モモの願い
部屋を静寂が包み込んだ。モモは変わらず、思い詰めた表情で下を向いている。しばしの沈黙の後、ミツムネは穏やかに口を開いた。
「今思い浮かぶ選択肢は三つあります。」
モモがゆっくりと顔を上げた。その顔には悲壮感が漂っていた。
「一つ目は、このまま運命に身を任せること。願いが叶った後に、またお困りでしたらご相談を承ります。」
モモはぎゅっと手ぬぐいを握りしめた。
「二つ目は、願いを返上すること。まだ叶った訳ではないので、これが認められるかはトキヨリ神社の神様次第にはなります。そして———」
一瞬だけパソコンの画面に目を落とした。再びモモを見つめると、彼女は口を真一文字に結んでミツムネの言葉を待っていた。
「三つ目は、願いの内容を変更すること。モモさんの願いをより具体的な内容に変更し、願いの行き先を軌道修正するという方法です。ただし前例は無いので、これも認められるかは分かりません。」
ミツムネが話し終えると、再び部屋に静寂が訪れた。モモは身を固くして一点を見つめていた。
「……今すぐに決めていただかなくとも、数日様子をみてから再度お越しいただいても構いませんよ。」
モモは尚も口を閉ざしたままだ。
ミツムネは彼女の返事を待ちながら、再び“要素”を見た。
それぞれの“要素”は潤沢に備わっている。仮に、願いの変更が認められ、その手数料を追加で支払うことになろうと困ることはないだろう。
トキヨリ神社は歴史も古く、一日に何十万人もの参拝客が来るような規模の大きな神社だ。とはいえ、アメガオカ神社ほどではない。支払う対価も知れている。
あとは、こちらへの対価はいつも通り分割にすれば問題ない。
ちらりと隣のムツキを見やると、図鑑を広げお茶を飲みながらも時折りモモの様子を伺っていた。
(もうしばらく待つか……。)
ミツムネはゆったりと湯呑みに口をつけた。
「あの……、すみません。一つお聞きしてもいいですか?」
モモがようやく口を開いた。ミツムネは穏やかに微笑んで返した。
「もちろんです。」
「もし、願いを取り消したら私は結婚出来なくなるんでしょうか?」
「……今の彼とは破談になる可能性が高いです。今後のことは、……申し訳ないのですが分かりません。」
「では……、願いの変更を認められる可能性はどのくらいですか?」
「そうですね……、これも先方の出方次第になるので何とも言えません。」
モモは険しい顔でテーブルの上を見つめた。
「選択肢の二か三で迷われていますか?」
彼女は無言で頷く。
「どちらにしても、まずは向こうに話を通さなければいけません。ですから、優先順位を決めましょう。二と三だとどちらをよりご希望ですか?」
「三……です。」
「分かりました。では、内容を考えましょうか。」
ミツムネはメモ用紙とボールペンをモモに渡した。
「今は『婚活が上手くいって年内に結婚する』ですね?モモさんが望む結婚について、より掘り下げましょう。結婚相手に求めることや、結婚生活において譲れないことを書き出してください。」
「……はい。」
「ただし、神の力を持ってしてもどうにもならないことはあります。その点もご了承ください。」
「分かりました。」
モモはペンを握り、用紙を見つめて考え込んだ。なかなかペンが動かない。
「まずは思いつくままに書き出してもらって、あとで整理していきましょう。」
「……はい。そうですよね。」
モモは躊躇いながらも、少しずつ書き始めた。
ミツムネはソファの背もたれに体を預け、彼女を見守った。
「書きました……。」
モモがおずおずとミツムネを見上げた。
「はい。ではその中での優先順位を決めていきましょう。」
「はい。」
モモは迷うことなくさらさらとペンを走らせ、書き出した項目に数字を振った。
「ありがとうございます。」
ミツムネは背もたれから身を起こし、テーブルへ軽く身を乗り出した。
「優先度が一番高いのは『モモさんだけを愛して大切にしてくれる人』ですね。具体的で良いと思います。」
モモは気まずそうに口元を歪めた。
「次は『二人で協力して穏やかな家庭を築く』。念のため聞いておきますが、“穏やかな家庭”とはどういった家庭でしょうか。」
ミツムネは用紙からモモへと視線を移した。
「喧嘩やトラブルが少なくて、安心して暮らせる家庭、と思っています。」
「なるほど。それなら“穏やかな家庭”で十分伝わりそうですね。」
「はい。」
小さく頷いたモモの顔からは、いつの間にか悲壮感は無くなっていた。
「三つ目は『道徳的価値観が同じ人』ですね。これもよく具体的に書けています。」
ミツムネはモモに優しく微笑んだ。すると、モモは何か言いたげに口を開いた。しかし、なかなか言いあぐねている。
「何かあれば遠慮なく仰ってください。」
「はい、あの……、」
モモは躊躇いがちに、だが真っ直ぐな目でこう言った。
「やっぱり、このまま様子を見ようと思います。」
予想外の言葉に、ミツムネは目を瞬いた。
「こんなに長々とお時間を頂いて、申し訳ありません。自分が何を望んでいるのか、改めて考えてみて分かったんです。今まで、本当はどうでもいいことにこだわっていたんだなって。外見とか、趣味とか、年収とか、そういうのって私にとっては二の次なんだって。」
迷いのない、美しい声だった。ミツムネは満足げに口角を上げた。
「自分のことが分かったから、彼とももっとちゃんと話せると思うんです。私が本当に望むものを伝えて、それを彼が理解してくれなかったら別れます。……彼の外見とか学歴とか勤務先とかそういうので、彼と別れたらそれ以上の人となかなか出会えないかもって打算があって、私も本気で別れ話が出来てなかった気がするんです。」
「モモさんがそう決めたのなら、私は応援しますよ。」
ミツムネが微笑んでそう返すと、モモは安堵した顔で「ありがとうございます。」と頭を下げた。
「……それで、お礼というか、謝礼はどのようにしたらよろしいんでしょうか?」
「そうですね……。」
ミツムネは悩む素振りを見せながら、ゆっくり身を乗り出した。両手をテーブルについて、モモの顔の前でふっといたずらに笑った。
「たまにで良いので、参拝に来てください。」
「そ、それだけですか?」
「それだけです。」
人差し指を口元に当てて、ぱちんとウィンクを飛ばした。
モモのわずかに赤くなった顔を見て、満足そうにソファへもたれた。
「家族やご友人と一緒に来てもらっても良いですよ。」
お茶を一口飲み、ずっと手をつけていなかった小豆寒天をスプーンで掬い、口に入れた。
「モモさんもどうぞ召し上がってくださいね。」
「あ、はい。……いただきます。」




