第10話 その脚本は、あなたのものではありません
「上演差し止め、ですか」
私は机に叩きつけられた書面を一瞥し、ふっと冷たく笑い返した。
「結構です。当劇団は、権利関係を曖昧にしたまま舞台の幕を上げるつもりはありません」
勝ち誇った顔で胸を張るジュリアンと、背後に控える王立公証人。彼らは私が裏で手打ちにし、利益の半分を泣く泣く差し出すと思っていたのだろう。
だが、前世の芸能界でも、ヒットした途端に無関係の人間が「あれは自分が育てた」「権利は自分にある」と湧いてくるのは日常茶飯事だった。だからこそ、プロのマネージャーは常に「記録」で武装する。
「ただし、この密室で脅しに屈するつもりはありません。正当な権利を主張なさるなら、明日の朝、法務局の『公開調停』の場ではっきりと白黒つけましょう」
翌朝。王都の中心にある法務局の公開調停室は、異様な熱気に包まれていた。
私が事前に魔法掲示板の《声の広場》で「上演差し止めの申し立てにより、本日の公演が中止になる可能性があります。経緯は公開調停で明らかにします」と告知したためだ。
傍聴席には、昨日と一昨日の満席公演を見た観客たちや、辛口観劇評で知られるヴィオラ・レイン伯爵令嬢、そしてジュリアンが初演に連れてきていた貴族仲間の令嬢たちの姿まであった。
中央の長机を挟み、私とジュリアンが向かい合って座る。劇団側からは、証人としてミーシャとセバスチャンが同席していた。
「それでは、申し立て人。主張をどうぞ」
恰幅の良い調停人の言葉に、ジュリアンは大仰な身振りで立ち上がった。
「あの『恋するパン屋』は、婚約期間中に私が与えた助言で完成したものです。いわば共同財産。にもかかわらず、婚約解消後は利益を独占している。これは権利侵害だ!」
傍聴席がざわめく。
「フォンテーヌ座座長。反論はありますか?」
調停人に促され、私は落ち着いて立ち上がった。手元にあるのは、分厚い書類の山だ。
「彼の主張は全て虚偽です。ここに、改稿日誌、舞台装置技師との打ち合わせ記録、役者別の稽古記録、そして旧婚約契約書を提出します」
私は証拠書類を一つ一つ、調停人の前に並べていく。
「日誌には、改稿の着想日時、変更した台詞の一言一句に至るまで、誰がいつ提案したかを全て記録してあります。ジュリアン様のお名前は一行たりとも存在しません。また、婚約契約書にも、劇団の財産を共有するという文言は含まれておりません」
「そ、そんな紙切れ、後からいくらでも捏造できるだろうが!」
ジュリアンが顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺は確かに助言した! 平民のパン屋を主役にするアイデアも、あの最大の感動シーン……主人公がヒロインに愛を告白する最高の場面も、俺の感性から生まれたものだ!」
彼のその言葉を待っていた。私は冷徹に問い返す。
「ジュリアン様。貴方が考案したとおっしゃる、その『最高の告白シーン』。主人公は、舞台上で『何』まみれになって告白したでしょうか?」
ジュリアンは一瞬、言葉に詰まった。
「はっ……そ、それは……」
彼は初演の日、客席で孤立した気まずさと怒りから、舞台などまともに見ていなかったはずだ。改稿前の台本すら読んでいない彼が、現場の演出を知る由もない。
「……感動的な愛の場面なのだ! 当然、美しい花びらか、魔法の光の粒か何かに決まっているだろう!」
自信満々に言い放ったジュリアンに対し、傍聴席から「ぶっ」と吹き出すような失笑が漏れた。
「……呆れて言葉も出ないわね」
私の隣で、ミーシャが静かに、だが劇場中に響き渡るよく通る声で立ち上がった。
「粉よ。小麦粉まみれで、無様に這いつくばって告白したのよ」
「なっ、こむぎ、粉……?」
「ええ。美しさなんて欠片もない、土埃まみれで最高の喜劇よ。貴方は自分の目で見てすらいない。……見てもいない人に、私たちの舞台は渡さないわ」
ミーシャの凛とした宣告に、傍聴席の観客たちが次々と頷いた。
「わたくしたちも、初演の日にジュリアン様と同席しておりましたの」
傍聴席の最前列から、ジュリアンが連れてきていた貴族令嬢の一人が声を上げた。
「あの素晴らしい告白の場面で、ジュリアン様はずっと下を向いて、早く帰りたいと愚痴をこぼしておられましたわ。あれで『自分が考案した』などと、よく言えたものですわね」
ヴィオラ伯爵令嬢も、扇をパチンと閉じて冷ややかに言い放つ。
「王立認定劇団の舞台を不当に私物化しようとするなど、貴族の恥ですわ」
傍聴席の視線を浴び、ジュリアンの顔から血の気が引いた。
調停人が木槌を鳴らす。
「静粛に。……提出された記録の正確性、ならびに複数の証言から、申し立て人の主張は虚偽であると認定します。脚本の権利はフォンテーヌ座に帰属する。また、ジュリアン・ボーモン氏には、虚偽申し立てによる悪質な営業妨害として、相応の賠償を命じるものとします」
私は書類を丁寧にまとめた。勝敗を告げるのは言葉ではなく、調停人の公印だった。
私たちが法務局の外へ出ると、そこには知らせを聞いて駆けつけたトーマやノエルたち、裏方の劇団員たちが待っていた。
「座長! やりましたね!」
エリックが高々と掲げていたのは、大きく『次公演完売』と書かれた木札だった。
「ああ。騒ぎを聞きつけた客が、かえって興味を持って窓口に殺到したんだ。今日の公演も満席だぜ!」
満面の笑みを浮かべる劇団員たちを見て、私はようやく肩の力を抜いた。
「お、おい! 待ってくれ、お前たち!」
背後から、情けない声が聞こえた。法務局からよろよろと出てきたジュリアンが、かつての貴族仲間たちにすがりつこうとしていた。
「俺と一緒に帰ろう。あんな安芝居の劇団、もう放っておいて……」
しかし、令嬢や青年たちは彼の手を冷たく払い除けた。
「触らないでくださる? 虚偽の申し立てで舞台を止めようとするなんて、最低ですわ」
「俺たちはこれから、フォンテーヌ座の最高に面白い喜劇を観に行くんだ。お前とはここでお別れだ」
友人たちはジュリアンに背を向け、完売の札が掲げられた私たちの劇場へと、楽しげな足取りで向かっていく。
春の陽光が降り注ぐ大通りの真ん中で。
脚本への請求も、一緒に笑ってくれる仲間も失い、ジュリアンだけが誰にも振り向かれず立ち尽くしていた。
私は彼に同情する気など微塵も起きない。
ただ前を向き、私を信じて待つ満席の客席へと歩き出した。
【本日のフォンテーヌ座収支】
借金残高:10,000,000リル
【座長業務日誌】
公開調停にて脚本の単独権利を証明。虚偽申立てによる営業妨害を退ける。本日も満席にて開演。




