第122話 道標。
「……桜藍?」
「うん。わたしです」
沈黙が訪れる。
「電話、どうして?」
「亜梨沙さんが教えてくれたんです。春馬さんが困ってるって。着信もあったから気になってて」
「そうなんだ」
経緯なんてどうでもいい。
俺は自分の部屋に向かいながら、スマホを頬に押し付けた。
「ガサガサいって聞きづらいですよぉ」
まるで、昨日まで一緒にいたような感覚。
「あのね。会社でさ……」
俺は査問会のことを話した。
桜藍にはイヤな内容もあったと思う。
でも、ちゃんと聞いてくれた。
「なんかさ。色々あり過ぎて、俺、どうしていいか分からなくなっちゃって」
ベッドに座って、両肘を抱き寄せた。
「春馬さん。一緒にいられなくてごめんね」
「俺こそ」
「春馬さん。ほんとはね。わたし、春馬さんに初めて会った時、パパとママが死んじゃって、1人になって。昔のことも覚えてないし、親戚とかもいないし……」
「うん」
「消えてなくなりたいって思ってたんだ」
「そうなんだ」
「そうだよ?」
「辛いだろうなとは思ったけど」
「うん。バレないように必死だったもん。でも、頑張れた。どうして乗り越えられたと思う?」
「分かんないや。どうして?」
「……あなたが居てくれたからだよ」
「でも、俺さ……」
俺は桜藍を支配したいって思ってた。
桜藍と暮らし始めたのだって、自分のためだ。
「うん、口では『支配する』とか言ってたけれど。すごく優しくて、すごく頑張ってくれて。いつもわたしを笑わせてくれる。一緒に暮らしてるうちに、春馬さんは、わたしの居場所になった」
「桜藍こそ、頑張り屋さんじゃん」
ガサガサと動くような音。
「違うよ。わたしはあなたの頑張りを追いかけてるだけ。イギリスに来れたのだって、春馬さんが背中を押してくれたからだもん」
「でも、今の俺は」
もう苦しくて、頑張れないよ。
「春馬さん。窓を開けて」
「うん。でもなんで?」
「南の空に青くて明るい星が見える?」
「ああ。シリウスだろ? 見えるよ」
「シリウスはイギリスからも見えるの。こっちではまだ空が明るくて見えないけど、あと数時間したら見える」
「時差があるもんな」
「シリウスは真っ暗な空でも明るく光ってて。航海の道標なんだって。遠く離れてても同じ星が見えるのは、ちょっとだけ不思議だね」
「一緒に見れたら良かったのに」
「わたしは春馬さんを追いかけてるから。今はまだ……それでいいの」
ああ、そうか。
桜藍は俺に、立ち止まってほしくないのか。
「……わかった」
「うん。これだけで伝わっちゃうのかぁ。ふふっ。春馬さん、わたしのこと好きすぎだよ?」
まだ告白してもいないのに、先回りされた。
「ネタバレ禁止だから。桜藍だって、俺のことを、好きすぎだよ?」
「わたしは、いいの。普段から素直に……ジェスチャーで表現してたから」
「それ、素直って言わなくない?」
「わたしの中では、素直なんです。あっ、わたし、春馬さんに不満があります」
「なに?」
「わたし、春馬さんのお部屋に行った時、パジャマの下、裸だったんだよ? それなのに何もしてくれなかった。いじわるだから嫌いです!」
「だって、桜藍。未成年じゃん」
「ほんと、それだけの理由?」
「それだけだよ」
「わたしは、春馬さんのそういうところも大好きだけど。あっ……」
桜藍は言葉に詰まった。
「それって」
「今の忘れてください」
「忘れるわけないじゃん」
「やっぱ、春馬さんはイジワルです。そろそろ切るね。これ以上、お話してると、今すぐに帰りたくなっちゃうから」
「電話、ありがとう」
「ごめんね、わたし本当は、決心が揺らぎそうで。日本に帰るまで連絡するつもりなかったんだ」
「こっちこそ、ごめん」
「ううん。いいの。おやすみなさい。春馬さん。またね」
「ああ、またな」
「ブツッ」
電話が切れた。
(あっけなく切られたよ)
電話口の静けさは寂しかったけれど。
俺は窓を開けてシリウスを見上げた。
『またね』……か。
良い言葉だ。
俺は睦月にメッセージを送った。
「夜中にごめん。俺、やっぱりこのまま終わりたくない。力を貸してくれないか?」




