第50話 願い
「すぅすぅ」
ベッドを背もたれにして、桜藍がもたれかかってくる。そのうち、ぐぐっと肩が重くなって、崩れそうになる彼女を支えた。
「ったく、服もきたままだし」
ニットのワンピース。
ゆったりしたシルエットでも隠せない、桜藍のウエストライン。
「ほんと、似合いすぎだよ」
俺は偽物の星空を見上げた。
「桜藍が、いつか満たされますように」
桜藍の寝顔を見つめる。
んっ、 肩が冷たい。
って、桜藍、よだれ出てるし……。
こういうのって、見ちゃダメなやつだよね?
俺は目を背けた。でも、片目でチラッ。
俺だけが知ってる寝顔。
なんだか嬉しくて、思わずニヤけてしまった。
♦︎
次の日の朝、肩を揺すられて起きた。
「春馬さんっ」
「ん。おはよ」
桜藍がボヤけて見える。
俺は目を擦った。
「あ、あのねっ。昨日、その。わたしが寝てる時に……何か見ました?」
俺はブンブンと顔を横に振った。
「み、見てないです」
「ほんと?」
「ほんと……だよ?」
桜藍は腕を組んで、首を傾げて、目を細めて。
最後に頬を膨らませた。
「春馬さんっ。ごめんなさいは?」
「ごめんっ」
「あーっ、理由も分からずに謝ってるからダメです」
「理不尽すぎる」
「ってことで、春馬さんにお願いがありますっ!」
『お願い事!?』
俺はその言葉に身構えた。
♦︎
立川駅からバスに乗り換える。
「お願いって、本当にこんなことでいいのか?」
「はい。春馬さんのお仕事してる場所を見てみたいんです」
桜藍は背伸びして、吊り革につかまっている。
「まさか。休みにここに来ることになるとは。前も話したけど……すごく臭いよ?」
「覚悟の上です」
桜藍はバッグから衣類消臭剤を出して、俺に見せた。
「次は◯◯団地前〜」
運転手の声。
そんなわけで、俺は桜藍を連れてワンニャンハウスに来ている。まずは、ガスボックスを開けて、キーボックスを見つける。
「ここに暗証番号を入れてっと」
ダイヤルを回すと、カコンとボックスが開いた。
「その番号って、何か意味があるんですか?」
桜藍は首を傾げた。
「し、社長の誕生日だよ……」
「なるほどっ。語呂合わせとかじゃないんだ」
本当は中学生でも気づくような卑猥な数字の語呂合わせなのだ。
俺はチラッと桜藍をみた。
キーボックスを珍しそうにいじっている。
(気づいてないみたいだ。良かった)
「な? ほんとに臭うだろ?」
「窓を開けてもこれなら、そこまでじゃないです」
桜藍は鼻を指の背で擦った。
(いや、窓を全部閉めて、新聞受けから漏れ出た僅かなガスでこれなんだが)
ぞわっ。
背中に違和感。
振り向くと、隣の家のドアの隙間から赤い目。
ガチャッ。
ドアが勢いよく開く。
「あーっ。春馬っち。おっはよー!」
亜梨沙が飛び出してきた。
亜梨沙は、桜藍と俺を交互に見るとニヤニヤした。そして、俺の耳元で囁いた。
「これが例の桜藍ちゃん? 可愛さハンパないね。そりゃあ、夢中になるわけだ」
「お前、余計なこと言うなよ?」
「へいへい。この子が相手じゃ無理ゲーすぎ。アタシなんて、大根の前の、かいわれ大根だよ」
「全国のかいわれ農家さんに謝れ」
亜梨沙の口角が上がった。
「……んで、ヤッたの?」
「やるわけねーだろ」
さすが三条君の元彼女だ。
彼と同じようなことを言ってる。
俺は額を押さえた。
(亜梨沙がいるの、完全に忘れてたわ)
「……あげない」
桜藍の声。
「え?」
「春馬さんは、誰にもあげないから」
桜藍は俺の手首を掴んだ。
爪が腕の裏側に食い込む。




