第46話 歩み。
「どうするよ」
「でも、安い方がいいよ」
「年金も少ないし」
参加者達が呟く。
「賛否同数で、本議案は否決」
結局、管理費修繕積立金の値上げは否決された。
他方、別議案の管理会社の継続についは、事情の変更があったため保留。後日、改めて臨時総会が開催されることになった。
総会が終わり、パラパラと住人達が帰っていく。
俺は進行役の女性に声をかけた。
「修繕積立金はともかく、管理費についてはどうかご調整いただけませんか?」
女性は怪訝そうな顔になった。
「なぜです? もう御社の受注みたいなものですよ?」
「同額なら、御社で管理継続した方が住人の方にはいいと思いますので。あ、私はぶっちゃけ管理費が上がらなければどうでもいいんです」
「わたしとしては有難い話ですが、あなたの意図が分かりません」
「あー、私、管理部じゃありませんし、違約金とか更新月とか手続き知らないし。ただの不動産屋ですので。部屋が売れれば良いんです」
俺はピースサインを作った。
「ふふっ。分かりました。優しいんですね」
女性は笑った。
黒髪を太い三つ編みで一つに纏めている。
黒い瞳。真面目そう。
……唇が乾燥して切れている。
この人、こんな顔してたんだ。
♦︎
「ふぅ」
俺は集会所から出た。
「春馬っちー。部屋に戻るでしょ?」
亜梨沙が話しかけてきた。
ポンと背中を叩かれた。
ふると、手に持っていた紙袋が落ちた。中の書類が散らばった。
「やべっ」
拾おうとすると、亜梨沙もしゃがみこんだ。
「春馬っちって、実はひ弱?」
「いや、なんか部屋から出たら力が抜けちゃってさ」
「ふーん。はい。これで全部」
亜梨沙は最後の一枚を渡してくれた。
「ありがと。ってか、君さ。その〜っちって何? いきなり馴れ馴れしいんだけど」
集会所を出て、外廊下を並んで歩く。
亜梨沙は、桜藍より少しだけ背が高い。
スタイルも悪くないし、一般的には顔も整っている部類だと思う。
「春馬っちー。あたしのこと見過ぎ。きしょっ。あのさ。あとその『君』ってやめてくれない。なんかオッサンっぽくてキショい。ま、実際にオッサンだけど」
見ず知らずのギャルにオッサンとか言われたくない。
「じゃあ、なんて呼べば?」
「名前か『お前』でいいよ」
「ぷぷっ」
俺は笑ってしまった。
「なんで笑うんだよ」
亜梨沙は俺のふくらはぎを蹴った。
「いや、自分で『お前呼び』希望するやつ初めて会ったから。つか、オッサンいうな。女子高生に言われるならまだしも、同じ二十代だろ?」
「は? 二十代の底辺と上澄みじゃん」
上下がよく分からん。
でも、小馬鹿にされていることは分かる。
会話が途切れて、無言で歩く。
エレベーターのボタンを押すと、亜梨沙に聞かれた。
「さっき、管理の議案、保留にしたのなんで? さっきのノリなら、継続NGにできそうだったのにー」
「あぁ、あの場で失注したら、あの担当の子、1人の失態にされるだろ? 持ち帰りなら、競り負けた会社全体の責任じゃん」
ぱんっ。
思いっきり背中を叩かれた。
「ふーん。春馬っち、やっさしぃーねー! あの子、目がハートになってたよ」
「初対面だぞ。あるわけないだろ。おまえ……」
『お前と違う』
そう言おうと思ってやめた。
「ふぅーん。ま、アタシなら普通に惚れると思うけど」
この子と話してると、どうも俺も口が悪くなってしまう。
あぁ、でも。
これだけは言っとかないと。
俺は頭を下げた。
「さっきはまじでサンキュー。君……亜梨沙が助けてくれるとは思わなかったよ」
「ん? まー、春馬っちが掃除してたの知ってたし。チャラ課長にも頼まれたからね」
「見てたの? その割には、石投げるだけで手伝ってくれないのな?」
「ほらー。アタシ、爪がこれじゃん? ホウキとか持てないっていうか」
家の家事とかどうしてるんだよ。
「ま、何はともあれ、サンキュ。何か礼がしたいんだけど」
「じゃあ、店に来て100万くらいのボトル入れてくれる?」
「店、どこ?」
「歌舞伎」
「1000回払いのローンとかできるなら」
「うけるー。アタシ、払い終わる前に辞めてそうなんだけど。じゃ、アタシが困ったら、助けてよ」
白紙委任?
怖いんだけど。
「まぁ、俺にできることなら」
「アタシだってボランティアじゃないし〜。今度、チャラ課長が店で、ドンペリ入れてくれるんだって。ま、アタシは酒飲めないんだけど」
「うっわー」
「ぶっちゃけ、課長ってどれくらい稼いでるの?」
亜梨沙し人差し指と親指で輪っかを作った。
「よく知らんけど、1,500〜2,000万くらいかな」
全く知らないので、俺は一般的な不動産トッププレイヤーの相場を伝えた。
「……月で?」
「あほか。年だよ、年」
「ふぅーん。意外と少ない〜。春馬っちー。アタシの給料聞きたい?」
なんかムカつく。
「知りたくない。労働意欲が削がれそう」
「それ、かしこいー」
亜梨沙は笑った。
悔しいけれど。
この子は、笑顔が可愛い。
「じゃあ、俺、部屋でやることあるし。ここで」
俺は部屋の前で亜梨沙と別れた。
ガチャリ。
ドアを開けると、鮮烈な悪臭。
ゲホゲホ。
臭いって分かっててもむせてしまう。
俺は全部の窓を閉めて、部屋から飛び出した。
すると、亜梨沙がいた。
「どしたの?」
「待ってた。どうせ、窓を閉めるだけって分かってたし。ありがとね。約束まもってくれて」
「だって、亜梨沙がキレたんじゃん。臭いから窓閉めろって」
すると、亜梨沙は人差し指を俺の脇腹に当ててグリグリと回した。
「アタシの周りってさ。嘘つきな男しかいないから。あのさ、さっきお願い聞いてくれるって言ったじゃん?」
「あ、ああ」
イヤな予感しかしない。
「あのさ。アタシ、困ってることあって。助けてよ」
ごくり。
俺は唾を飲み込んだ。




