第7話 会社
面接の後、荷物を取りにアパートに寄った。
着替えや服も必要だったし、大家には月内で退却する旨を伝えた。
大家はその場で計算を始めた。
「請求書、ポストに入れておくから」
「よろしくお願いします」
家の中を見て回る。
すると、フォトフレームには柚子の写真。
「これ、どうしよ」
指先に力が入る。
そのまま投げ捨てたい衝動に駆られた。
「ふぅ」
深呼吸して、俺は柚子の写真だけをゴミ箱に放り込んだ。
ドアポストを見ると、家賃の請求書が入っていた。敷金を滞納分にあてても請求額は82,500円。
「貯金も残り少ない。……桜藍もいるのに、どうしよう」
♦︎
実家の前。
俺は門扉の前に立った。
パンッ。
自分の頬を叩く。
「ただいま」
桜藍が出迎えてくれた。
エプロンをしている。
「お帰りなさい。今日の夕食は、勝負に勝てるようにトンカツです!」
「……すでに面接は終わってるんですけれど」
「あっ。じゃあ、すぐに夕食にしますか? お風呂にする? それとも、わたし?」
——ベタに滑って……気遣ってくれてる。
「桜藍。そういうの言ってると減点するよ?」
すると、桜藍はオロオロした。
「ええっ。だって、真緒が、男の子はこういうと元気になるって言ってましたし」
どんな友達だよ。
「その真緒ちゃんのアドバイスは、とても偏った意見です」
「そうなの? 結構、良いと思ったんですけれど」
「そもそもオッサンは男の子じゃないからね。効果がありません」
「あっ、春馬さん。真緒に春馬さんの話したらね。なんかうちに遊びに来たいって」
(こいつ、スルーしやがった)
その子は、桜藍が見ず知らずの男と同居することが心配なのだろう。
……ちゃんと友達いるんだな。
「いいよ、別に。あっ、でも、仕事が決まってからにしてくれよな。なんとなく」
桜藍は一瞬視線を落とした。
だけれど、またすぐに笑顔になる。
「分かりました。春馬さん。お疲れ様でした」
桜藍が風呂を入れてくれていたので、さっぱりしてから夕食を食べることにした。
ザザーッ。
湯船からお湯が豪快に溢れる。
「ふぅ。……それにしても杉山が出てくるとか反則だよ」
トントン。
折れ戸がノックされた。
すりガラスの向こうには人影。
「あの。背中を流してあげようかと」
桜藍の声だ。
「いや、もう洗ったから。桜藍は部屋でテレビでも見てて」
「でも、真緒がこうしたら、男の子は心を許して何でも話しやすいって」
「しつこいとまた減点するよ?」
「ええーっ。ひどいぃ。でもね、心配なことがあったらちゃんと相談してくださいね。わたし、ちゃんと聞きますから」
桜藍は少しだけ不満そうだった。
また真緒ちゃんの入れ知恵か。
その子、心配するふりをして、実は楽しんでるんじゃないのか?
「今日のことを心配してくれてるのかな。ありがとう。でも、『ちゃんと相談してください』って、もしかしてブラコン?」
「違いますし。……たぶん」
そう言い残して人影が遠ざかっていく。
俺は少しだけ、可笑しくなった。
風呂から出ると、良い匂いがした。
今日の夕食はトンカツだ。
わざわざ、揚げてくれたらしい。
ズズッ。
味噌汁をすする。
桜藍の味噌汁は、本当にうまい。
「桜藍。味噌汁がやたらうまいんだけど、何か秘訣とかあるの?」
すると、桜藍は小声になった。
「ここだけの話」
「うん」
俺も小声になる。
もしかすると、山路家秘伝の隠し味があるのかも知れない。
桜藍は言った。
「味の素をたくさん振りかけるんです!」
「えっ?」
斜め上に明快すぎる答え。
「ママが、味の素はなんでも美味しくなる魔法の調味料っていってましたので」
「そっか。マジでうまいよ」
もう、なんでもいいや。
桜藍が作ってくれて、うまいのだから。
でも、まてよ。
理想の女子的には、どうなんだ?
