第121話 途方
なんだか、全部が嫌になってしまった。
もともと、桜藍と生活するために飛び込んだ業界だ。桜藍がいないのに無理に続ける必要はない。
会社のエントランスから出ると、三条君に声をかけられた。
「山路さん、何してるっすか?」
「いや、色々あってさ」
「あっ、あの部下のカワイ子ちゃんの悩み事っすね。もう付き合ったらいいんじゃないですか?」
「お前なぁ」
「まあ、いいっす。山路さん、どうせ暇っすよね? 2〜3時間、そのへんでブラブラしててくれっす。帰りに飲みましょ」
「分かった。適当に時間を潰してるよ」
普段ならきっと面倒に感じていた誘い。
でも、今日は有り難かった。
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「かんぱーい」
何もおめでたくないのに、取り敢えず乾杯をした。来たのはタッチパネル注文のチェーン居酒屋だ。
テーブル同士が近くて騒がしい。
俺は、三条君にヒアリングでの経緯を説明した。でも、注文に夢中で、三条君はあまり聞いてくれない。
酒が美味くなる話じゃないしな。
「俺のこともだけど、三条君の方はどうなのよ?」
「いま、師匠のとこで修行中です。今度、アマ竜王戦の地方大会に出るつもりっす」
「まじで? すごいじゃん」
「あと、亜梨沙に子供ができたっすよ。ますます頑張らないとなーって」
「おおっ。おめでとう」
もちろんおめでたい。
でも、自分の中の何かが奪われた気がして。気づけば俺は膝を摩っていた。
「俺のこともですけど、問題は山路さんっすよ。桜藍ちゃんいないんだし。律儀に待ってても、帰ってこないかも知れないじゃないっすか」
「三条君、えぐってくるね」
「いや、イギリスのセレブなんでしょ。ぶっちゃけ、俺だったら戻らないっす。まあ、桜藍ちゃん、山路さんにゾッコンだったっすから。どうか分かりませんけど」
「なんだよ?」
「俺が言いたいのは、山路さん、本当は『このはちゃん』のこと好きなんでしょ?」
「なんでそう思うの?」
「だってこの前、ホワイトボードのこと頼まれた時、山路さん、葛城がヤバいって必死だったじゃないっすか」
三条君は、来たばかりのたこ焼きを口に放り込んだ。
「それがどう関係してるんだよ」
「頭が固いっね。『嫉妬して殴った』それで結構じゃないですか。山路さんは『好きな子が内海部長に乱暴されそうになったから、ムカついて殴った』。これってすごく自然なことじゃないっすか」
「だから、何が言いたいんだよ」
「『好きでもない子が襲われたから激昂した』、『好きな子が男といただけで激昂した』どちらも事実じゃないから不自然なんですよ」
「そんなものかね」
俺もたこ焼きを食べた。
「あ、そういえば、内海部長と陣野人事部長って、同じハウスメーカー出身なんですよ。知ってました?」
三条君はビールを飲み干した。
「いや、初耳なんだけど」
「確か内海部長が陣野人事部長を、ウチの会社に誘ったんじゃなかったかな」
「それ、本当?」
「本当っす。前に陣野人事部長と飲んだ時に、『内海部長に恩義がある』って言ってましたから」
「三条君は本当に顔が広いね」
ゴクッ。
ビールを飲み干した。
ぬるくて、すごく不味い。
なるほどね。
それなら、あの不自然な態度に合点がいく。
それからは、三条君にノロケ話を散々聞かされて解散になった。
帰り道、電車に乗りながら人事部長の話を思い出した。すると、何度考えても同じ結論に至った。
——あの査問委員会は、とんだ茶番だ。
もう、どうでもいい。
考えるのも面倒だ。
……俺がやめたら、葛城は悲しむかな。
つい飲みすぎてしまった。
視界がぼやけて、歩くとフラフラする。
なんとなく、コンビニで時間を潰してから家に帰った。
「明日は二日酔いだろうな。ま、謹慎中だし関係ないか」
ぼやきながら、最後の十字路を曲がった。
玄関先で人影が動いた。
俺は目を凝らす。
植栽越しの街灯に照らされる艶々の髪。
華奢だけど女性らしい体つき。
『桜藍だ』
そう思った。
俺は抱きついた。
柔らかくて温かくて、甘いフルーツのような良い匂い。
「桜藍。いつ戻ってきたんだ?」
すると、背中を優しく叩かれた。
「桜藍ちゃんじゃなくて、ごめんね。春馬先輩」
身体を離すと、睦月だった。
「どうして?」
「心配だからだよ。この前、相談してくれたじゃないですか。 社内で査問会に呼ばれたなんて言ってたのに、音信不通だし」
「あぁ、ごめん。色々あってさ。……ちょっと寄っていく?」
俺は睦月に触れようとして、手を引っ込めた。
睦月の視線が俺の指先を追う。
「うーん。本当は隙があればつけ入りたいですけど。うんっ、今だけは違うかな」
睦月は俺に紙袋を渡してくれた。
「これ、お弁当。明日の朝にでも食べてください。こんなに痩せちゃって。ちゃんとご飯食べてるの?」
「ああ、なんとか。心配してくれてありがとう。睦月って、実は良い女なんだな」
「気づくのが遅い! 初ハグが他の女と人違いなんて。春馬先輩は最低だよ」
睦月は笑った。
「ごめん」
「ほんとだよ。あっ、言ったことはやってくれました?」
「ああ。でも、もう俺は、あの会社に戻りたくない」
「ふーん。ま、やってくれたならいいよ。んじゃあ、わたしはそろそろ帰ります。ちゃんとお風呂に入ってテレビでも見て、心を落ち着かせてください。あとね」
「あとなに?」
「1人で無理しないでください。頼ってもらえれば、力になりますから」
「……うん。ありがとう」
睦月は帰って行った。
ピンクの軽自動車が見えなくなるまで見送ってから、家に入った。
紙袋を覗くと、緑とピンクのお弁当箱が見えて、唐揚げみたいな匂いがした。
手作りだ。
もしかして、群馬から持ってきたのかな?
往復で何時間かかるんだよ。
嬉しいけど、少しだけ怖い。
相変わらず、家の中は暗い。
けれど、弁当の良い匂いで寒くなかった。
言われた通りに、風呂に入って。
すぐに寝ようと思ったけど、寝れなくて、ソファーでテレビを見ていた。
すると、スマホに着信。
「ったく、睦月か?」
画面を見ると『山路桜藍』の名前。
指先が震える。
俺は、ゆっくりとスマホを耳に近づけた。
「……春馬さん?」
聞こえたのは、桜藍の声だった。




