第37話 臭気
「えー、彼が今日から再販部にきてもらった山路くんだ」
艶々した黒髪のツーブロック男性が、前髪をかきあげながらそう言った。彼がここで俺の上司になる永瀬課長らしい。
40代くらいだが、何かギラギラしていて、腕にはダイヤのついたローレックスが光っている。
俺が簡単に自己紹介すると、席に案内してくれた。
俺はオフィスを見渡した。同じ雑居ビルなのに競売部とは何か違う。
ピーピーとFAXの音が響き渡っていて、殺伐とした空気感。あっちの人なんて、手を受話器ごとテープでグルグル巻きにされている。
なんていうか、ザ•不動産。
一応は売主だが、雰囲気は仲介に近い。
それにしても、FAXって。
ここだけ昭和かよ。
荷物の片付けがひと段落すると、課長が横の席に座って説明してくれた。
「この部署の仕事は、仕入れた不動産を物件化して、販売すること。直販する場合もあるけれど、基本は仲介に頼んで客付けしてもらう感じかな」
課長は背もたれに思いっきり身体を預けて、くるくると回っている。
打ち解けているのは口調だけではないらしい。
「それって、どうしてですか? 自分で売ったらいいじゃないですか」
「宅建を持ってる人が少ないってのもあるけれど、一番は仲介のモチベかな。山路くん、君が仲介業者だったとして、売主が直販するような物件を本気で売ろうと思う?」
「いえ。宣伝費をかけたのに、良いところだけ持っていかれたら納得いきませんし」
「そういうこと。小さなところはともかく、うちみたいな大手では、直販しないのが暗黙のルールなんだよ」
永瀬課長は肘掛けにつっぷした。
なにやらニヤニヤしている。
「んで、山路くん。すげぇ物件つきでの再販部凱旋らしいね」
メイファの物件のことはしっかり伝わっているらしい。ソチさんは約束通りに出て行ってくれたが、残置物の処理やなんやらで、結局は、かなりのお金がかかってしまった。
売る前から赤字がほぼ確定の物件だ。
「いや、問題物件ですよ」
永瀬課長はポケットから電卓を出した。
「そう? 世田谷の新耐震でしょ。成城あたりだったっけ? 平米単価120万ってとこか。ベースが6,000万で……8,980出しかな。ボクなら利益だせる自信あるけど」
「課長、すごいですね」
この人、俺が想定している価格を一瞬で言い当てやがった。
俺は歯軋りした。
♦︎
PCの設定が済むと、課長に肩を叩かれた。
「今日はこの島の社員は出払っちゃってるから、ボクとOJTとしけこもうか」
課長と会社を出て駅まで歩く。
ピピピピピッ。
さっきからひっきりなしに課長の電話がなっている。
「出なくていいんですか?」
「いいのいいの。どうせクレームだから」
課長はどこ吹く風だ。
デーデデデデー。
なにやらおどろおどろしい着信音がなった。
すると、課長は俊速で電話に出た。
「え、あっ、はい。すいません。その案件は部長にはご迷惑はかけませんので……」
課長は電話口で何度も頭を下げた。
なにやら、激しく怒られているようだ。
ツーツー。
電話が切れた。
課長は地団駄を踏んだ。
(八つ当たりされたらイヤだなぁ)
すると、課長はくるりと身体を回して、両手で通行人の後ろ姿を指差した。
「あの子、かっわいぃねー! 山路くん。声かけてきてよ」
この人……。
不気味な程のタフネスだ。
その後も八つ当たりされることはなく、並んで吊り革につかまった。電車が揺れるたびに、課長から香水の匂いがしてくる。
「んで、山路くんは宅建あるんだっけ?」
「はい。一応は」
「まじ? すげーね。重説頼めるじゃん」
売買の重要事項説明は、お客さんから本気の質問が来る。だから、予習が必要なのだ。
正直、気軽に頼まれたくない。
「は、はい」
って、今日来たばっかりで断れる訳もなく。
「俺なんてもう10回連続不合格。来年は11回目記念で受験料タダにしてくれないかな」
「ところで、今日はどんな物件に行くんですか?」
「競売部からの物件なんだけどね。これからリフォームで。OJTも兼ねて、君と担当しようと思ってさ。まぁ、今日は近隣へのお詫び周り。うん、きっと楽勝、楽勝」
課長は俺の肩をポンポンと叩いた。
リフォーム前なのにお詫び?
イヤな予感。
「もしかして、なにか問題でも」
課長は鼻をかいた。
「それがさ、悪臭がとれないんだよ」
「えっ?」
「畳とか捨てて、もう1ヶ月近く窓全開で換気してるんだけどね。臭いがとれないの」
「それって、もしかして」
考えたくない。
でも、そこまで頑固な匂いというと、アレしか想像できない。
俺は言葉を続けた。
「まさか……」
「んっ?」
ガタンガタン。
電車が揺れる。
俺は唾を飲み込んだ。
「……死体の匂いですか?」
課長の唇が吊り上がった。




