第27話 ヒゲ
門扉の前で時計をみると、23時を過ぎていた。
「ただいま」
玄関ドアを開けた。
すると、タタッと足音がした。
「まだ起きていたの?」
そう言い切る前に、桜藍は俺に抱きついた。
「どうした?」
桜藍は家の中を指差した。
「で、出たんですっ!」
泥棒か?
俺は桜藍の肩を抱き寄せた。
「何が出たの?」
「く、くもぉ!」
「……蜘蛛?」
桜藍は何度も頷いた。
すごい脱力感。
なんだよ、蜘蛛かよ。
「どんな蜘蛛?」
桜藍は人差し指と親指で、サイズ感を表現した。
そのサイズ、およそ4ミリ。
「小さっ!」
俺は思わず笑ってしまった。
すると、桜藍は頬を膨らませて俺のことをポカポカと叩いた。
「馬鹿にしないでください。あんなに小さかったら、すぐに行方不明になっちゃうじゃないですか。余計に怖いです!」
「分かった。退治してやるから、どこにいたの?」
4ミリか。ハエトリグモかな。
三条君に退治したって言ったら、ドン引きされそうだ。
「こっち」
連れて行かれたのは、桜藍の部屋だった。
ふわりとシャンプーの良い匂い。
物は多くないが、ピンクと白で統一感のある部屋だった。
机の上には写真立て。
「きゃあ!」
桜藍は何故か、写真立てを倒した。
顔が真っ赤だ。
誰の写真だろう。
想像するだけで、少し嫌だった。
って、あまりジロジロみてたら引かれそうだ。早く蜘蛛をみつけないと。
「んで、どこ?」
桜藍はカーテンのあたりを指差す。
案の定、蜘蛛は既に消えていた。
桜藍が俺の袖をグイグイと掴む。
「ど、ど、どうしよう。居なくなった……」
「ずっと同じ場所に居たら逆に怖いよ」
「夜にまた出るかも知れないじゃないですか。目を開けた時に顔の上にいたら……ひいいっ」
「分かった。とりあえず、風呂に入らせてくれよ」
すると、桜藍が俺に鼻を近づけようとした。
「ちょ、嗅ぐなよ。汗臭いから」
俺は桜藍の肩を押し戻した。
♦︎
カポン。
「はぁー」
俺は浴槽に身体を沈めた。
ザザンとお湯が溢れる。
狭い風呂場だ。お湯が洗い場にどんどん溜まって、脱衣所の段差の半分ほどの高さになった。
「前は父さんと2人で入っても、こんなにいかなかったのに」
折れ戸のすりガラス越しには、人影。
「それで、いつまでそこにいるのー?」
「蜘蛛が見つかるまでですっ」
脱衣所で膝を抱えながら、桜藍が答えた。
参ったな。
その辺で適当に小さい蜘蛛を捕まえて、桜藍の部屋で見つけたって言おうかな。
「そこ、床が硬くない?」
ガラス越しの人影の髪が揺れた。
「お仕事、どうでした?」
「立ち退きの支度金のことで部長と揉めちゃって。明日から会社に行くのが怖いよ」
「ふぅん。でも、お仕事はじめてからの春馬さん、前より優しくなりましたよ。あ、もとから優しいけど。頼もしくなったというか……」
褒められた。
照れ臭くて、のぼせそうだ。
「あのー、そろそろ出たいんですけれど。そこに居られると困るんですけど」
「目を閉じてるから、サッと着替えてください」
マジかよ。
俺は諦めて脱衣所で服を着ることにした。
桜藍は目を閉じている。
「あのさ、前から言おうと思ってたんだけど」
「なんです?」
桜藍は顔を上げかけて、また下を向いた。
「俺の下着とか洗うのイヤじゃない?」
「そんなことないです」
「でも、アラサーで、男だし」
「わたし、頑張ってくれたお洋服を洗うの好きですよ。2人暮らしで枚数もないし、まだ全然、負担じゃないですし」
「まだって、どういう意味?」
すると、桜藍は目を見開いて口に手を当てた。
耳まで真っ赤だ。
「な、なっ、なんでもないです」
意味が分からない。
これがジェネレーションギャップというやつだろうか。
桜藍は急に立ち上がった。
「わたし、お夜食の準備してきますっ!」
そう言い残して、脱衣所から出て行った。
俺は歯を磨いて、髭を剃った。
そして、鏡を見る。
「よしっ、剃り残しなし」
俺はおかしくなってしまった。
前は、仕事後の無精髭なんて気にもならなかったのに。
今は、すごく気になるのだ。




