第45話 衝突
「あっ、春馬っちじゃーん。おっはー」
亜梨沙は俺に手を振った。
「んで、なになに。どういう状況? アタシにも教えて」
亜梨沙は進行役から説明を受けると、口を手で塞いだ。
「えっ? 管理費高くなるの? アタシむりー。お金ないし。叔父さんに、管理費修繕費だけは自分で払って言われてるの。45,000円って、もはや家賃だからそれ」
亜梨沙は理事長の前に行って、中腰になった。
「もちろん、アタシは反対だから。アタシの反対で賛成反対は同数。否決。決定」
「後からきて、君はなんなんだ!」
理事長が声を荒げた。
亜梨沙は椅子を引き寄せると、足を組んでスマホをいじり始めた。
「アタシも住人なんですけどー。清き一票で反対なんですけど」
すると、先ほどの子連れの女性が声を上げた。
「いや、今はそこの彼が、住民ですらないのにここに紛れ込んでることを問題視してたんです」
ドンッ。
亜梨沙は、勢いよく地面を踏みつけた。
「アンタさぁ。ゴミ捨て場の掃除とかしてる?」
「え?」
女性はポカンと口をあけた。
亜梨沙は会場を練り歩いた。
金髪が揺れて、香水の匂いが充満する。
「そこのあんたも、そこのアンタも。掃除してるの見たことないんですけどー。でも、春馬っちはしてたよ? アタシみたもん」
なんで亜梨沙が知っているんだ?
俺は課長に言われてから、帰る時に掃除していた。だが、何回か頭に小石をぶつけられたことがあった。
「あーっ。あの石、君の仕業?」
亜梨沙は舌先を出した。
「そんな掃除もしてない人達に、春馬っちを非難する資格があるのかなぁ。ねぇ、チビっ子のママさん?」
「迷惑かけてるんだから、それくらい当然でしょ?」
亜梨沙は机の名札に視線を落とした。
「じゃあ、5階の雨宮さんは、明日からゴミ捨て場掃除担当っと」
女性はすぐに手を横に振った。
「そういう意味じゃ……それに、悪臭。そうっ、あの部屋からの悪臭で迷惑してるの。みなさんだってそうですよね?」
女性の問いかけに、高齢女性もさっきの男性もコクコクと頷いた。
亜梨沙は立ち止まって腕を組んだ。
「あーっ。ほんと分かってない。あのね、春馬っちの会社があの物件落としてなかったら、今頃、あの部屋はペットの死骸放置場だよ? 悪臭だけじゃない。ハエもブンブン。その方が良かった? ねぇ。雨宮さん?」
女性は俯いた。
「そりゃあ、その部分は助かったって思いますけど。それとこれは別というか」
「じゃあ、もらったお菓子返せば? 雨宮さんももらったんでしょ? ほら。知らない人にもらったお菓子は食べちゃいけませんって習ったでしょ?」
「貴女はどうなのよ」
女性は亜梨沙を睨みつけた。
「アタシ? もう食べちゃって、トイレからでた。返却不能〜。でも、別に春馬っちのこと除け者にしないし」
理事長は面倒くさそうな顔をした。
「私は理事長として、そこの彼の議決権行使に反対だ。それに、わたしに委任してくれた2人の住人もね」
亜梨沙は手を払った。
「えっ。そんなこの場に来てもいない人のことなんて知らないっしょ。それに、んーっ。なんだっけ。白いの委任」
「白紙委任か?」
俺が言葉を続けると、亜梨沙が俺を指差した。
「そうそう。それーっ。そのハク……なんとか。そういうのダメなんだよね?」
理事長は進行役に何かを確認すると、亜梨沙に言い返した。
「白紙委任状は法的に有効だよ? イチャモンはつけないでもらえないかね?」
亜梨沙は封筒からB5サイズの紙を出して理事長の前に置いた。理事長が青ざめる。
「ねぇねぇ。理事長さん。この工事の見積もり作った人、理事長さんの奥さんのと同じ名字なんですけど〜?」
——特命発注だ。
「あのね。君。私がどこに頼もうが自由なんだよ」
「ちょっとそれ見せてください」
俺は亜梨沙に駆け寄り、見積書を手に取った。
すると亜梨沙が囁いた。
「チャラ課長に感謝だねー」
(課長の仕込みかよ)
だが、確かに高い。
「ちょっと待ってください。確認しますんで」
俺は会社の不動産管理部に電話した。
「はい。15年おきの外壁工事で。30戸、新耐震のSRCのマンションです。修繕工事の相場ってどれくらいですか? えっ、そんなもんなんですか?」
賃貸管理部から戻ってきた返答は、理事長の見積もりの半額ほどだった。
みんなの注目が俺に集まる。
「弊社の賃貸管理部に確認したところ、この見積もり書、相場よりかなり割高みたいです」
俺の言葉に会場がザワつく。
理事長が席を立った。
「みんな、これはトップレベルの施工内容の見積もりだ。彼の会社の工事とは質が違う。なっ。君もそう思うだろう?」
理事長は進行役の女性の肩を叩いた。
「えっ、わ、わたしは……」
ぎろり。
理事長が睨みつける。
「はい。この見積もりは、きちんと理事会決議をですね」
そう言いながら、進行役の視線がどんどん低くなる。
それを見ていた子連れ女性が言った。
「管理会社の人が言うなら、間違いないですよ。早くきめちゃいましょうよ」
ザワつきが一瞬、無音になる。
潮目の空気。
「そうだよ、間違いないよ」
「さっさと決めちまおうぜ」
「新しい業者とか怖いし」
参加者から一斉に声があがる。
まずい。
このままでは、議案が通ってしまう。
考えろ!
