第126話 評決
「あの……」
葛城の前髪に汗が伝う。
呼吸が荒い。
「もういいから」
俺の言葉に、睦月は首を横に振った。
葛城が一瞬、俺のことを見る。
「部長にキスされて、下着……」
葛城の声が耳に入ってくるたびに、俺は鎖骨の辺りをグッと押さえつけられる感覚がした。
思わず椅子から立ちあがろうとすると、睦月が制止するように右手のひらを俺に向けた。
「下着に指を……入れられました……」
葛城の目から大粒の涙が落ちる。
睦月は優しく葛城の肩を抱いた。
「手を入れられたのはブラ? それとも下?」
「睦月、そこまで聞く必要はないだろ」
思わず声が出た。
「いいから、春馬先輩は黙ってて」
「パンツに入れられ……た」
唇の薄皮がやぶけて、唇の皺に血が滲む。
その様子を見ていると、息ができなくなる。
視野がどんどんぼやけていく。
涙が唇に伝い落ちて、甘塩っぱい。
そうか。
やっぱ俺、葛城を好きになっていたんだ。
今更、気付くなんて。
——最低だ。
「おい、内海!!」
ガタンッ!!
俺は机を押しのけた。
「いまさら言うとか反則でしょ」
ボソッと内海部長の声。
俺は部長のことを睨みつけた。
部長は目を合わせずに、唇を綻ばせた。
少なくとも、俺にはそう見えた。
カーッと頭に血が集まる。
拳を握りしめた。
「ダメ!」
その声に俺の身体は反応した。
声の方に向くと、葛城が俺を見ていた。
「どうして? こいつ、許せるわけないだろ」
葛城は首を振った。
「あの時のわたし。話したら先輩が部長を殺しちゃうんじゃないかって思ったの。手を出したら、わたし我慢したのが意味なくなっちゃう」
睦月とも目が合った。
「春馬先輩、戻って。葛城さん。ずっと内緒にしてた理由は、本当にそれだけ?」
「好きな人に知られたくなかった……」
葛城は、ただ、そう言った。
俺の全身から力が抜けていく。
ガタンッ。
膝が負けて、椅子に身体を預けた。
「葛城さん、辛かったね。後は私の仕事だから。君が辛かった分、私がキッチリ取り立てるからね」
睦月が立ち上がった。
仄暗い瞳。
背中に寒気を感じた。
「内海さん。異論は? 正直、私は今、あなたに激しい嫌悪を感じています。責任追及を不同意性交罪に変更します。構成要件は十分に満たしている」
部長が立ち上がった。
口の端から、くすんだ泡が出ている。
「証拠は? そんなもんあるわけない。言いがかりだ!」
「ホテルは特定できているんです。監視カメラの画像があるとは思わないんですか?」
睦月の声は淡々としている。
部長の口が吊り上がった。
「そんなの、あったってもう残ってないでしょ」
「残ってます」
「えっ?」
部長の目が泳ぐ。
「……既にホテルには開示請求をして、内海さんが泥酔した葛城さんを抱いてホテルに入ったことを確認しています。証拠保全も申し立てていますので、動画が消えることはありません」
「ちょっと。そこ、勝手に進めないでもらえますか?」
委員長が声を荒げた。
「陣野人事部長。あなたもご存知だったんですか? 場合によっては、あなたへの対応も検討することになりますが。分かってます?」
睦月の声がさらに低くなった。
「別にそういうつもりじゃ」
委員長は、それきり話さなくなった。
今度は内海部長が声を上げた。
「この査問会、そもそも無効でしょ。だって、取締役がいないじゃない。うちの会社の規定だと、査問会には取締役の参加が必須なんですよ」
委員長も続く。
「条件の欠缺で、無効ですか。では、議事録も削除して、何もなかったってことていいんじゃないですか? 少なくとも査問委員会は無関係です」
委員長の声に、少し張りが戻った。
すると、内海部長は委員長に詰め寄った。
「ちょっと、陣野。何、自分だけ助かろうとしてるの。恩知らずだね。それに葛城君。その戯言を取り消すなら今のうちだよ?」
「ひっ」
怒声に、葛城の肩がビクンと揺れた。
睦月が割って入る。
「内海部長。あなた、会社に残れるつもりなんですか?」
「別に僕が残る必要ないでしょ。噂好きの中には、僕と葛城君がそういうふしだらな関係だったと勘違いする連中もいる。働きづらくなるだろうなぁって、葛城君の心配をしてるんだよ」
睦月は葛城の手に手を重ねた。
葛城が部長を睨みつける。
「わたし、先輩以外にどう思われたっていいですから。いま、あなたを絶対に許さないって決めましたから」
睦月は2人の間に身体を入れた。
「はぁ……。内海部長。自分の手で最後の望みを断ち切っちゃいましたね。真摯に謝れば、和解できたかも知れないのに」
睦月は葛城の方を向いた。
「じゃあ、被害届を出す方向でいいですか?」
葛城は少しだけ躊躇って、頷いた。
「杉山。もういいぞ」
俺はスマホに向けてそう言った。
ガチャ。
男性が入ってきた。
杉山元吾。
この会社の常務取締役だ。
「悪いな。こんな頼み事して」
声をかけると、杉山は内海と陣野を睨みつけた。
「久しぶりに連絡してきたのに、コレね。状況は全部聞かせてもらった」
杉山は後ろで手を組んだ。
会議室の空気が張り詰める。
「ここでのことは口外禁止とします。業務命令です。万が一、漏洩を確認した場合、必ず漏洩元を特定して対処しますので、ご注意を」
杉山の言葉はハッキリしていた。
会議は終了になった。
杉山は、内海と陣野を呼びつけた。
「陣野君の方は、別途、当事者として査問会に呼び出すからそのつもりで。内海君の方は、懲戒解雇になる前に、辞表を出した方がいいんじゃないかな? ああ……君はまだ部長だから退職届か。間違えないでくれよ?」
陣野と内海は、ぼんやりとした表情で頷いた。フラフラと去っていく、2人の背中が小さく見えた。
「悪かったな。杉山。大学時代の縁故で、こんな無理な頼み事しちゃって」
俺は杉山に頭を下げた。
「いや、問題ない。それよりも、解雇取り消しの件、本当に拒否でいいのか?」
「ああ。俺にも意地がある。あと、自分を見つめ直す良いタイミングだと思ったんだよ」
「そうか。じゃあ、せめて退職扱いにさせてくれ。僅かだが一時金も出せる」
「わかった。サンキューな。助かるよ。あと、葛城のこと、よろしくな」
杉山は何度か頷くと、戻って行った。
葛城が近づいてきた。
よろめいて机に手をつく。
「先輩。本当に……辞めちゃうんですか?」
「あぁ。部外者の弁護士まで巻き込んで派手にかましちゃったしな。仕方ないよ」
俺は葛城の肩に触れた。
小さな肩が微かに震えている。
肩から指先が離れると、俺は手をギュッと握りしめた。




