第23話 王子抜きで、勝ってみせます
「明日より、王都中心区での興行を全面禁止とする……。そんな、連日満席で借金も返せる目処が立ってきたというのに、ここでお仕舞いなんて……っ」
薄暗い劇場事務所で、セバスチャンが頭を抱えて座り込んだ。
文化評議会議長マルセル公爵の署名が入った『王立認定の一時停止予告』。その名目は「王族による不適切な私的介入および資金援助の疑い」だった。
私がクラウスの正体を知り、彼を文書院に置いてきた直後の出来事。公爵は、王子の身分隠しという政治的に敏感な事実を、事情聴取より先に興行を止める理由として使った。
「殿下に、正式な保護を願い出るべきです」
セバスチャンが言うと、エリックも頷いた。
「生き残らなきゃ独立も何もない。王子が保証人になれば、今夜の客は守れる」
「その夜から、私たちは『王子に作られた劇団』になるわ」
ミーシャが掠れの残る声で返した。
「私は、誰かの飾りとして移籍する話を断ったばかりよ」
正反対だが、どちらも劇団を守ろうとしている。私は全員の意見を議事録へ書き、羊皮紙を中央へ置いた。
「落ち着いてください。興行を止める必要はありません」
私は震えるセバスチャンの手から羊皮紙を抜き取り、冷静に文面を読み返した。
「評議会が認定停止の理由にしているのは『不適切な私的介入』です。裏を返せば、彼からの資金援助が正当な契約に基づくものであり、演目や人事への介入が一切ないことを証明できれば、この処分には法的根拠がなくなります」
前世で、演者やグループが「有力者の愛人だ」「不正な金で売り出された」と謂れのない醜聞に見舞われたことは何度もある。そんな時、一番やってはいけないのは、相手の地位に怯えて泣き寝入りすることだ。
事実と記録で武装し、公の場で堂々と殴り合う。それが敏腕マネージャーの唯一の戦い方だ。
「セバスチャン。今日までの全公演の収支帳簿、利益分配の記録、そして『後援契約書』の原本を出してください。八時までに、停止理由へ直接反証する三点と、残りの資料索引を作ります」
「しかし座長、いくら書類を揃えても、相手はあの公爵です! 『証拠など捏造だ』と揉み消されてしまえば……」
「そうはさせません」
私は、先日カイ――クラウスと交わした「最上位後援契約」の紙を見つめた。
あの日、彼は自ら『スポンサーになったからといって、脚本や演出に口を出せる内容介入権は、本当にないんだな?』と三度も私に確認した。そして、その条項が法的に有効かどうかも。
(あの確認は、正体が知られた時のための防衛線だったのね)
不器用で、介入を恐れすぎた彼の配慮が、今になって最大の武器になる。
「保護を願う代わりに、彼には劇団関連の公務から退いてもらいます。個人契約と送金経路は公開する。こちらも帳簿を出す。危険はありますが、王子の保証ではなく照合できる事実で抗議します」
私の固い決意に触れ、劇団員たちの目にも再び火が灯った。
「わかりました。俺たちも手伝います!」
エリックやノエルは保管番号の一覧を作り、八時に役者を帰した後は、事務担当が二時間交代で索引を仕上げた。
翌朝。
分厚い反証資料の束を抱え、私は文化評議会の本部がある白亜の庁舎へと向かった。
開館と同時に窓口へ乗り込もうとしたその時、同行していたノエルが、手元の通信晶石を見て叫んだ。
「座長、見てください! 魔法掲示板の《声の広場》に、王立文書院から公式な声明が出ています!」
「王立文書院から?」
私が覗き込むと、そこには『第二王子クラウス・フォン・アストリア』の名と公式印が押された、驚くべき長文が掲示されていた。
『私、クラウス・フォン・アストリアは、文化評議会に関わる一切の審査および劇団関連の公務から、本日付で一時的に退くことを宣言する。
また、私が個人名義で「フォンテーヌ座」と結んでいる後援契約の全容、および送金経路のすべてをここに公開する。私の支援には演目・人事への介入権は一切ない。契約、送金、私の職務忌避について、第三者が照合できる記録を添付する』
掲示板をなぞる指が止まり、私は文字を何度も読み返した。
