第55話 分割。
俺はすぐに銀行の担当者に連絡した。
だが、何度聞いても理由は「総合的な判断」と繰り返すばかりだった。
「総合的な判断じゃ、何も分かりませんよ」
課長が俺の肩を叩いた。
「まぁ、大体は個信だな。今は借金がなくても、クレジットを滞納したり」
「でも、物件をすごく気に入ってましたし。港区のタワマンに住んでるって」
「港区のタワマンねぇ。家賃いくらするか知ってるの?」
「いえ。15万円くらいですか?」
「お前なぁ。1LDKでも30〜40万。車があるなら駐車場で4〜5万。それだけで手取りの半分じゃねーか。どだい1000万やそこらの年収で住める場所じゃないんだよ」
「車も即金だったって言ってましたけど」
課長は首を横に振った。
「逆だよ。カーローンの金利はタダみたいなもんなんだ。ギリギリで生きてるヤツがそれを使わない手はない。それなのに現金。要はローン組めないヤツなんだよ」
「じゃあ、お客さんに確認してみます」
課長は俺の手をとめた。
「やめとけ。ゴネても否決が取り消されることはないし、イヤな思いをするだけだ」
それでも俺は気になってしまって、電話をかけた。
——何度かけても繋がらなかった。
♦︎
現地販売会。
ツクツクボーシ。
蝉の鳴き声。
「山路さん。転がってる蝉が小さくなったっすけど?」
三条君は、テーブルに頬をつけている。
「8月だし、蝉の種類が変わったんだろ」
調子が良かったのは最初だけ。
その後は、散々な結果だった。
「ちょっと俺、チラシくばってくるわ」
「山路さんは真面目っすね。同じマンションで配っても意味ないっすよ?」
ギギッ。
新聞受けにポスティングする。
そして、たまに住人に会ったら、物件の宣伝をする。
課長のアドバイスで、2週間以上続けてるが、棟内の住人が数回遊びにきてくれただけだ。
みんな、物件というより、備え付けの家具に興味があるようだった。
「このポスティング、意味あるのかな」
すると、声を掛けられた。
20代後半の女性だ。チラシを持っている。
「これって家具を外してもらうこともできるんですか?」
「可能です。内見していかれますか?」
「お願いします」
女性の足元には、小さな女の子がしがみついていた。
親子は、物件に入るとキッチンに直行した。
「わぁ。綺麗ですね。母の家とは大違い」
「はい。キッチンは新品です」
女の子が駆け寄ってきた。
「ママぁ。このおうち、なんか臭いぃ」
ドキッ。心拍が早まる。
(いい感じだったのに、ここまでか)
すると、女性は首をかしげた。
「そう? ママは気にならないけれど。前にお住まいだった方は、ペットを飼っていたんですか?」
「はい、犬や猫を飼っている方で……」
ふと、親子の繋いだ手が視界に入る。
心がズキンとして、口が勝手に動いた。
「いや、実はここは競売物件なんですよ。あっ、ペットは保護団体に引き取ってもらって今も元気にしています」
「ふぅん。そうなんだ」
女性は指を顎に当てた。
カチカチ。
壁掛け時計の音。
俺は時計を見上げた。
(あの時計って、電池入ってたんだ)
女性は顎から指を離した。
「なるほど……ね。実は上の階に母が住んでいるんですよ。日中、娘を1人にしておくのは少し心配で」
母の言葉に高揚感。
あれっ、これはもしや。
イケる?
「そういう理由でのご購入も多いですよ」
俺は早口にならないように意識した。
「今の家も住んで5年経ってるし。住み替えもありかな。たしか税金が安くなるんですよね?」
実際には、5年ですぐに売ると転売目的(短期譲渡取得)と判断される可能性がある。それを意識させない小狡い売り方。
不動産ではよくある話だ。
俺は桜藍の顔を思い浮かべた。
——違うよな。そういうの。
「……いえ、1月1日が基準になりますので。いま売ってしまうと、短期譲渡所得で余分な税金がかかるかもです」
すると、女性は口を塞いだ。
「ええっ、だって、実は他の不動産屋さんで、5年経ってるなら買い替えがオススメって言われたんですよ」
「あー、それよくある落とし穴なんです。課税されるのは翌年なので。後から「えっ?」となる」
結局、住み替えについては、来年、また考えるということになった。
「ばいばーい。オジちゃん」
女の子が手を振られた。
それにしても、『オジちゃん』か。
俺も来年は30だもんなぁ。
子供に言われたら、反論の余地もないな。
♦︎
戻ると三条さんがダレていた。
パラソルを移動させて、自分だけ日陰に入っている。
「どうだったっすかぁ?」
「感度良さそうな人が来たんだけどさ」
俺が経緯を説明すると三条君は身体を起こした。
「山路さん、馬鹿っす。競売かどうかなんて告知事項じゃないっすよ? 短期譲渡だって、気づくのは後からっす」
「それは知ってたけど」
「はぁ。人としては正解かも知れないけれど、不動産屋としては不合格っす!」
妹に胸を張れないことは……できるだけしたくない。
蝉の鳴き声が大きくなって。
コロン。
目の前で、また蝉が転がった。
「もう帰ろうか」
三条君は腕時計をみた。
国産のほどほどの時計。
「そうっすね。山路さんの失態で運気が逃げたっす」
「それ言うなよ。わりとマジで傷つくから」
「はは」
俺たちはテントをたたみ始めた。
「そういえば、前に三条君がいってた彼女って、亜梨沙……新垣さんのことだよな?」
「そうっすけど。名前呼びって、もしかして山路さん、亜梨沙とヤッたっすか?」
三条君はニヤけた。
ドクン。
身体の中を血液が駆け巡る。
「ふざけんなよ。お前、あの子をなんだと思ってんだ!」
怒鳴った自分にビックリした。
「マジにならないでくださいっす。それに、向こうも気楽な関係がいいみたいだし」
「まじでさ。亜梨沙って、三条君にとって何なの?」
すると、三条君は平然と言った。
「えっ。セフレっすよ。セックスフレンド」
「お前……!」
ドサッ。
振り向くと、小麦色の足が見えた。
女性は口を手で押さえていた。
亜梨沙だった。
「アタシ……」
亜梨沙は、階段を駆け上がって、すぐに見えなくなった。
地面には、亜梨沙が落とした買い物袋。
俺は三条君を睨みつけた。
「追いかけてやれよ!」
「なにマジになってんの。そんなに心配なら、仲良しの山路さんが追いかけたらいいじゃん。俺、先に帰ってますから」
俺は、亜梨沙が落とした買い物袋を掴み上げた。