『新しい業者とか』
さっきの住人の声がリフレインした。
……管理会社って変更できたよな?
そのことに思いついた瞬間、鼓動が早くなった。
俺は腹を押さえた。
「すいません。急に腹痛が。すぐに戻りますんで。亜梨沙、ちょっとこれ持ってて!」
亜梨沙に断固反対ヘルメットを渡した。
ガチャッ。
部屋を出る時、「このヘルメット、春馬っちの気持ちです〜」という亜梨沙の声が聞こえた。
俺は廊下に出て、すぐに会社に電話した。
「山路です。不動産管理部につないでください」
受話器から呑気な音楽が流れる。
早く出ろよ。決まっちゃうだろ。
俺は何度も地面を踏みつけた。
「はーい。管理部です」
ラッキー、さっきの担当者だ。
「うちだったら、30戸、SRC新耐震。いくらで管理できますか?」
「ちょっと待ってて」
返事を待ってる間に電卓を叩く。
あのマンションの1棟1年間の管理費は……。
756万。
担当者が戻ってきた。
「1戸19,000円ってとこじゃない? 1年間だと684万だね」
差額は66万。
1戸になおすと、月約2,000円の差。
うちは新参者で、俺は嫌われている。
2,000円の差額じゃ話にならない。
「そこをなんとかお願いしますよ」
「そんなこと言われても、物件も見てないし、今は管理業務担当が外回りでいないんで。戻ってきたらコールバックさせますよ」
電話口の担当者は面倒くさそうに言った。
……外回り?
「それじゃ間に合わないです!」
「無理いわないでくださいよ。俺の担当はサブリースなのっ。ぶっちゃけ管理業務とっても、なんもメリットないですし」
あのマンションは郊外の分譲だ。
それなのにワンルームが多い。
生活感のない部屋の多さ。
総会参加者のあの少なさ。
みんな……借り手がいなくて困ってるのではないか?
うちはワンストップができる会社だ。
自社づけはしないが、仲介部門もある。
「メリットありますよ。空室多いし、たぶんサブリースとれます。必要ならネットワーク持ってそうな住人も紹介できますし」
亜梨沙、君を売った。
ごめん。
すると電話口の声色が変わった。
「空室率は? 利回りは?」
「そんなことやってる暇ないです。今、総会してるんだ。相手の管理会社に全部もっていかれますよ!」
「ち、ち、ちょっと待って」
30秒ほどで担当が戻ってきた。
「1戸13,000円。これが限界だから」
電話口の声は、息を切らしていた。
(きたーっ! 値上げ前の価格だ)
俺はガッツポーズをした。
「すいません!」
集会所に戻ると、まだ裁決されてなかった。
亜梨沙がヘルメットを被って駄々をこねている。
俺はカバンから電卓を取り出した。
「みなさん。お手元の議案書を見てください。新しい管理費は年間、21,000×12×30戸=7,560,000です。正直、高すぎです」
「どこでもそれくらいなんじゃないのー?」
男性の声。
俺は声を張り上げた。
「業界大手の弊社なら、値上げなしでできます。前と同じ13,000円。みなさん、不透明な修繕見積もり、そして、明らかに高い管理費。それでも議案に賛成する気ですか?」
俺は受け取った断固反対ヘルメットを被り直した。




