも……わたしが知ってる純くんなら、あんな……なに?わたしが知ってる純くん?わたしは純くんのこと、全部知ってるの?

 この7年のことなら知ってる。わたしの純くん……ほんと?

 

 純香の2年間は知ってる。片時も離れたことがないんだから。ほんとに、一瞬たりとも。でも純くんは……高校では放課後、同好会で。付き合い始めてからだって、放課後や休みの日だけ。わたしが卒業してからは、週末だけ。結婚してからだって、純くんが仕事に行ってる間のことは……何も知らない。

 当たり前。でも、知らない、一緒じゃない時間の方が長い……純香とは違う。


 そんな人と……わたしは2年間、毎晩同じベッドで寝てた。結婚したんだから当たり前。夫婦ってそういうもの。

 ……ほんと?


 お母さんとお父さん……何十年も一緒に、同じ家で暮らしてる。とっても仲がいい、とかじゃない。よくケンカもしてたし、昔、お母さんは何度か、わたしをおばあちゃんの家に連れてった。

 そんなの普通。当たり前。離婚話なんて聞いたことないし、よその家よりはずっとマシ。

 ……ほんとにそう? 

 

 当たり前、普通……なんのことかわからない。

 わからない……純くんが……あの人がわからない……怖い。 


「マーマー。いたいー」

「ご!ごめんなさい!」

 純香の手を、強く握り過ぎていた。

「おさんぼー。パパは?」

 純香の顔を見れない。

「……パパは——」

「あーっ!!」

 急に、純香が駆け出そうとした。まだしっかり手を掴んでいたので、引っ張られる。

「きゃははっ!」

 純香が明るく笑いながら、わたしをぐいぐい引っ張った。

 

「うさちゃん!りんちゃん!」

 そこには、自転車を漕いで走ってくる凛ちゃんがいた。

 前カゴに、大きな白ウサギを乗せて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。