第118話 ゆめ
「春馬さん。わたし頑張ってるよ。春馬さん、大好き。わたしのこと好き?」
——桜藍が抱きついてくる。
急に持ち上げられる感覚がして、目を開けた。
頭がぼーっとする。
目の前にはテーブル。
「あのまま寝ちゃったのか」
昨日、桜藍は電話に出てくれなかった。
だから、今のは夢。
都合の良い夢だ。
時計を見ると、9時過ぎだった。
「はぁー。遅刻確定だ」
頭が痛い。
酒が残っている。
「怠い……。午前休にするか」
電話を手に取ると、着信が入っていた。
桜藍だ。
時計を見た。
9:15。
イギリスは深夜。
「きっと、迷惑だよ」
桜藍の名前から指を離した。
着信履歴をスクロールして、俺は会社に電話をかけた。
久しぶりのズル休みは、思ったよりも退屈だった。
「はぁはぁ」
土手を走ってアルコールを飛ばす。
見上げると、空が青かった。
帰ってシャワーを浴び終えると、スマホに何度も着信が入っていた。
葛城だ。
どうしたんだろう。
メールの通知。
続いてロック画面に件名が表示される。
宛先は人事部と専務、CCで俺と葛城。送り主は部長。
件名は『2/25日に起きた、山路課長の暴力行為について』。
ドクン。
胸の奥で、心臓が脈打った。
本文には、俺に殴られて歯が折れた、蹴飛ばされて腰を打った、との内容がこと細かに書かれている。
動機は『同日の葛城さんに依頼された同行に対して、山路課長の勘違いによる私怨』とのことだ。
「部長がしたことについては全然書かれてないし。ばかげてる」
俺はそう呟いた。
てっきり、部長は葛城へのセクハラと俺の暴行をバーターにしていると思っていた。でも、違ったらしい。
でも、なんで今更?
あの後、むしろいつもより腰が低いくらいで、普通にしていたのに。
——『売れてよかったね』
部長の言葉が脳裏をよぎる。
とにかく、会社に行かないと。
ワイシャツを着てネクタイを巻いたところで、着信があった。
池田次長だ。
「おはようございます」
「おはようじゃねーよ。山路、社内で大変なことになってるぞ」
「やっぱりですか。私の方にもCCでメールが来てました」
「んで、殴ったのか?」
「はい。でも、葛城が部長に襲われそうになって」
「馬鹿野郎。手を出したら負けなんだよ。まぁ、そんなことだとは思ったけれど。内海部長のやつ、自分に都合良く吹聴してるぞ」
俺はジャケットに袖を通した。
「でも、なんで今更なんですかね。その後もあの人、普通にしてましたよ?」
一瞬の沈黙。
「……物件が売れたからだろ?」
声の粒が荒い。
「どういうことですか?」
「山路はしらないか。インセンティブ対象者が辞職した場合、その1番の功労者ってことで利益の半額が上長の売上に加算されるんだよ」
「それって、一件分ですか?」
「いや、半期分だよ。サービス残業ありきの役職者としては有難い制度なんだが。こうなると微妙だよな」
……やられた。
物件が売れるまで泳がされたのだ。
ギッ。
頭蓋に奥歯の軋む音が響く。
「とにかく、これから会社に行きますんで」
俺は電話を切った。
——事情を真摯に説明すれば、なんとかなる。
この時の俺は、どこかで甘く考えていた。




