第54話 否決
「はい。内見可能です」
三条君は、揉手で立ち上がった。
俺は三条君に目配せをして、消臭剤を握りしめる。
ワンニャンルームに全力ダッシュ。
ガチャ。
ドアを開けてすぐに匂いを嗅ぐ。
「やべぇ。なんか生臭い」
俺は全部の窓が開いていることを確認しつつ、消臭剤をばら撒いた。そして、仕上げに玄関先にある設置型消臭剤を激しく振れば完了だ。
「はぁはぁ」
俺は息を整えてながら、エレベーターホールに立った。
「あっ、エレベーターが動き始めた」
頭を下げて、内見客の到着を待つ。
すると、ヒールの音。
「あっ。春馬っちだー。おっはー」
亜梨沙が隣室のドアから顔を出した。
もう朝じゃないし、内見だし、三条君いるし。
色んな意味で亜梨沙はマズイ。
「ちょっとこれからワンニャンルームで悪臭が発生するから。ドア閉めて!」
「ちょっと」
亜梨沙が何か言っていたが、ドアを閉めた。
チーン。
エレベーターのドアが開いた。
俺がお客さんを部屋に案内する。
すると、三条君が亜梨沙の部屋の前で立ち止まった。
「三条君、早くきて!」
俺はドアを開けつつ、三条君に叫んだ。
男性がワンニャンルームに足を踏み入れる。
俺は脱がれた靴をみた。
靴は揃えずにバラバラだし、インソールが擦り切れている。
(指値がくるかも)
「へぇ。外は古めだと思ったけれど、中は綺麗なものだねぇ」
男性は天井を見上げてそう言った。
とりあえず、匂いの話はされなかった。
セーフ——。
俺は胸を撫で下ろした。
外は古いのにドアを開けると、真っ白な壁に真っ白なフローリング。部屋の奥にはコーディネートされた白い家具。
このギャップが大きいほど、リノベーションマンションは感度が上がりやすい。
「へぇ。テーブルとかベッドとかあるんだけど、これ全部ついてるの?」
男性はテーブルに飾りつけたリンゴを触った。
「はい。全部ついてます。大変お得な物件です」
(その正体は、ただのセット販売だがな)
「部屋ひとつだけど、人が来たらどうするの?」
「実はここの吊り戸を引き出しますと、区切ることができまして、1LDK、2LDKとしてもご利用いただけます」
(2つに分けたら、1部屋3畳ですけど)
「えっ。これ分けられるの?」
「はい。天井のレールに沿ってここで方向をかえますと……」
「へぇ。すげーな、これ」
トントン。
三条君がクリップファイルを渡してくれた。
開くと男性のアンケートが入っていた。
43歳、会社員、独身。
年収1100万。
(42歳なら35年ローンもいけそうだ)
俺は心の中でガッツポーズをした。
男性は声のトーンを下げた。
「でもなぁ、この立地で3,980万円でしょー? 通勤時間がなぁ。同じ値段で23区に住めるんじゃない?」
「え?」
何を言ってるんだこの人は。そんなの分かって内見してるんでしょ?
すると、男性は三条君の方に向いた。
「ねっ、そこのイケメン君もそう思うでしょ? 君なら、多少狭くても会社の近くがいいよね?」
三条君は揉み手で答えた。
「お客様は、土地に住むんですか? 家に住むんですか? ほとんどの人にとって、人生で1番長く過ごすのは自宅です。わたしなら、近くて狭い家より、広くて快適な家がいいですね。絶対に。あくまで、私ならですけれど」
すると、男性は手を顎の下で何往復かさせた。
ガシャーン。
天井の上で何かが割れる音。
「ねぇ、何の音?」
「上の住人の方が何か落としたんだと思います」
「大丈夫? やべぇヤツが住んでるんじゃないの?」
男性は目を細めた。
上に住んでるのは、高齢の女性だ。
すると、三条君が俺の前に出た。
「上の階は、お綺麗な女性ですよ。左隣は女子大生。そして、なんと右隣は……」
右隣は亜梨沙の家だ。
「右隣は?」
男性は小声になった。
「なんと右隣は準ミスになったことがある女の子ですっ!」
えっ。亜梨沙っで準ミスなの!?
確かに美人ではあるけれど。
「まじ? この家の立地、最強じゃん!」
男性は声をあげた。
「そうなんす! ここの立地、最強っす!」
三条君と男性はハイタッチをした。
「で、買うっすか?」
フランクすぎる三条君。
「いや、むしろ。買わせてください!」
男性は満面の笑みだった。
まずはローンの事前審査の申し込みをすることになった。その様子を、三条君と少し離れたところから見守る。
「三条君のトークすごいね」
「あっ、言ってなかったっすけど、俺の前職、仲介っす」
「まじか。頼もしすぎる。そういえば、お隣さんって、準ミスなの?」
「そうっすよ? たしか、ミス大福餅だったかな」
「大福? じゃあ、上の人は? お婆さんだけど……」
「不動産屋さんー。ここ、どう書くの?」
男性に呼ばれた。
「えっと、ここは自己資金ですね」
(独身でこの年なら400〜500万ってとこか?)
男性は締まりのない声を出した。
「えっ、ないけど」
すると、三条君もこっちに来た。
「お客様。借金とかってないっすよね?」
ミーンミン。
しばらくすると、蝉の鳴き声が輪唱になった。
男性はいった。
「な、ないに決まってるでしょー」
「はぁ」
俺と三条君は、大きく息を吐いた。
……申込書と必要書類の写真を添付して、銀行の担当者に送信っと。俺はPCを閉じた。
「では、半日ほどで結果が出ると思いますので。問題がなければ、明日の午後にでも、本契約ということで宜しいですか?」
「へえ。そんなに早く結果が出るんだ。すごいねー! わかりました。じゃあ、明日は有給とりますよ」
男性は軽い足取りで帰っていった。
「もう決まったようなもんっす! 帰りましょうよ。購入申込書も貰えたし、早退させてもらえるかもっす! 久しぶりにキャバ行っちゃいますか?」
三条君は、人差し指と親指で輪っかを作った。
「いかないよ! ってか、一緒に行ったことないでしょ」
「バレたっす。ハハハハッ」
俺と三条君は現地販売セットを車に詰め込んで、会社に戻った。
再販部に出す書類があったので、三条君と話していると、池田課長が話しかけてきた。
「山路くん。調子はどう? 再販部にはなれた?」
「なんとかですね」
三条君が手を上げた。
「今日、山路さんの物件が売れたっすよ! 外車に乗ってるリーマンさんで、車も現金購入らしいっす」
「ちょっと、アンケート見せて」
課長はアンケートを読みながら、ため息をついた。
課長の声が低い。
「なぁ、こいつ。なんでこんな高い賃貸に住んでんだ? どこも余裕じゃねーだろ。……普通にローン落ちるぞ」
「えっ、なんでですか? 年収だって十分ですよ?」
「それはな」
俺のスマホにメールが届いた。
担当者からだ。
ぎろり。
部長が俺を睨んだ。
メールを開く。
すると、そこには『否決』の2文字。
他にも色々書いてあったが、なにも覚えていない。




