聞きたいこと
まだ蒸し暑さの残る、日が落ち始めた七月の空の下を二人並んで歩いた。隣にいるミツムネは、下駄を履いているのに足音がしない。
部活帰りの学生たちとすれ違う。少女たちの視線はミツムネに釘付けだった。しばらくして、後ろから色めき立った声が聞こえた。
だが、彼はそんなことには無関心のようだった。少し歩いてから、ふいに口を開いた。
「和菓子、楽しめましたか?」
「はい、どれも美味しかったです。」
「良かった。どこか寄るところはありますか?」
「いえ……、大丈夫です。」
スーパーに行きたいと言えばついて来てくれるのだろうか。ミツムネがスーパーにいるなんて、きっと似合わない。
カゴを片手に買い物をするミツムネの姿を想像してみると、異世界転生してきたかのように浮いている。思わずふっと笑うと、彼は不思議そうな顔をした。
「どうかしましたか?」
「あ、すみません。……ミツムネさんって他のお店にも行くんですか?」
「行ったことはないですね。神社の近くを歩くことはありますが。」
「そういう時って、みんなに見えるんですか?」
「私一人でいる時は見えません。」
「今は、わざわざ見えるようにしてるってことなんですか?」
「そんな大したことではないですよ。」
ナナミは思いつくままに質問をした。
「ミツムネさんは……。」
ネタ切れ。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、こんな時に限って頭に何も浮かばない。だが沈黙のまま歩くのは嫌だった。
「ん?」
言いかけたまま立ち止まったナナミの顔を、ミツムネが覗き込んだ。
「…………ミツムネさんって、不思議ですよね。」
「そうですか?」
苦し紛れに出た言葉に、彼は呑気な返事をした。
「私にはナナミさんの方が不思議ですよ?」
「え、何でですか?」
「とてつもない幸運の持ち主ですから。」
ミツムネは、ふふっと笑ってまたゆっくり歩き始めた。
「そんなになんですか?」
「そうですよ。そもそも目に見える“要素”として“幸運”が現れる人間は多くありませんからね。加えてその数値が桁外れですから———」
「ナナミさんは特別です。」
その屈託の無い笑顔に、ぎゅっと胸を締め付けられるようだった。
彼の言う特別とは、ナナミが持つ“要素”のことに過ぎない。それは分かっている。しかし頭で理解していても、心が『特別』という甘い響きに身を委ねたがってしまう。
ドラマや少女漫画のヒロインみたいな気持ちになるのは、ミツムネが神様だからなのか。
テーマパークの魔法にかかり、浮かれて非日常を楽しむのと同じなんだろうか。
「真っ直ぐですか?」
「あ、ここ渡ります。」
ナナミは、歩行者信号機の下につけられたボタンをぎゅっと押した。帰宅ラッシュが始まり自宅へ急ぐ車を割って、信号はすぐに青に変わった。
忙しい朝には心強い味方だが、一秒でも長く待っていたいと思ってしまうこの状況ではナナミの心を焦らせた。もうすぐ、彼に手を振ることになる。きっと笑顔で手を振りかえすだろう。
「……こっちです。」
いつもであれば真っ直ぐ小道に入って家路を急ぐのに、今日は右手の道をぐるっと回っていくことにした。
(夕方は虫が出るから。)
すぐ近くの踏切が甲高い音とともに遮断機を下ろし、電車の通過を警告している。
この踏切が開くのを待って、さらに遠回りすることもできる。だが、そこまでして引き延ばす理由は無い。
きっとミツムネは、ナナミがどんなに遠回りをしようと何も言わないだろう。いや、からかってくるのか?
ちらっと顔を伺うと、ふいに視線を下ろした彼の瞳とぶつかった。
「どうしたんですか?」
ナナミがドギマギしていることに気づいているのか、彼はクスクスと笑った。それを見ると、何故か悔しいと感じた。
「いえ、ミツムネさんって浮いてるなと思って。」
「街並みにそぐわないという意味ですか?」
「ふふふっ、そうです。そぐわないです。」
言い回しが彼らしくて、つい笑ってしまった。感情が忙しい。
「だってこんな格好の人いませんから。」
瑠璃色の着物に灰色の帯。白足袋と黒塗りの下駄を履いている。そして肩にはいつものデニムジャケットが引っ掛けてある。おしゃれかどうかは分からない。ただ、見たことはない。
「いつもデニムのジャケットを羽織ってますよね。お気に入りなんですか?」
「あぁ、これですか?貰いものです。」
「だ、誰から貰ったんですか?」
そう尋ねたナナミを、ミツムネは少し驚いたような顔で見た。その後すぐに、きゅっと口角を上げて意味深な笑みを浮かべた。
「ナナミさんは好奇心の塊ですね。」
「えっ。……いや、誰からですか?」
「先先代の宮司ですよ。新しいもの好きな人でしたから。」
ふふっと可笑しそうに笑った。
「今はもう珍しくも何ともありませんね。」
「あ、デニムですよね?持ってる人の方が多いと思います。」
「あの頃はまだ目新しくて、私も宮司が着ているのを見て不思議に思いました。」
今でもその宮司との会話を鮮明に覚えているのだろうか。懐かしそうに話すミツムネの横顔はとても楽しげだ。
「それで、宮司を引退するときに譲ってくれたんです。」
「大切な思い出なんですね。」
「ちょうど今の事業を始めたばかりで、慌ただしい時期でしたからね。よく覚えています。」
「どうして……。あ、着きました。」
まだ思い出を語る彼の横顔を眺めていたかったが、あっという間にマンションに到着してしまった。
「ここですか。……ナナミさん、何か言いかけましたよね?」
「いや、また今度———」
(また今度っていつ?)
ナナミがミツムネの提案を受け入れない限り、次いつ会うのかは彼の気まぐれになる。いつでも会える存在ではない。分かっているはずなのに、こうして一緒にいるとまた来週も会えるような気がしてしまう。
「……どうして今のお仕事を始めたんですか?」
「時代の流れでしょうか、氏子がかなり減少しまして。神社の存続も危ぶまれたので、人を集めているんです。」
「ミツムネさんが、直々に?」
「祭神からの指示ですからね。」
「そう、だったんですね……。」
知らなかった。何故、神様が困っている人間に声を掛けて直接話を聞いているのだろうと、疑問にすら思っていなかった。ただの道楽なんだろうとしか考えていなかった。もっと早く話を聞けば良かったのに。200年以上生きているミツムネとたった数回顔を合わせただけで、彼のことを知った気でいたのだ。それは大きな間違いだった。
「あの……、ミツムネさん。」
「何ですか?」
彼はわずかに口角を上げ、こちらを真っ直ぐに見つめてくれている。
「私も、協力します。」
躊躇いは無かった。
ナナミがそう伝えると、ミツムネは笑みを深めた。少し身をかがめ、小首を傾げながらナナミの目を覗き込む。
「ありがとうございます。」
「いえ……。」
満足そうなミツムネの顔が離れていった。その余韻に浸るのも束の間、
「では来週の土曜日、九時にお待ちしていますね。」
彼は爽やかに初出勤の日時を告げた。
「あ、はい。」
「おやすみなさい。」
「……おやすみなさい。」
ひらひら手を振るミツムネに見送られ、ナナミは後ろ髪を引かれる思いでマンションのエントランスに入った。
閉まった自動ドアを振り返ると、そこにはもうミツムネの姿は無くなっていた。




