第2話 恋育
桜藍はスカートの端をギュッと握った。
「でも、変な命令とかは無理です」
桜藍の言葉で、俺は我に返った。
警戒されている。
俺が求めてるのは、裏切らない存在だ。
恋愛の対象では……ない。
この子が俺を裏切らないなら。
俺も裏切らない。
そういうことだ。
一応、断っておこう。
「勘違いされてるみたいだけど、俺はアラサーのオッサンだよ。君とどうにかなりたいとか、全くないから。だから、君も俺に惚れたりしないように」
すると、桜藍の顔に血色が戻った。
なにやら、クスクスと笑っている。
「ふふっ。春馬さんって面白い人なんですね。ママが言ってた通りだ」
……俺は至って大真面目なんだが。
「いや、マジな話なんだけど。君は俺の言う通りにしないといけないんだよ? 俺は酷いやつだろ?」
「ふぅーん。わたしには拒否権ないんですか?」
桜藍は身体を振った。
スカートが、すだれみたいに揺れる。
「えっと、1日に10回くらいまでなら」
「ってことは、1日に10回以上は、わたしとお話してくれるってことかぁ」
桜藍の表情が和らいだ。
「すごい前向きだね」
「構ってもらえるのは嬉しいですし」
「ええっと、本当にイヤならちゃんと言って欲しい」
俺は頬をかいた。
「分かってます」
桜藍は口を綻ばせた。
パンッ。
桜藍は手を叩いた。
「そういえば。パパが春馬さんにお手紙あるって言ってました」
桜藍は、どこからか封筒を持ってきた。
受け取るとペラペラだった。
封を開けると、案の定、紙一枚だった。
文章に目を落とす。
『春馬。俺に何かあったら桜藍を頼む。あと、お前に渡すものがある。部屋の引き出しを見ろ』
……なんだよ、これ。
俺は自分の部屋に移動した。
家の中は綺麗だが、ここだけは埃まみれだった。
「つか、まずは掃除しないとな」
引き出しを開けると、また封筒が入っていた。
今度のは厳重に封印されている。
ハサミで封を切ると、通帳が入っていた、
名義は俺の名前になっている。
細かく入金されている。
最後の金額は300,682円。
俺のために積み立ててくれたのかな。
今となっては、確かめる術はないが。
「少し心許ないけど、助かるわ」
俺がそう言うと、桜藍が覗き込んできた。
「わぁ、遺産だぁ。ねぇ。これ。1ページ目は、30年近く前ですよ?」
通帳を確認すると、最初の入金は、俺が生まれてすぐの頃だった。それから毎月、1,000円ずつ振り込まれている。
「そうだな」
「あれ、毎年1月だけ3,000円だ」
桜藍はページをペラペラとめくった。
「1月は、俺が生まれた月なんだよ」
桜藍が教えてくれなかったら、きっと気づかないままだった。
俺の妹……か。
「パパからのお手紙、いいなぁ。あっ」
顔が近い。ミントの香り。
桜藍の指先が手紙に触れた。
「……この手紙、君がもっててよ」
桜藍は手紙を受け取ると、胸に抱いて、口を微かに綻ばせた。
リビングに戻ったが、落ち着かない。
桜藍は、せわしなく動き回っている。たまに座っても、唇の端が下がりそうになると、また席から立ってしまう。
「桜藍さん。大丈夫?」
桜藍は足を止めた。
「わたし年下だから、さん付けは嫌です」
「ごめん」
「わたしこそ、ごめんなさい。すごく悲しいし寂しいけれど、春馬さんがいてくれるなら、ひとりぼっちにならないで済みますから」
それにしても、30万なんてすぐになくなる。急場凌ぎにしかならない。交通事故の相手は無免許の無保険……賠償金は期待できないだろう。
俺は桜藍の方を見た。
桜藍の制服は俺と同じ高校。
私立の高校だ。
つまり、高校の学費と大学の学費。生活費。あと、桜藍の服とかにもお金がかかる。
早く仕事を見つけないと。
現状は相当にマズイ。
