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第9話 悪評は、正しく使えば宣伝です

朝の劇場事務所に、セバスチャンの切羽詰まった声が響いた。

「座長! 魔法掲示板《声の広場》に、我が劇団への辛辣な意見が投稿されています。しかも、発信者はあの辛口で有名なヴィオラ・レイン伯爵令嬢です!」


セバスチャンが慌てて広げた通信晶石の投影板には、昨日の初演を見たヴィオラからの長文が映し出されていた。

『古典を喜劇に落とし込んだ大胆な改稿手腕と、役者の魅力を引き出した演出は評価に値する。……しかし、第一幕で使われた籠や小道具の粗末さ、場面転換時の照明の遅れは、王立認定劇団の格式を名乗るにはあまりにもお粗末。悔しいが、改善されているか次も観る』


「なんという厳しい言いよう……。すぐに王立文書院へ掛け合って、この投稿を目立たないように隠蔽する手続きを取りましょう。初演が満席で好調な滑り出しを見せたというのに、こんな悪評が広まっては、今日の二回目の公演に響きます!」

セバスチャンが青ざめた顔で言うと、事務所に集まっていた劇団員たちも不安そうにざわめいた。

だが、私は投影板の文字をじっと見つめ、静かに首を振った。


「隠しません。玄関にも、《声の広場》の公式枠にも全文を載せます」

「なっ、全文転載!? 自ら劇団の恥を晒すおつもりですか!」

「書かれたことは事実です。先に認めて、直した時刻まで掲示します」


私はすぐに羽ペンを取り、ヴィオラの投稿に対する公式の返答を書き殴った。

『ヴィオラ・レイン様、率直なご意見に心より感謝申し上げます。ご指摘の通り、小道具の劣化と場面転換の遅れは当劇団の落ち度です。本日の第二回公演までに小道具を新調し、照明の転換を三秒短縮いたします。改善された舞台を、ぜひ再びその目でご確認ください』


書き上げた文面をセバスチャンに渡し、掲示塔へ手配するように指示を出す。

「ノエル、トーマ。聞いた通りです。今日の開演までに、転換のタイミングを修正してください」

「わ、わかった! やってみる!」

私の迷いのない指示に、劇団員たちは不安を払拭し、持ち場へと走っていった。

開演前、私は交換した籠と転換時刻を玄関へ並べた。


数時間後。

掲示を見た客の中には、粗末な小道具だったのかと帰る者もいた。それでも「直した物を見比べたい」と列に加わる人の方が多く、二回目の公演も二百四十席が埋まった。


舞台は、昨日よりもさらに洗練されていた。

小道具は新調され、ノエルの照明はトーマの装置と完璧に息を合わせ、三秒の短縮を見事に実現してみせた。

幕が下りた瞬間、昨日以上の歓声と拍手が劇場を包み込んだ。

「ミーシャ! エリック! 最高だ!」

観客は立ち上がり、役者たちの名前を喉が裂けんばかりに叫んでいる。

その熱狂は、劇場の中だけにとどまらなかった。


夜。私が事務所で《声の広場》を確認すると、観劇板にはフォンテーヌ座の話題が続いていた。

『エリックの笑顔がたまらない! 私の贔屓だ!』

『ミーシャを応援したい! 彼女の演技をもっと見せてくれ!』

役者個人に対する熱烈な感想が次々と書き込まれ、その中に、私が前世で何度も目にした懐かしい言葉が躍り出た。

『私もミーシャを推す!』

『推し、か。いい言葉だな。俺の推しは断然エリックだ!』


推し。

私が内心で使っていたその言葉を、誰かが文脈から感じ取り、熱狂とともに使い始めたのだ。

さらに、投稿の波は私にまで及んでいた。

『あの座長、批判から逃げずに舞台を良くしたな』

『ああ。役者を推して、世へ出す令嬢だ』

『推し活令嬢、ってところか』

『推し活令嬢か。ぴったりだ!』

顔も知らない匿名の観客たちが、私にそんな奇妙な、けれどひどく温かい名前をつけてくれた。

(推し活令嬢……)

私は投影板を見つめながら、小さく苦笑した。


その夜。

私は自室の机に向かい、たった一人だけ名前を知っている「匿名の後援者」へ向けて、初めて自分から手紙を書いていた。

昨日、私の目立たない仕事を肯定し、袖に立つ私に最大の拍手を送ってくれたKへの返信だ。

羽ペンを握る指先が、少しだけ震える。


『K様。お手紙、何度も読み返しました。

舞台袖まで見てくださったことが、嬉しかったです。』


そこで筆が止まった。

今日、二回目の満席を達成し、役者たちは疲労しながらも充実した顔で笑っていた。

けれど、その笑顔を見るたびに、私の心の奥底に冷たい恐怖が這い上がってくる。

前世で、売れないグループを必死に引っ張り上げようとして、自分と仲間の限界を見誤り、舞台袖で倒れたあの日の記憶。


『でも、本当は少し怖いのです。』


私は、誰にも言えなかった、Kにしか書けない弱音を、便箋に零し落とした。

『成功すればするほど、皆に無理をさせてしまうのではないかと。

だから、私の判断が間違っていたら、褒めるだけでなく教えてください。』


私はそこで筆を置き、深く息を吐き出して便箋を封筒に納めた。

弱音を吐いてしまった。こんな手紙を読めば、呆れられるかもしれない。

それでも、私の奥底にある恐怖を、彼になら聞いてほしかった。


翌朝。

三公演目も前売りで完売し、劇団が活気に満ちている中。

事務所の扉が乱暴に蹴り開けられた。

「ごきげんよう、リゼット。随分と景気が良さそうじゃないか」


冷ややかな声とともに現れたのは、ジュリアンだった。

彼の背後には、見慣れない黒衣の男が控えている。胸元には、王立公証人のバッジが光っていた。

「ジュリアン様……。何の御用でしょうか」

私が警戒して立ち上がると、ジュリアンは勝ち誇ったような、底意地の悪い笑みを浮かべた。

「お前たちが連日満席だと聞いて、正当な権利を主張しに来た」

彼は公証人に顎でしゃくり、一枚の仰々しい書類を私の机に叩きつけさせた。

「その『恋するパン屋と秘密のレシピ』の脚本は、俺との婚約期間中に、お前が俺の助言を受けて改稿したものだろう? つまり、その脚本権は俺たち二人の『共同財産』だ」


「なっ……!?」

セバスチャンの口が、驚きに半ば開いた。

「助言など、ただの一度も受けた覚えはありません! 貴方は初演を嘲笑しに来ただけでしょう!」

私が声を荒らげると、ジュリアンは薄ら笑いを崩さずに言った。

「証拠はあるのかい? 婚約期間中の成果物は、原則として両者の共有となるのがこの王国の法だ」

彼は私の机に両手をつき、顔を近づけてきた。

「今すぐ、これまでの興行利益の半分をよこせ。さもなくば、共同権利者として、明日の公演から『恋するパン屋』の上演を差し止める」


悪評を乗り越え、満席の熱狂を作り上げた私たちの舞台の前に、今度は理不尽な法律の壁が立ちはだかっていた。


【本日のフォンテーヌ座収支】

借金残高:10,000,000リル

【座長業務日誌】

二回目公演完売。観劇板にて『推し活令嬢』の呼称を確認。Kへ初めて返信を書く。元婚約者より脚本権の不当な主張あり。

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