彼は王子の命令で評議会をねじ伏せなかった。自ら劇団関連の公務を退き、個人契約を白日の下へ出した。
(……判断材料を隠した、と私に責められたから。だから今度は、正体も責任も隠さずに、行動で示したというの)
喉の奥が、ぎゅっと狭くなる。
「座長……! これなら、評議会も下手な言いがかりはつけられません!」
「ええ。行きましょう」
私は顔を上げ、文化評議会の受付へ堂々と歩み寄った。
「フォンテーヌ座座長、リゼット・フォンテーヌです。認定停止予告に対する反証資料と、演目・人事への介入がないことを示す収支・契約記録を提出に参りました」
窓口の文官は、私の顔を見るなり露骨に嫌な顔をした。
「提出は受け付けますがね。王族をたぶらかした弱小劇団の言い訳など、議長閣下がまともに取り合うと――」
「先ほど、クラウス殿下ご自身が、当劇団との契約内容を公式に全公開されました」
私がピシャリと言い放つと、文官は「なっ……」と絶句した。
「公開された契約内容は、今提出した原本、送金受領票、銀行の記録と一致します。なお介入を疑うのであれば、どの条項か、どの送金かを特定し、第三者照合へ回してください」
文官の顔面から、さぁっと血の気が引いた。
王子が公開した記録と、劇団側の原本。両方を同時に否定するなら、評議会は不一致箇所を示さなければならない。
「……しょ、書類は、お預かりします。審査部で協議の上、追って判断を下します」
文官は逃げるように書類を抱え、奥の部屋へ消えていった。
その日の午後。
フォンテーヌ座の事務所に、再び文化評議会からの通達が届いた。
『提出された資料の整合性を確認した。王立認定の停止処分は「一時保留」とし、本日の興行を許可する』
「やりました! 興行停止、回避です!」
セバスチャンが涙ぐみながら叫び、エリックとミーシャがハイタッチを交わした。
守れたのは、今日の興行だけだ。それでも、正式な契約と送金記録が、審査すべき事実として受け付けられた。
「皆、よく頑張ってくれました。さあ、今夜も満席のお客様が待っています。最高の舞台を作りましょう!」
私の号令で、劇団員たちはそれぞれの持ち場へと散っていった。
夜。満席の熱狂に包まれた公演が終わり、観客たちが満足げな顔で帰路につく中。
私は一人、事務所の長机に座り、今日の売上を帳簿に書き込んでいた。
ふと、机の隅に視線をやる。
いつもなら、この時間には商人ギルドの配達員がやってきて、見慣れた上質な封筒を置いていくはずだった。
だが、今日は来なかった。
昨日、私が彼の正体を知り、未読の手紙を突き返して文書院を去ったからだ。
クラウスは、私が怒っている理由を正しく理解し、私の自立を邪魔しないために契約を公開してくれた。
それなのに、彼からは私への言い訳も、許しを乞う言葉も、一切届かなかった。
『私が手を出せば、君の判断を縛ってしまうのが怖かった』
彼は、私の怒りすらも尊重し、無理に距離を詰めようとしない。
それは彼なりの誠意であり、これ以上私を不快にさせまいという理性の表れなのだろう。
「……馬鹿みたい」
私は誰もいない事務所で、ぽつりと呟いた。
嘘をつかれて腹を立て、自分から手紙を突き返したというのに。いざその手紙がピタリと止まってしまうと、どうしようもないほどの空白と寂寥感が、腹の底へ冷たく沈んでいく。
彼の観察眼。私の地道な仕事を誰よりも評価してくれた、あの優しい言葉たち。
『君がいない成功を、成功と呼ばない』と言ってくれた、彼の少し不器用な眼差し。
それがもう、私の日常には届かない。
借金は確実に減っている。客席は満席だ。劇団は正しい方向へ進んでいる。
けれど、Kの手紙のない空白の時間は、私の心に、私自身も気づいていなかった『本当の課題』を突きつけていた。
【本日のフォンテーヌ座収支】
借金残高:10,000,000リル(返済準備金3,200,000リルを集計中)
【座長業務日誌】
文化評議会へ反証資料を提出。クラウス殿下の契約公開により、認定停止は一時保留となる。本日の公演は無事終了。