顎に触れた。
ジョリっという感触。
実は仕事のアテがひとつだけある。
気が進まなくて、一度、断った仕事。
目が合うと、桜藍は足を止めた。
「あの。わたし、服とかいらないです。制服あるし、家だったら体操着もあるし」
——すごく気を遣われている。
「はぁ」
ため息がでた。
すると、桜藍がタタッと駆け足で寄ってきて、俺の横にパフッと座った。
ふわりと林檎の良い香り。
俺は咄嗟に身体を離した。
「ぷっ」
自分でおかしくなってしまった。
すると、桜藍が俺の顔を覗き込んだ。
「春馬さん。どうしたの?」
「いや、本能的に若い子にビビっちゃった。俺もオッサンになったなって」
苦笑いが止まらない。
目が合うと、桜藍は首を傾げた。
飯島は、大学の時の友人だ。
大学を卒業してすぐに独立した。今では不動産関係の社長をしている。
その飯島から誘われていた。
『うちの会社きついけど、稼ぎはいいぜ? やらないか』と。
キツイのは嫌だ。お金の問題じゃない。
だから、その時は全くやる気がなかった。
俺は桜藍の顔を見た。
父さんも母さんも居なくなって。
——残った妹。
俺はスマホを手に取った。
「あぁ。飯島か? この前の仕事の話、詳しく聞かせてくれないかな」
「あぁ、やる気になったか?」
「それで給料のことなんだけど」
電話口で提示されたのは、俺と桜藍が暮らしていけそうな金額だった。
横で聞いていた桜藍の肩が当たった。
「春馬さん。無理しないで。わたしバイトするし、夜のバイトもすれば、おじさんとお話する仕事とかで少しはお金入れられると思うし」
……すごく頼りにされていない。
「桜藍。未成年は、おじさんとお話する仕事はできないから。それに、君にはもっとして欲しいことがある」
「えっ?」
桜藍は何故か、頬を桜色にした。
「それは、勉強だ」
「ええーっ。つまらないっ。春馬さんが、わたしにさせたいことって何なんですか?」
「桜藍には、俺を裏切らない女の子になって欲しい」
桜藍は少し悲しそうな顔をした。
「そんなこと思うなんて……春馬さん、誰かに裏切られちゃったの?」
「ぐっ」
図星すぎる。
「他には、何かありますか?」
「優しくて、男を値札で見なくて、コンサル男についていかない。あと美人な女の子」
桜藍は頷きながら、ぽつりと言った。
「コンサル? そこだけやけに具体的なのが気になるけれど、全体としてはフワッとした感じですね」
「しょうがないじゃん。いきなり聞かれてもうまく言語化できないんだよ。次までに考えておくから」
桜藍は唇に人差し指を当てた。
「次までって……ふふっ。可愛い。要は、春馬さんの『理想の女の子』ってことですか?」
「まさにそれ。俺は桜藍に『理想の女の子』になって欲しい」
「裏切られるのは辛いもんね……。うん、分かりました」
「本当にいいの? これはなんていうか……支配。そう、支配的な契約なんだよ?」
「上手にできたら、わたしを捨てたりしない?」
「しない。約束するよ」
「そっかあ。それなら、頑張っちゃおうかな。あっ、でも」
「でも?」
「わたしが理想の女子になったら、それって春馬さんの理想のタイプなんですよね? わたしのこと好きになったりしないんですか?」
「自意識過剰は減点です。それに年下には興味ありません」
「ええーっ。ひどーい」
「あのさ、桜藍」
「なんですか?」
「こんな、支配だとか契約だとか言ってる危ない男。怖くないの?」
「ほんの少しだけ……怖いかも。でも、信頼してるんです。パパもママも春馬さんの話をすると、いつも笑顔でしたから」
桜藍はそう言って笑った。
理想の女の子のための『恋育』。
その先には何があるのだろう。
笑顔の桜藍を見ながら、そう思った。




