リリカの幸運
「ミツムネ様はこの色が好きなんですか?」
リリカが薄藤の色見本を指してミツムネに尋ねた。
「好きかどうかは分かりませんが、女性に人気の色だと思ったんです。昔、薄藤の着物を着た女性をよく見かけましたから。」
「え、ミツムネ様って何歳なんですか?」
「何歳……なんでしょう?寛政二年とは聞いていますが。」
(寛政の改革の寛政ってこと?)
江戸時代からここにいるということなのか。
「え〜、寛政二年は……?一七九〇年!めっちゃ昔じゃないですか!?」
ささっとスマホを取り出して検索をかけたリリカが驚きの声を上げた。二百三十年以上生きていれば、そりゃあ日々小さな楽しみを探さないと退屈だろう。彼が悪戯好きなのも少しだけ納得がいく。
一方のミツムネは「若いと言われますよ?」などと言いながら、呑気に琥珀糖を摘んだ。
「あ!……もうちょっと話してたいんですけど、私そろそろ行きますね。」
「ご予定があったんですね。引き止めてしまってすみません。」
「いえ!全然!お会いできて嬉しかったです!」
そうだ、とリリカが何か思い出して、嬉しそうな笑顔をナナミに向けた。
「最近、いい感じの人がいるんですよ〜。」
「そうなんだ!良かったね!」
「この前、ナナミさんと神社の帰りにカフェ行ったじゃないですか?その次の日に友達から連絡がきて紹介してもらったんです。」
先週、応接室から出た後、偶然にも参拝に来ていたリリカと会った。お互いに予定も無かったので一緒にカフェに行ってランチをしたのだ。リリカの気さくで明るい性格のためか、ナナミも時間が経つのを忘れて話し込んだ。マンションの停電が無ければ、リリカに出会うこともなかったのだから運命とは不思議なものだ。
それにしても、あの日ミツムネは自分から応接室に呼んでおいて、「試したいことがあるから」などと人をあっさり追い出した。勝手が過ぎる。ナナミは思い出しながらムッとした。
「ナナミさんが幸運を呼ぶっていうの本当なんですね!ありがとうございます!」
リリカは無邪気に笑った。
「わ、私……?」
「幸せそうでなりよりです。」
戸惑うナナミをよそに、ミツムネは笑みを深めたのだった。
名残惜しげなリリカを見送り、ナナミは二人でいることを気まずく思った。厳密には社務所内の準備で忙しなく動き回るミズノ一家がいるのだが。
「あの、私も帰りますね。」
「はい。お気をつけて。」
ミツムネがにっこり手を振った。あまりにもあっさりした反応に、ナナミは肩透かしをくらった。
「今日は、このためだけに待ってたんですか?」
「?待っていたわけではありませんよ。たまたまナナミさんが来たので、声を掛けただけです。———それとも、」
ずい、とミツムネの顔が近づいた。悪戯っぽく細められたオニキスの瞳が目の前で艶めく。
「待っていてほしかったんですか?」
口元に手を当てて、内緒話をするように囁いた。
「そんなわけないじゃないですか!今日は捕まらないように社務所が開く前に来たんですから!」
社務所内にナナミの声が響き渡った。はっとして周りを見ると、ミズノが眉を八の字にして「アサヒさん、すみません。」と声を落とすよう合図してきた。
「す、すみません……。」
恥ずかしい。大の大人が静かにするよう注意されるだなんて。それもこれも全部ミツムネのせいである。
当の本人は悪びれる様子は一切なく、満足げな笑みを浮かべている。許すまじ。
「他に用がないなら帰りますね。」
ナナミは出来るだけ落ち着いた声音でそう伝えた。
「他にも用があってほしいですか?」
尚もからかってくるミツムネを一瞥し、立ち上がる。
「失礼します。」
「お返事はいつでも待っていますよ。」
「……また考えておきます。」
それだけ言って、ナナミは社務所を後にした。扉を閉める際に、ちらっとミツムネの顔を伺うと、彼はいつもの笑顔で手を振っていた。
扉が閉まり、部屋にいつもの静けさが戻った。
「まぁ、これだけ会っていたら、わざわざ一緒に仕事をしなくても良いのかもしれないが。」




