第12話 夕食
「何を食べに行こうか」
「わたし、お寿司食べたいかも」
「寿司が好きなの?」
「うんっ」
桜藍は笑顔になった。
「どこの店にしようか」
「くるくるするの」
桜藍は人差し指をクルクルと回す。
回転寿司のことかな。
いや、さすがにそれは……。
少しくらいは見栄を張りたい。
あぁ、たしか。
前に柚子と行った店がこの近くだった。
あそこなら本物の寿司を出してくれるし、価格も程々だ。
俺は桜藍の方を見た。
柚子と行った店に連れて行くのは、少し気が引けるけれど。仕方ない。
「このあたりに知ってる店があるんだ。そこにしよう」
「知ってる店って、なんか大人みたいでカッコいいです」
「大人を通り越して、オッサンですので」
そう言いつつも、俺は少し気分が良かった。
♦︎
ガラッ。
「いらっしゃい」
引き戸を開けると、懐かしい出汁の香り。
威勢の良い板さんが出迎えてくれた。
案内されたカウンター席に、桜藍と並んで座る。
「ふぅ」
ため息がもれた。
(よかった、あの子はいなそうだ)
柚子と来ていた時に、よく接客してくれた女の子。柚子によく懐いていた。たしか、高校生って言ってたし、もう辞めたのかも知れない。
「春馬さん?」
桜藍が心配そうな顔をしている。
ここは板さんが2人だけの小さな店だ。席数もそんなにない。そして桜藍の向こう側には知らない男性客。
桜藍は俺寄りに座り直した。
膝と膝が当たる。
「こほん……。こんなに近くに座るの初めてだね」
「そう……ですね」
桜藍は俯いた。
あれ、もしかして俺、臭い?
自分のジャケットを匂ってみたけれど、大丈夫そうだ。
「お客さん、何を握りますか? 良いマグロが入ってますよ」
大将が声をかけてくれた。
「ええと、じゃあマグロ。桜藍はどうする?」
「えっと、何があるのかな」
頼み方が分からないのかな。
「大将、メニューはある?」
大将はパンと手を叩くと、メニューを出してくれた。写真が出ている分かりやすいメニューで、英語で説明が書いてある。
んっ。英語?
ってこれ、英語メニューじゃないか!
この子、英語4点なのよ?
ダメでしょ。
「あっ、じゃあ、わたしは納豆巻き」
桜藍はメニューの写真を指差した。
「はいよ!」
大将は海苔とシャリを手際よく巻き簀に乗せて、納豆を叩く。
タタタンという包丁の小気味いい音。
甘くて酸っぱいお酢の香り。
こういう空気感、久しぶりだ。
桜藍は珍しいらしく、ずっと大将の手元を見ている。
「ねっ、あの手につけてるの何ですか?」
「あぁ、あれは手酢っていって、手にご飯粒がつかないようにするんだよ」
『へぇ。そうなんだぁ。すごい』
桜藍のその言葉に、俺は既視感をおぼえた。
この席に座って、同じように大将を見て。
目をキラキラさせて。
かつて、柚子も同じことを言ったのだ。
一言一句違わず、同じことを。
たしか、就職して初めての給料で来たんだっけ。大将がサービスで豪華なサラダを出してくれて、柚子も喜んでくれて。
でも、その時の柚子は、もういない。
メリッ。
手に持っていた割り箸が軋む。
「春馬っち? 新しい箸をもらう?」
桜藍がちょいちょいと俺の袖を引っ張った。
「春馬っちってなんだよ」
「なんか可愛いかなぁって。そう呼んでもいいですか?」
「イヤです。アラサーが女子高生に『春馬っち』って呼ばれるとか。なんだかすごい絶望感」
「女子高生?」
大将がギロリと俺の方をみた。
ヤベッ。
援交と勘違いされたかも。
すると、桜藍が言った。
「大将さん。わたし。英語が分からなくてメニュー読めなくて。あの、せっかく出してくれたのにごめんなさい。日本語のメニュー欲しいです」
大将が桜藍の方を見た。
さっきとは違う、優しい眼差し。
「すいません。違うメニューもって来させますんで」
「わぁ。このマグロ、三陸産なんだって。すごーい」
受け取った日本語のメニューを、桜藍は嬉しそうに眺めている。
「納豆巻き、美味しいです!」
桜藍は海苔巻きを頬張りならそう言った。
納豆に違いとかあるのか?
そう思ったが、言わなかった。
「よかった。次は何を食べる?」
すると、桜藍が首を傾げた。
「それよりも、春馬さん。お酒は飲まないんですか?」
「えっ、どうして?」
「だって、前にパパが言ってました。春馬さん、日本酒が好きだって。でも、家ではあまり飲まないじゃないですか」
「あぁ、まぁそうだけど。桜藍といる時は飲まなくてもいいなって」
桜藍は泣きそうな顔になった。
「それって、わたしのご飯が美味しくないからお酒を飲みたくないのかなって」
そんなことを考えていたのか。
「いや、桜藍のご飯はふつーにうまいよ。むしろ最高。酒は違くて」
「どう違うんですか?」
深酒して桜藍が女の子に見えたら困るからだ、なんて言えない。
「やっぱ、日本酒もらおうかな。大将、熱燗ひとつ」
海苔巻きを食べる桜藍を眺めながら、たまに刺身をつまんで、お猪口の酒を啜る。
なかなか心地がいい。
ふと俺は気づいた。
桜藍のやつ、納豆、カンピョウ、玉子とか。そんなのしか食べていない。
会計を気にしているのか?
それとも。
「桜藍。もしかして、生魚が苦手とか?」
桜藍は頷いた。
「実は、そうなんです。焼いたお魚は好きなんですけれど。生だとなんか……いえ、いいんです」
「じゃあ、焼肉とかの方が良かったんじゃない? ごめんな」
「ううん。わたし、春馬さんがお酒飲めるお店が良くて」
桜藍はお茶を一口飲んで、言葉を続けた。
「お酒は一緒に飲めないけれど、こうして話し相手をするくらいならって。わたしは子供だから……」
桜藍の頭を撫でた。
「楽しいよ。だから桜藍も楽しんで」
「はい。あの……」
桜藍は口を綻ばせかけた。
「どうした?」
桜藍の視線が俺の手元に向いた。
「春馬さんは、何か頼まないの?」
「うーん。俺はいいかな。そんなに腹減ってないし」
桜藍が美味しく食べてくれれば、それでいい。
「あの。いま、おうちお金なくて大変なのに……わたしばっかり食べてごめんなさい」
胸がキュッと締め付けられる。
「やっぱ、俺も食べようかな。大将、マグロちょうだい」
——俺は馬鹿だ。
また桜藍に気を遣わせてる。
すると、誰かに声をかけられた。
「あれっ。お客さん久しぶりじゃん」
この図々しくて気さくな感じ。
聞き覚えがある。
柚子に懐いていた店員さんだ。
「違う人じゃないですか?」
いま、この子に余計なことを言われたくない。
すると、店員さんは俺の顔を覗き込んできた。
「いや、絶対に間違えないって。わたし、人の顔を覚えるのだけは得意なの。お客さん、彼女変わったの?」
まじかよ。
地雷を踏むにも程があるだろう。
「彼女……?」
桜藍が立ち上がった。




