第66話 霹靂
「もう春馬さんといられないんです」
桜藍は俯いた。肩が震えている。
そして、それきり何も話さなくなった。
バタンッ。
車に戻って手伝おうとすると、桜藍は自分ですぐに車のドアを閉めた。
帰り道の高速道路。
「あの、さっきのことだけど」
俺は続きを聞こうとした。
でも、桜藍は首を横に振るだけだった。
サイドミラーに映る空が赤黒い。
来た時と同じ道なのに、別の道みたいだ。
「さっきの……」
3度目に聞いた時、桜藍が泣いてしまった。
それきり、俺は何も聞けなかった。
桜藍は窓の外を見ている。
その横顔を見ていると、すごく落ち着かない気分になった。
——頂点から底辺に突き落とされるような感覚。俺はハンドルを握りしめた。
帰って、お風呂に入って。
お互い、すぐに自分の部屋に帰った。
「なにか怒らせるようなことしたのかな?」
何度考えても理由が分からない。
トントン。
諦めて寝ようとした頃、ドアがノックされた。
「わたしです。少しお話したいです」
桜藍はTシャツに短パン姿で、イルカの抱き枕を抱えていた。サラサラの髪は、あげずに下ろしている。こぶりな唇が光っている。
こんな時に不謹慎だけれど、こう思った。
綺麗だ。
「あっ、う、うん」
とにかく、話を聞かないとはじまらない。
俺は桜藍を部屋に招き入れた。
すると、桜藍はイルカを床に置いた。
小さく息を吸い込む。両手でシャツの丈を掴むと、ゆっくりとTシャツを捲り上げた。
「ちょっと、何を……」
真っ白な肌が顕になる。
肋骨の少し上でTシャツが止まった。
……え?
ピンクの傷跡。
少しだけ盛り上がっている。
「それは?」
「わたし、保護された時に怪我をしていたみたいで。先生が親切な方で、跡が残らないように丁寧に縫合してくれたんですけれど……」
切創部からすると、ちょっとの怪我ではないと思った。
「痛くないの? 大丈夫? 傷のこと全然知らなかった。ごめん」
桜藍は微笑んだ。
「春馬さんに知られるのが嫌で見せないようにしてたから。わたしだって女の子だし。こんな傷がある女の子は嫌ですか?」
「ううん、すごく綺麗な肌で。むしろ見とれちゃったよ」
桜藍は俯いた。
表情は見えないが、髪が肩から滑り落ちた。
「そうですか。よかった」
「うん」
桜藍が顔を上げた。
真っ直ぐに俺の目を見ている。
「あの、春馬さんのお布団に入ってもいいですか?」
俺が答えられないでいると、桜藍のイルカが歪んだ。
「……ダメですか? 今日だけですから」
ここで断ったら、どうなるのかな。
本当は分かっている。
きっと桜藍は消えてしまう。
だから俺は、毛布をめくった。
すると、桜藍はベッドサイドに座ってから、コロンと横になった。
毛布をかけるべきか迷っていると、桜藍が微笑んだ。
さっきまであんなに空気が重かったのに。
こんなことになるとは。
指先が震える。
俺は毛布をギュッと握った。
「あっ」
ゴム。どうしよう。
桜藍に取り上げられたままだ。
「どうしました?」
桜藍が顔を上げた。
「いや、なんでもない」
俺の照れ笑いに、桜藍も笑った。