全部を旨味調味料任せなのは、あまり良くない気がする。
「今度、一緒に出汁から作ってみよう。誰か先生が欲しいな」
「お料理得意な先生ですね。春馬さん、お知り合いにいますか?」
「料理が得意なのは柚子くらいしか……」
桜藍の目が細くなった。
「柚子さんって、春馬さんを泣かせた元カノさんですか?」
俺は泣かされたという認識らしい。
まぁ、事実だが。
「そうだな。他にアテがないか探してみるよ」
同世代の女性の知り合いは、柚子くらいしかいないけれど。
桜藍は腕を組んだ。
「はい。その柚子さんは、わたし的にもNGですので」
「え。なんで?」
「なんかムカムカするからです」
なるほど。
そういうものか。
——面接のこと、桜藍に話さないと。
すると、急に気持ちが重くなった。
「……」
チッチッチッ。
秒針が時計の中でゆっくり回る。
先延ばしにしても仕方のないことなのに。
踏み出せない。
「どうかしましたか?」
桜藍が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「いや」
「あっ、缶ビール飲みませんか? 確かパパのストックが……」
断る前に、桜藍はビールを持って来た。
ビール缶の露が伝って、テーブルに落ちる。
父さんのビール……か。
俺は息を吸い込んだ。
「面接、うまくいかなかった。全然、うまく話せなくて。弁当まで作ってくれたのに、ごめん」
きっと、不採用通知が来る。
「そうなんですか。春馬さんが不採用だったら、その人に見る目がないってことです」
「そんなことないだろ」
「あるんです」
「でも、自業自得なんだよ。面接官が大学の知り合いだったんだ。大学の頃は、なんていうか。俺、ちょっと調子にのってたからさ」
指先に力が入らない。
俺は桜藍の視線が怖くなって、目を逸らした。
すると、桜藍が俺の頬をチョンと突いた。
「こほんっ。妹として拒否権を行使しちゃいます。この後の減点はダメだよ?」
ぎゅーっ。
桜藍が抱きしめてくれた。
柔らかくて温かい。
視線の下で、桜藍の銀色がかった髪が揺れている。
指先が桜藍を求めて動く。
でも、この子は俺の妹。
踏み越えてはいけない。
俺は手を止めた。
「大丈夫です。大丈夫ですから」
桜藍の声が耳元で響く。
「ぐすっ。なんかごめん」
涙と鼻水が止まらなかった。
「泣き虫さん。髪汚れちゃったし、またお風呂に入らないと。一緒に入ります?」
粒が揃っていて、穏やかな声。
「うちの風呂、狭いし」
「くっついて入ればいいじゃないですか」
「普通にダメでしょ」
「春馬さんのけちんぼ」
俺は何度か手を握り直してから、桜藍の肩をポンポンと叩いた。
「でも、救われたわ。いつもサンキュー」
「どういたしまして」
桜藍は微笑んだ。
少しだけの沈黙。
なんだか気恥ずかしい。
「本当に、ありがとう」
桜藍はピースサインを作った。
「じゃあ、次の面接の時は、トンカツ弁当にしますね」
「でも、フライは作るの大変じゃない?」
「わたし、作るの好きだし。節約できるでしょ?」
「なんかごめん。おれ、次の面接は絶対に受かるから」
「謝るのは禁止ですっ」
桜藍は微笑んだ。
すると、スマホに着信があった。
電話にでると、女性の声だった。
「わたくし、飯島トータルエステート秘書課の『杉山』と申します」
「はい。山路です」
飯島トータルエステート、
面接の結果の話か。
「それで、先ほどの面接についてなのですが、選考させていただいた結果……」
どうせ、不採用通知。
そう思っても、心臓が脈打った。




