第72話 離別
それから3週間。
アッと言う間だった。
桜藍の叔父はかなりの実力者らしく、桜藍が留学の意向を伝えた時には、既にイギリスの高校の内定が出ていた。優先入学に学生ビザの優先申請。
金があれば、どうとでもなるらしい。
9月21日。
桜藍は出国することになった。
イギリスに行けと言ったのは俺だ。
でも、まさか、こんなに早いなんて。
だから、残された時間は、仲良くしたいと思った。
俺も桜藍もきっと本音じゃなかった。言いたいことを言って、残された時間を台無しにするのが怖かった。
夏休みだったから、鷺乃谷高校の手続きもバタバタで。桜藍と愛想笑いをしているうちに、2人の最後の日になってしまった。
コンコン。
最後の夜。
部屋のドアがノックされた。
開けると桜藍だった。
パジャマでイルカを持っていた。
ドアを開けると桜藍は、ベッドに腰をかけた。
「明日まで一緒にていい?」
桜藍はギュッとイルカを抱きしめた。
桜藍がベッドに潜り込んで、背中合わせになった。シングルベッドだから、布団の中で時折、足と足が触れる。
「準備は終わった?」
「はい。大きな荷物は送りました。明日は叔父さんが迎えに来てくれるそうです。パパがパスポートを作ってくれていたから、良かったです」
「羽田空港? 何時の飛行機なの?」
「成田空港で、14時です」
「そっか」
「だから、春馬さんは、明日はお仕事に行ってください」
「……」
「わたし、頑張るから。春馬さん、応援してくださいね」
「もちろんだよ」
俺はこんな時までカッコつけてる。
「だからね」
桜藍の声が震えた。
「春馬さん1人になっちゃうから。だから、あの……。恋人、作っていいから」
Tシャツの背中がギュッと握られた。
背中に当たる桜藍の息。
湿っていた。
「桜藍も。良い人がいたら、いいから」
俺は偽善者だ。
すると、桜藍が声を上げた。
「わたし、絶対に作らないから!」
聞いたことのない声だった。
(この子、こんな声も出すんだ)
カチカチ。
なんとなく会話が途切れてしまって。
2人で一晩中、時計の音を聞いていた。
♦︎
カタカタカタ。
急ぎの媒介契約書を打ち込む。
俺は顔を上げて肩を叩いた。
すると、時計が視界に入った。
『12:15』
バタンッ。
視線がドアに集まる。
三条君だ。
三条君は俺を見つけると、真っ直ぐこっちに来た。
「どうしたの? 再販部に用事?」
「どうしたのじゃないっす。山路さん何してるの」
「え。仕事だけど」
「亜梨沙に聞いたんだけど、桜藍ちゃん、イギリスに行っちゃうんでしょ?」
ジャラ。
三条君が鍵を置いた。
社用車の鍵だ。
「山路さん、このままで本当にいいの?」
「だって、桜藍が仕事してって」
三条君は頭を横に振った。
「そういうことじゃないっすよ。こんなこと言いたくないけど、飛行機が落ちたら? 山路さんが死んじゃったら?」
「縁起でもないこというなよ」
「違う。最後がこんなのでいいのかってこと!」
良い訳ないだろ。
良い訳ないじゃん。
気づけば立ち上がっていた。
「恩に切るよ」
俺はデスクの鍵を握りしめた。
車に飛び乗ってエンジンをかける。
ナビを入れると、空港まで86キロだった。
「遠すぎだろ。なんで羽田じゃねーんだよ!」
俺は高速の入り口に向かった。
桜藍はいつも俺を最優先にしてくれる。
必死に頼んだら、きっと。
イギリスに行くのをやめてくれる。
俺は桜藍に縋ってる。
情けない。
でも、これが本当の俺だ。
♦︎
成田国際空港。
展望デッキ。
ゴーッ。
ひっきりなしに飛行機が飛び立っていく。
俺は航空機を見上げた。
赤と青の尾翼。
「あの飛行機の柄、イギリスの国旗みたいだ」
腕時計を見た。
14:15。
俺は間に合わなかった。
ガンッ、ガンッ!
俺は手すりを何度も叩いた。
爪が割れて、血が出て。
何度叩いても、気が済むことはなかった。




