神社の帰り
午前中に雨を降らせた分厚い雲の隙間を縫って、陽の光が天使の梯子をかけている。
ナナミは鳥居で一礼をして、境内を後にした。
ミツムネに呼ばれ、シロヤマ神社の御朱印帳会議に参加してから一週間。今日は姿を見ることはなかった。
(いや、別に残念じゃない。普通、普通。)
毎週のように非日常が続いたせいで、感覚がおかしくなっている。これが日常。ただ週一の神社参拝が増えただけ。
ナナミは少しだけ後ろを振り返ってから日傘を差して歩き出した。
いつもと同じ帰り道、瓦屋根に白壁の和菓子屋の前を通りかかった。ちょうど客が出てきて店内が見えた。そこになんと、ミツムネがいた。
彼は出ていく客向かって愛想良く手を振っている。すると、不意に目が合った。
ミツムネは一瞬目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべて店先まで出てきた。
「ナナミさん、こんにちは。」
今日は初めて会ったときと同じ、瑠璃色の着物だ。こんなに蒸し暑いというのに、相変わらず肩にはデニムジャケットを引っ掛けていた。
「こ、こんにちは。ここで何してるんですか?」
「ここは行きつけなんです。」
ミツムネは自動ドアに手を添えて「どうぞ。」と、爽やかな笑顔でナナミを店内へ勧めた。
「……ありがとうございます。」
あまりに自然なエスコートにナナミは従わざるを得なかった。
「トキコ、ナナミさんがいた。」
ミツムネがわずかに弾んだ声で、店の奥にいたトキコに告げた。
「あら、こんにちは。」
ショーケースの向こう側、“御菓子司 ニシヤ”と書かれた暖簾からトキコが顔を出して驚きの声を上げた。
「こんにちは。」
ナナミが少しぎこちなく挨拶をすると、彼女は事情を察したように眉を下げた。
「向こうのお席にお掛けください。お茶をお出ししますね。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
ショーケースの左手にはイートインスペースがあり、小さめのテーブルが二卓。片方のテーブルにミツムネが手をついて、「こちらへ」と微笑んだ。
「はい、どうぞ〜。」
トキコがにこやかにお茶とお茶菓子を出してくれた。水色の団扇を模した練り切りであった。団扇に描かれた赤い金魚が可愛らしい。
「すみません。ありがとうございます。」
「いえ、もう閉店ですから。ゆっくりしていかれてください。ミツムネ様も私もまだいますから。」
ミツムネは早速、嬉しそうに練り切りを一口頬張っていた。
(甘いもの好きなんだなぁ。)
思い出してみれば、彼は事あるごとに和菓子を食べている。
「ナナミさんは、甘味は好きですか?」
「あ、はい。……好きです。」
良かった、と彼は嬉しそうに笑みをこぼした。
「応接室のお菓子もここの商品なんですよ。ナナミさんも何度か食べましたよね。」
「はい、とても美味しかったです。」
「後でまだまだたくさん出てきますからね。」
「あ、楽しみです。」
ミツムネは上機嫌で、練り切りをもう一口頬張った。
「ミツムネさんはここのお菓子が好きなんですか?」
「はい。先代の宮司が買ってきて、それからお気に入りなんです。」
「ずいぶん長いお付き合いなんですね。」
「そうなりますかね。」
ふふっとミツムネは笑った。すごく穏やかだ。その表情を見たナナミは、一瞬だけ何故か泣きそうになった。
「参拝帰りですか?」
「あ、はい。午前中は雨が酷くて、のんびりしてたらこんな時間になりました。」
「そうでしたか。」
「あの、神社を離れても大丈夫なんですね。」
「ムツキが留守番をしているので、問題ありませんよ。」
「そうなんですね……。」
沈黙が流れた。ミツムネは気にする様子もなく、甘味を楽しんでいる。
ナナミが少し気まずく思っていると、若い女性の声がした。
「お待たせしました〜。」
女性は三角巾にエプロン姿で、大きなトレイを持っていた。そこには、色鮮やかな練り切りや、涼しげな水羊羹、真ん丸としたおはぎなど、たくさんの和菓子が乗っていた。
「こんにちは。ミツムネ様のお知り合いの方ですよね。ニシヤ ミカです。」
「アサヒ ナナミです。お邪魔しています。」
「ゆっくりしていかれてください。」
ミカはテキパキと和菓子をテーブルに並べながら、ナナミに明るい笑顔を見せた。
「ミカ、お茶持ってきてくれ。」
「はーい。お代わり、すぐお持ちしますね。」
彼女は小走りで奥に下がり、すぐにステンレスのピッチャーを持って戻ってきた。
「ありがとう。」
「はーい。もうすぐおばあちゃん来ますよ。」
ミツムネのグラスにお茶を注いで彼女がそう告げると、彼はそのお茶を飲みながら「んー。」と返事をした。
「ナナミさんも入れますね。」
「ありがとうございます。」
ナナミはグラスに手を添えて、かさを増していく琥珀色を見つめていた。
「あ、シャッター閉めなきゃ。」
午後五時を差す店内の時計を確認したミカが慌ただしく店先へ駆けて行った。
ミツムネに目を向けると、ずらりと並んだ和菓子から抹茶の水羊羹の皿を手に取った。それから菓子切りで切り分け、一口、口に運んだ。
そんな彼を見ていると、この時間が永遠に続くかのような気分になる。
シャッターが閉まる音だとか、ぱたぱたと走る足音だとか、遠くから聞こえる話し声だとか、まるで別世界みたいに、ミツムネの周りは静かで穏やかだ。




