第51話 階段
ガチャリ。
ドアを開けた。
「ケホケホ」
桜藍と亜梨沙がむせる。
俺は2人にマスクを渡した。
パチッ。
電気をつけて窓を開ける。
室内を見渡すと、随分と工事が進んでいた。傷だらけのドアには、ダイノックシートが張られ、新品のようになっている。
壁紙まだだが完成に近い。
亜梨沙はキョロキョロした。
「えっ、なにこの床。綺麗。ウチと全然違うんですけど〜」
「いやそれ。お前の家が汚すぎるだけだろ」
ぞわっ。
背筋に悪寒。桜藍がこっちを見ている。
桜藍はキッチンにいくと前のめりになった。
小さいながら、カウンターキッチンだ。
「わぁ。立派なキッチン。こういうのアイランド……っていうんですっけ?」
「ペニンシュラね。1500mmしかないから課長に猛反対されたんだけど。俺の意見が通った」
「そうなんですか。わたし、素敵だと思いますよ。売れるといいですね」
桜藍は微笑んだ。
亜梨沙もキッチンにきて、両手を伸ばした
「うちより全然広いのにワンルームとか、マジでウケるんですけど〜」
「うけねーよ!」
この物件は、課長と俺の共同担当になっている。売れないと本気でまずい。
10分程で見学も終わり部屋を出た。
すると、亜梨沙に横腹をつつかれた。
「春馬っち。桜藍っちに、アタシのこと紹介してよ」
2人が仲良くなると、不幸な事件が起きる気がする。すごく気が進まない。
「しなくても別にいいんじゃ……」
そこまで言うと、亜梨沙の手が視界に入った。
カットソーの首元をギュッと握っている。
心細そうで、胸が締め付けられた。
「桜藍。この子は、……、なんとか亜梨沙さん」
——俺、亜梨沙の名字を知らないや。
いてっ。
ふくらはぎを蹴られた。
「アタシ、新垣亜梨沙。亜梨沙でいいよ。隣に住んでる美女だから、よろー。桜藍っちのことは春馬っちから聞いてるよ」
「あぅ。わたしは、山路桜藍です。よろしくです」
桜藍はスカートで手を拭うと、前に出した。
「握手? うけるー。よろしくねっ」
亜梨沙は握り返した。
その様子をみていて、気分が良くなった。
俺は、自分の小ささが恥ずかしい。
「ねぇ。桜藍っち。今度、2人の家に遊びに行っていい?」
亜梨沙の申し出に、桜藍は頷く。
なぜか頬を赤らめている。
2人とも人見知りではないらしい。
すぐに仲良くなりそうだ。
情報交換は、ほどほどでお願いしたい。
亜梨沙が家に戻って、2人きりになった。
桜藍の視線。
「どうしたの?」
「亜梨沙さんと仲いいんですね」
「まぁ、隣の住人だし」
「ふーん。ちゃんと紹介してくれたのは良かったですけど」
小さな自分に2度目の後悔。
「うん」
桜藍は俺の袖をギュッとつかんだ。
「亜梨沙さんのこと『お前』って呼ぶのは、ちょっとだけ、ほんとはいっぱいイヤです」
「ごめん」
「でも、連れてきてくれてありがとうございます。なんか、パパとママと内見したのを思い出しました」
「え?」
「パパの給料が減っちゃって、ママが『お家を売って賃貸に引っ越そうか』って言い出して」
「でも、引っ越さなかったんだ?」
「パパが、春馬さんが帰る家がなくなるから、って言って。それでやめたんです」
……知らなかった。
「ありがとう。桜藍が居なかったら、俺、そのことを知らないままだったよ」
「良かったです」
「なんか、家族っていいな。今更だけど」
「わたしもそう思います」
桜藍は微笑んだ。
♦︎
エレベーターホール前。
匂いが残ってる気がして、2人で消臭剤をかけ合った。
ジジジ。
蝉がひっくり返っている。
「暑いね。桜藍、水のむ?」
「ありがとうございます」
桜藍はペットボトルの水を飲むと、蝉を表向きに直した。
ガチャガチャ。
俺はエレベーターのボタンを何度か押した。
「あれ? トラブルかな。エレベーターが全然来ないんだけど」
桜藍も階数表示を見上げた。
「春馬さん。階段でおりましょう」
「え? ここ6階だよ?」
「歩かないと、足腰弱くなりますよ?」
カツンカツン。
桜藍に引かれて階段を降りる。
踊り場で折り返したところで、声が聞こえた。
男性の叫び声。
「婆さんっ。婆さんがぁぉ!」




