表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/37

第27話 封印された母の戯曲

「セバスチャン。この戯曲、王室の秘密や魔法の禁忌が書かれているわけではありませんね」


休演日の午後。私が机の上に広げた古い台本から顔を上げると、舞台監督のセバスチャンが静かに頷いた。

彼が旧舞台の床下から持ち出してきたのは、先代が文化評議会から『封印』を命じられたという幻の戯曲『星の継承者』だ。そしてその作者は、クラウス殿下の亡き母である、第二妃セレスティア。


私は午前からそのページをめくり、一つの事実に直面していた。

政治的な陰謀や王位継承の秘密など、どこにも書かれていない。そこに描かれていたのは、権力によって劇場を奪われた名もなき役者たちが、自分たちの足で立ち上がり、観客の拍手だけで再び舞台を取り戻すという、熱い物語だった。

「『芸術は貴族の所有物ではなく、すべての人々に開かれたものである』。アストリア王国の建国文化憲章に記されたその理念を、見事に物語化しています。……だからこそ、マルセル公爵はこれを封印したのですね」


「左様です。妃殿下は元々、平民出身の旅芸人であられました。その彼女が、才能は血筋や身分で決まるものではないと公に謳い上げることは、文化の独占を図る評議会にとって、あまりにも危険な思想だったのです」

セバスチャンが苦々しげに語る。

文化評議会は、格式という見えない壁を作り、自分たちの息のかかった劇団にだけ補助金を回している。観客が自らの意思で舞台を選び、熱狂するような自由な市場が生まれれば、公爵たちの権威と利権は崩れ去ってしまう。

だから彼らは、この物語を物理的に封じ込めた。


「ですが、本当に恐ろしいのはこの物語そのものではありません」

私は台本の中盤、第二幕のページを開き、余白にびっしりと書き込まれたインクの文字を指差した。

「セバスチャン。この台本の復元を試みていたのは、アルベルト財務卿の亡き妻、エレノア様でしたね」

「はい。エレノア様は優れた劇作家でしたが、評議会の意に沿わなかったため、不遇な扱いを受けておられました。……その乱筆なメモ書きが、どうかしましたか?」

「これは、舞台の立ち位置や照明の指示キューではありません」


私は、前世のマネージャー時代に嫌というほど見慣れた、経理や倉庫管理の文字列の法則をそこに読み取っていた。

「『B区画の三十四』『第四年度・帳簿丙』『控除額・七割』……。帳簿か保管箱の参照番号に見えます。先ほどの安全検査費とつながるかもしれませんが、中身を見るまでは不正の証拠とは呼べません」

「なっ……! エレノア様は、劇作家として干されながらも、一人で評議会の不正を追っていたというのですか!」


「ええ。少なくとも、評議会が触れたがらない『封印戯曲』の余白なら、参照番号を残しても見つかりにくいと考えたのでしょう」

私は背筋が寒くなるのを感じた。

アルベルト財務卿は、芸術は腹の足しにならないと冷酷に切り捨てながらも、亡き妻の過去を語る時にだけ、深い後悔の表情を見せた。彼はおそらく、妻が一人でこんな危険な調査をしていたことなど知らなかったのだ。


「これで、マルセル公爵の不正を暴くことができます! 座長、すぐにこの番号を……」

セバスチャンが身を乗り出すが、私は台本の最後のページをめくり、力なく首を振った。

「駄目です。この番号は、途中で途切れています」

「えっ?」

「暗号の核心部分、つまり『どの建物の書庫なのか』を示す一番重要な情報が書かれていません。……いえ、書かれていないのではなく、この台本自体が第二幕の途中で終わっているんです」

私が破り取られたような不自然なページの終わりを示すと、セバスチャンの顔が青ざめた。


「申し訳ありません、座長。……先代が保管していたこの台本は、これで全てなのです。エレノア様が復元作業のために台本の後半部分を持ち帰られた直後、彼女は急死され……そのまま、後半の台本は返却されなかったのです」

「エレノア様が持ち帰って、そのまま亡くなった……」

私はその言葉を反芻し、ハッと顔を上げた。

「セバスチャン! エレノア様が急死されたのなら、彼女の遺品を整理したのは、ご家族のはずです」

「ということは……!」

「ええ。台本の後半は、夫であるアルベルト財務卿の手元に、今も残されている可能性が高いわ」


補助金を打ち切りに来た冷徹な男の執務室に、公爵の不正を暴き、文化を解放する最大の証拠が眠っている。なんという皮肉だろうか。

だが、希望は見えた。アルベルト様に私が提出する予定の「新制度案」とともに、この事実を突きつければ、彼を完全にこちらの味方に引き入れることができるかもしれない。


「座長。仮にアルベルト卿から台本の後半を譲り受けたとしても、この断片的な参照番号だけで、王都のどこに隠された帳簿を見つけ出すのですか? 王宮や文書院の内部構造を完全に把握し、過去の記録にアクセスできる権限を持つ人間がいなければ、暗号の解読は不可能です」

セバスチャンの冷静な指摘に、私は言葉を詰まらせた。


王立文書院の構造を隅々まで知り尽くし、過去の条例や歴史に精通している人物。

そして、文化評議会側へ寝返らない、信頼できる人間。


私の脳裏に、灰色の外套を着た、あの不器用な青年の姿が浮かんだ。

王立文書院副院長、第二王子クラウス・フォン・アストリア。


「……彼の力が、必要だということですね」

私はぽつりと呟き、自分の机の引き出しに視線を落とした。

そこには、私が突き返して以来、ピタリと止まってしまったKの手紙の束が入っている。


私が怒っている理由を理解し、私の自立を邪魔しないために、彼は審査から身を引き、契約を公開し、そして私との接触を一切絶った。

彼の「介入しない」という選択は、最大限の誠意だった。だが、私にとっては、最も心細い空白の時間だった。

(私のためだと言いながら判断材料を隠したこと……まだ、完全に許したわけじゃないわ)


私はまず、一般窓口で閲覧できる区画図と旧保管規則の請求書を書き、セバスチャンへ渡した。公開資料だけで解けるところまでは、自分たちで進める。それでも、時代ごとに変わった分類法を結びつけるには専門家が要る。


その隣に、真っ白な便箋を一枚置いた。

私が彼を拒絶したのだ。彼から声をかけてくることは、もう二度とないだろう。

ならば。

「……今度は、私から手紙を書きます」

「座長。それは……クラウス殿下に、助けを求めるということですか」

「いいえ。『助け』を命じるのではありません。彼には専門知識があり、私たちには現場の記録がある。協力するかどうかを選べる、対等な調査契約を提案します」


私は強がってそう言い切ったが、表情とは裏腹に違う感情が渦巻いていた。

本当は、ただ彼と話がしたかった。

私が書いた弱音を誰よりも正確に読み取り、満席の客席の中で一人だけ立ち上がってくれた彼に、この途方もなく巨大な敵と戦うための『隣』にいてほしかったのだ。

「許しと、必要な協力は分けます。それに……このまま彼を大人しく傍観させておくのは、私のマネージャーとしての性分が許しませんから」


私は静かに、だが確かな覚悟を持って、羽ペンをインクに浸した。

宛名には、匿名後援者のKでも、研究員のカイでもなく。

ただ一人の男性の実名を、宛名としてはっきりと書き記した。


【本日のフォンテーヌ座収支】

借金残高:6,800,000リル

【座長業務日誌】

『星の継承者』の余白にエレノア氏が残した帳簿の参照番号を発見。後半部分はアルベルト卿の元にあると推測。クラウス殿下の実名を宛名に記し、解読協力の要請を検討する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