第77話 住人
クレーム住人は、管理人と相談があるらしい。
俺は、葛城を部屋から連れ出した。
見上げると表札には『谷川』の文字。
「そのサンダル、これに履き替えて」
俺は地面に予備の室内履きを置いた。
葛城はシューズを持ち上げて、凝視した。
「先輩、水虫とかじゃないですよね?」
「なっ……! 新品だよ」
「ならいいですけど。でも、わたし素足なんだけど。いいのかな。あっ」
「なに?」
「もしかして先輩。わたしの使用済みを狙ってるんですか?」
葛城はニヤけた。
「……。イヤなら裸足で歩いてもらうけど」
「冗談ですよぉ。それよりも、なんで? サンダルなんてどうでもよくないですか?」
葛城は、片足立ちでピョンピョンしながら言った。
「人間ってな、責任を抽象化する生き物なんだよ」
「どういうことですか?」
「もし、うちに非がないってなったらどうなる? あの爺さんが素直に謝ると思うか?」
葛城は首を横に振った。
「だろ? すると、次は身だしなみや態度にイチャモンつけ出すんだよ。今回だったら、狙われるのは、葛城のサンダルだな」
「そんなもんですかね。でも、先輩、わたしあのお爺さん、怖いです。きっとカタギじゃないですよ」
「は?」
すごい発想だ。
「先輩。ここは持ち帰った方が……」
葛城が俺の袖を引っ張った。
「いや、ダメだ。時間を与えて、住人側(組合)と管理会社にグルになられてみろ? うちは一方的な悪者にされるぞ? ある程度の言質は欲しい」
「せ、せんぱいって、実は出来る男ですか?」
葛城は目をウルウルさせた。
「ないない。全部、上司からの受け売り」
「ふぅーん」
「それよりも、初物件でこんなトラブルなんだよ? 俺には葛城のタフさの方が怖いよ。俺だったらストレスで毛が抜けそう」
「わたしだって怖いんですけど」
葛城は、俺の袖をギュッと掴んだ。
その指先を見ると、桜藍みたいで懐かしい気持ちになる。
俺は葛城の頭をポンポンとした。
「まぁ、俺がなんとかするから安心して。って
触れて、ごめん」
葛城は目を細めた。
「別に……いいですけど」
管理人が出てきた。
「やっぱり、そちらの占有部からの漏水の可能性が高いです」
「は? だからまだ工事スタートすらしてないんですって!」
するとさっきの住人……谷川の爺さんも出てきた。
「オタクの部屋、どうせ、配管を掘り返して交換するんだよね? だったら、そちらが新規交換した後にまた確認すればいいでしょ。それでも漏れたら、改めて調査したらいい」
俺は階段を見渡した。
吹きつけ壁は薄汚れていて、手すりのペンキも剥がれている。
管理費は月額4,500円。
それなのに、修繕費はない。
——安すぎる。
反対が多くて管理費を値上できないのだろう。
組合には、金がないはずだ。
つまり、修繕工事どころか調査すらしたくない。そんなところだろう。
「葛城。1月4,500円で20部屋なら年間いくら集まる?」
葛城はあたふたした。
「ええと、108万円です」
工事費はざっと2,000万。
全く足りていない。
「お伺いしたいんですけれど、縦管の交換って、いつしましたか?」
鉄管なら40年もてばいい方だ。
共用の縦管から漏れていたなら、うちの部屋の配管を交換したって解決しない。
俺は言葉を続けた。
「まさか、耐用年数超過の配管を放置しているくせに、うちの責任とか言うんじゃないですよね?」
「いや、だから、まずはそちらで確認してもらって」
管理人が言葉を濁した。
思った通りだ。
こいつら、うちになすりつけて終わりにするつもりだ。
ギリッ。
歯軋りした。
「こっちだって商売でやってるんだ! 室内配管工事させられた上に、金がないから縦管は直せないじゃ困るんですよ。うちに工事をさせるなら、御社が責任持って縦管工事するくらいの約束はしてください」




