第38話 挨拶
ガチャリ。
金属製の玄関ドアを開けた。
ドアの内側は、ところどころペンキが剥がれている。
直後にムワッと漂う、獣のような臭気。
俺は咄嗟に腕で鼻を覆った。
「ゔっ」
吐き気が込み上げる。
「課長、これは?」
課長は手提げ袋から、落札時の資料を出した。
「この物件の現況調査報告書。ここ見て」
課長は指先で写真をポンポンと叩いた。
視線を落とすと、競売が始まる前に執行官が撮った写真だった。
この部屋だが、山積みの残置物。
そして、こちらを見つめる、つぶらな瞳の動物たち。
「えっ?」
現況調査報告書をよく見ると、下の方に「犬猫が多数(詳細不明)確認された」と書いてあった。
……ほっ。
(人間の死体じゃなかった)
内心で胸を撫で下ろした。
だが、数ヶ月間、換気してもこの臭気。
売るのに相当苦労しそうだ。
しかも、競売部からの物件。
「課長、こんなアホな物件を落札したの誰ですか?」
すると課長は髪をかき上げた。
「三条君だよっ」
無駄に爽やかだ。
ローレックスがキラリと光る。
「三条……」
「じゃあ、山路君の再販部初仕事いっとこーか」
「課長はいかないんですか?」
「ごめん。ボクを待ってるハニーたちに定時連絡の時間なんだっ」
課長はウィンクをして、軽い足取りで去っていった。
俺はリフォーム工程表と菓子折りを6セットを渡された。ワンニャンルームの両隣と上下に挨拶回りをするらしい。
あれ?
自分のスーツの匂いを嗅いだ。
部屋から出ても、鼻の中の臭気が消えない。
(動物たちは無事に保護されたらしいが。相当だな)
俺は工程表を見た。
「随分、適当な日程だ」
ピンポーン。
隣の部屋のインターフォンを鳴らす。
「すみませーん」
インターフォンを鳴らすと、20代くらいの女性が出てきた。俺に起こされたのだろう。ボサボサな金髪で、すこぶる不機嫌。
「隣の部屋を落札した会社の者なんですが、リフォームの予定のご説明と、ご挨拶に参りました」
「ふぅーん」
女性はそう言うと、管理表をつまんだ。
ネイルが長すぎて、母指球に刺さりそうだ。
「これさ」
女性はダルそうにそう言った。
「はい」
「なんでこんなにハッキリ分かるの? あっ、あたしー、亜梨沙。よろー」
「えっ?」
普通、このタイミングで自己紹介するか?
「だって、まだ業者の入りとか決まってないでしょ? 現況確認すらしてなさそうだし。その段階じゃ、何も分からないっしょ」
何、この人。
無駄に鋭いんですけれど。業界人?
「まぁ、暫定の予定といいますか」
「へいへい。それでさ、言いたいことあるんだけど」
「なんですか?」
「隣の部屋から、すっごい悪臭がするんですけど」
「あの。すみません。なんとか対策しますので」
女性は眉間に皺をつくった。
「いや、だから。窓を開けるなって。臭いの」
「そうは言われましても……」
「もう開けないで。服に匂いがつーくーのーっ! また臭くなったら弁償してもらうから。わかった? んじゃ、よろしく」
バタンッ。
女性は俺から菓子折りを奪い取って、ドアを閉めた。
ぴゅう。
外廊下に風が吹き抜ける。
「……」
いや、窓を開けないとずっと臭いままなんだけど。いきなり大ピンチだよ。
あー、永瀬課長め。
面倒臭いから、俺に挨拶回りを押し付けたのか。




