第18話 炎上には、扉を開けます
「座長! 本日の公演のキャンセルが、一時間で三十件を超えました!」
朝の劇場事務所に、セバスチャンの悲鳴のような声が響き渡った。
彼が震える手で差し出した通信晶石の投影板には、昨夜から急激に拡散されている魔法掲示板《声の広場》の書き込みが映し出されている。
『フォンテーヌ座の満席は捏造だ』『座長が金でサクラを雇い、絶賛の感想を買っている』『あんな古臭い劇団に人が集まるはずがない』
根拠のない悪意は、またたく間に尾ひれをつけ、劇団の信用を食いつぶそうとしていた。
「どうしましょう、座長。すぐに公式掲示板で、事実無根だと反論の声明を出さなければ……!」
「反論だけの声明は出しません」
私は即座に言い切り、セバスチャンと、不安げに集まってきた劇団員たちを見回した。
「『嘘です』だけでは照合できません。券の売上記録、支出、契約、失敗も見せます」
前世でアイドルのマネージャーをしていた頃、謂れのない醜聞や炎上騒ぎには何度も直面した。その時、隠蔽したり、ただ否定したりしたグループは悉く自滅していった。炎上を乗り越える唯一の手段は、扉を開け放ち、裏側をすべて見せてしまうことだ。
「今日の昼、本公演の前に『公開稽古』を実施します。予約客だけでなく、疑いを持っている街の人々も、すべて無料で客席に入れてください。そして……ノエル、ミーシャ」
私は二人の顔を順に見た。
「貴方たちの『失敗』と『契約』を、観客の前に晒してもらいます。できますか?」
数時間後。フォンテーヌ座の客席は、物見遊山で集まった野次馬や、掲示板の噂を見て不信感を抱いた人々で異様な熱気に包まれていた。二百四十席はほぼ満席だが、そこに温かい期待はない。
私は舞台の中央に立ち、騒ざめく客席に向かって静かに口を開いた。
「皆様、本日は公開稽古にお集まりいただきありがとうございます。現在、当劇団が金で感想を買っているという噂が流れておりますが……まずは、こちらの数字をご覧ください」
私は背後の黒板に、券種別の販売数と入金額、印刷所の請求、返金二十八件の受領番号を書いた。原本はアルベルトの随行文官と後援会の代表が別々に抽出し、照合している。
「貧しいことだけでは無実の証明になりません。入金先と支出先が一致するか、ご自身でご覧ください。……ノエル、前へ」
促されて、魔法技師のノエルが重そうな木箱を抱えて舞台の中央へ進み出た。
彼は緊張で肩を震わせながらも、木箱の中から大量の感光紙を取り出し、客席に見えるように掲げた。
「ぼ、僕は、この劇団で魔写絵の製作を担当しているノエルと言います。……これは、先日僕が作り出してしまった、魔写絵の『失敗作』の山です」
客席から、どよめきが起きた。高価な感光紙が、真っ白に飛んだり焦げたりしている無惨な姿。
「生産の限界を超えて注文を受けてしまい、魔力の波長が乱れて、これだけの高価な紙を無駄にしました。……もし劇団に不正をするような莫大な資金があるなら、僕はこんな失敗で徹夜して泣きべそをかいたりしません。僕たちは、一枚の絵を仕上げるのにも、必死で魔力を絞り出しているんです。サクラを雇うお金なんて、どこにもありません!」
ノエルは涙声になりながらも、自分の失敗率と、それを改善するための原価計算表をはっきりと観客に提示した。
ただ機能や数字を説明するのではない。失敗を乗り越えようとする、一人の職人としての切実な矜持がそこにあった。
「それに、もう一つ言わせてもらうわ」
ノエルと入れ替わるように、ミーシャが凛とした足取りで舞台の中央へ進み出た。
彼女の手には、先日私と交わした契約書の写しが握られている。
「私はこの劇団の看板女優よ。でも、ただ言われた通りに動くお人形じゃない。この契約書には、私が自分自身の魔写絵の絵柄を選ぶ権利と、不調の時には休演する権利が明記されているわ」
