第32話 火花
NPOは良くない展開だ。
メイファのように、この男も「借りた」と主張する可能性が高い。
部屋にゴミがあるだけならなんとかなる。
でも、人間が出てきた以上、ゴネられたら訴訟一直線だ。
訴訟に1年、引き渡し猶予が3ヶ月として。その間の物件維持費。住んでる間に近隣トラブルや火事、最悪、自殺が起こるかも知れない。
訴訟になること自体が、うちの負けに等しい。
……どうする?
せめて、間に入っているという前オーナーの知人から話を聞きたい。
『貸していない』との言質がとれれば、まだやりようはある。
俺はメイファに電話をした。
「ごめん、メイファが家を借りたって言う人と連絡とれる?」
「デートのサソイじゃないの? その男とは連絡が取れない。ニホンゴわからないからケイヤクショもない。ワタシ口座しかシラナイ。国に帰るとイッテイタ」
まじかよ。
よくそんな適当な関係で貸し借りしようと思うな。しかも日本語が分からないとは……。こっちの線は無理か。
♦︎
その日の夕方。
俺は早速、NPOの理事長とアポをとった。
NPOは池袋西口から10分ほどのところにある。
「外国みたいだな」
地図を頼りに5分ほど歩くと、聞こえるのは外国語ばっかりになった。
「ここか」
そこは10階建の雑居ビルだった。新築ではなかったが階段は清掃されていて、空き瓶や吸い殻は落ちていない。
「他のテナントはクリニックと司法書士事務所……下が風俗店のウチの会社とは大違いだ」
NPOは6階にある。
「はぁ」
俺は鞄の端でブラブラしているお守りに触れた。
先日、桜藍がくれたお守り。
勝負運のご利益があるらしい。
——桜藍、心配そうな顔をしていた。
NPOの事務所の中は雑多だった。飾り気のない事務デスクに、年季の入ったコピー機。
「そちらの理事長とお約束をさせていただいたのですが」
「こちらへどうぞ」
俺は理事長室に通された。
簡素なソファーセット。
棚には賞状などが所狭しと並ばられている。
座って待つと、10分ほど遅れて控え室のドアが開いた。
薄毛の恰幅のいいスーツの男性と、浅黒い肌の軽装の男性。
(あの太い方が理事長か)
薄毛の男性が着ているのは、どこでも買える規格品のスーツのように見えた。
「私が理事長の下山田といいます。今回、このソチさんを保護しています」
俺はソチさんの方を向いた。
「ソチさん。お仕事は?」
「サガシテル」
その言葉を聞いた瞬間、俺の指先は震えた。
『金は払わない。でも、出て行かない』
相手はゴネる気だ。
こっちは、無血開城を宣言して、部長からメイファの退去費用をもぎとった。そんな言い分は、到底受け入れられない。
(弱気になるな。相手に悟れる)
俺はお守りを握りしめた。
手にゴリっとした感触。
『これ、強運の勝石が入っているんです』
桜藍の言葉を思い出した。
ビビるな。
最低のカードを切って、最悪の結果を回避しろ。
「分かりました。では、当社としては裁判をしてでも強制執行に入らせていただきます」
俺は内山田の目を見て、そう言った。
下山田の顔色が変わった。
「い、いや、そこまでしろとは言っていない。穏便に紳士的な解決……お互いに譲り合った方法をだね」
ウチは裁判を避けたい。
でもそれは、相手も一緒だ。
「そちらのベストな結末とは、どんなものなんですか?
「そ、それは。彼等には仕事がない。自立できるまで、せめて当面住まわせて欲しい、それだけです」
やはりだ。
「は? 当面っていつですか?」
「断言はできませんが、可能な限り早くです」
「うちは権利者なんですよ。譲歩=一方的な負担だ。そんなにご心配なら、内山田さんの家に住まわせたらいいでしょう」
何故だろう。
内山田を見ていると、やたらイライラする。
「そんなことできる訳ないでしょ」
「こっちだってできるわけがない。オタクと違ってうちには補助金なんてない。落札金は、社員の血と汗の結晶だ。ボランティアのための金じゃない」
「いや、だから。分からない人だな」
内山田はそう言うと、顎を何度もさすった。
「退去していただけるなら、損害金は見送ろうと思っていました。でも、裁判になるなら、裁判費用と合わせて、きっちり請求させていただきますので」
「それは横暴だよ」
「横暴はどっちですか。うちが泣けという貴方達の方が横暴だ」
俺はここに来る前に、メイファに頼んでネットワークを使って、このNPOについて調べてもらった。
案の定だった。
このNPOには黒い噂が絶えない。
このNPOは、綺麗な理念を掲げて、うちのような企業から大幅な譲歩を引き出している。
その中から割高な手数料をとる。
不法就労者は、ピンハネされていることに気づきすらしない。
俺はメイファの手提げバッグを思い出した。
この国にソチさんみたいな人が何万人もいる。夢から覚めた後、彼等の手元に残るのは辛さだけだ。
ソチさんが俺を見ている。
目の下にはクマ。膝に置いた手はガサガサで、赤切れだらけだ。
メイファと同じ目。
その視線に、ギュッと心臓が締め付けられる。
まずこいつらの化けの皮を剥ぐ。
すべてはそこからだ。
だから、おれは言う。
「それで、オタクは彼等を食い物にして、どれだけ法外な手数料をとってるんですか?」
バンッ。
内山田がもっていたペンを机に叩きつけた。
中のバネが飛び出て、コロコロと転がる。
「土地転がしふぜいが分かったような口をきくな! お前らは、追い詰められた彼等が自殺した現場を見たことがあるか? 私は何度も見た。金がなかったら何もできないんだよ!」
内山田は叫んだ。
転がっていたバネがテーブルの端で止まった。
内山田の唇は震えていた。
——自殺。
俺の脳裏に山村の爺さんの顔が浮かんだ。
背中に汗が吹き出して、かすかな吐き気。
息苦しい、空気が足りない。
俺はソチさんの顔をみた。
目が充血して、歯を食いしばっていた。