ミーシャは契約書を高く掲げ、冷ややかな、しかし圧倒的な熱量を持つ声で客席を射抜いた。
「私は自分の意思で舞台に立ち、自分の誇りをかけて演技をしている。そんな私が、金で買われた偽物の拍手の中で満足して笑う女に見えるかしら?」
静寂の中、後方で一人の女性が立った。魔写絵を誕生日に間に合わせられず、昨日返金を選んだ客だった。
「私はこの座長に腹を立てています。今もね。でも、良い感想を書けと一リルでも受け取ったことはない。買われた客ばかりだと言うなら、怒っている私の名前も記録に入れてちょうだい」
賛同の声と、まだ信じきれないという囁きが同時に起きた。全員を一度で納得させることはできない。それでも、噂と照合できる記録が同じ場所に並んだ。
「……なるほど。見事な対応だ」
不意に、客席の最後列から響き渡る声があった。
仕立ての良い漆黒の執務服に身を包み、銀縁眼鏡をかけた男。財務卿アルベルト・クラインが、ゆっくりと通路を歩いて前へ出てきた。
「アルベルト様……」
「隠したくなるような失敗率や内部の契約書、そして収支の数字。それらを自ら開示し、観客の信を問う。その透明性と、役者を守る安全管理の姿勢は評価に値する。少なくとも、今のフォンテーヌ座が不透明な資金運用をしているという疑いは、私の目から見ても晴れたと言っていいでしょう」
国家の金庫番である財務卿の公式な評価。
その言葉で、少なくとも「記録を見る価値はある」という空気へ変わった。
「アルベルト様、ご高覧いただきありがとうございます。……では皆様」
私は空気が反転した客席に向かって、深く一礼した。
「誤解が解けたところで、本来の『公開稽古』を始めさせていただきます。次期新月の日に上演予定の新作、古典悲恋劇『湖の乙女』のワンシーンです」
エリックとミーシャが定位置につき、ノエルの魔法照明が静かに灯る。
張り詰めた空気の中、悲恋の別れの場面が演じられた。ミーシャの悲痛な視線と、エリックの伸ばしかけて止まる手の動き。稽古着のままでありながら、その演技は圧倒的な熱を帯びて観客を引き込んだ。
数分間の場面が終わり、拍手が沸き起こる中、私は再び口を開いた。
「皆様、ありがとうございます。ここで、観客の皆様に一つご相談があります」
私は二枚の色違いの札を取り出した。
「先ほどの別れの場面ですが、主人公が『最後に一度だけ振り返る』演出と、『最後まで振り返らずに去る』演出、どちらがより二人の悲しみを深く表現できるか、劇団内で意見が割れています。皆様のお手元にある赤と青の紙で、今ここで、皆様の率直な意見を投票していただけないでしょうか」
ただ見せるだけではない。観客を、舞台を作る「共犯者」へと引き上げるのだ。
客席は一瞬の驚きの後、かつてないほどの熱気と興奮に包まれた。
「俺は振り返らない方が泣けると思う!」
「いいや、少しだけ振り返るからこそ未練が伝わるのよ!」
観客たちは真剣に議論を交わし、次々と色紙を掲げた。
集計の結果、観客の投票は『振り返らずに去る』演出を圧倒的多数で支持した。
「ありがとうございます。皆様の声を反映し、本公演の演出は変更させていただきます」
私がそう宣言すると、客席からは割れんばかりの拍手と歓声が上がった。
疑いは消えきらなかった。だが、客は自分で帳簿を見て、自分で演出を選んだ。今日得たのは熱狂より、その手続きだった。
【本日のフォンテーヌ座収支】
借金残高:10,000,000リル
【声の広場・観劇板】
投稿者:匿名
今日の公開稽古、凄かった! 失敗を隠さない職人も、権利を主張する女優もカッコよすぎた!
返信:
演出のアンケート、俺の意見が採用されたぞ! 『湖の乙女』の本番、必ず見に行く!




