第111話 指値
「え? うちの部屋で?」
専務の声が震えた。
「はい。実は仲介さんのヒアリングで先日分かったんです」
「ち、ちょっと待て。それ瑕疵物件だろ。たしか、業者からの仕入れだったよな? 差額を補填させるか……」
専務は顎に手を当てた。
「その業者、飛びました。先日行ったら、事務所はもぬけの殻で」
「どうすんだよ」
専務は机に両肘を立てると、髪の毛を鷲掴みにした。指の間から白髪が見える。
「それに現況有姿ですから。仕入れ側はどうにもできないです」
「どうすんだ。山路! 自殺物件じゃまともな値段じゃ売れねーぞ」
「はい……」
「それでそのお客は!? 瑕疵物件って知ってるのか?」
「はい。仲介さんが説明してくれてOKをもらってます。ただ、指値が」
「でも、480万だぞ。未公開なのに480万の値引きとかあり得ないだろ。仕入れは高いのに出口は低い。赤字になるんじゃねーのか。おい、山路。収支の概算は?」
俺は準備していた資料を渡した。
「6,500万円で売った場合の収支です。リフォーム代等諸経費を差し引いて、利益は……」
「650万か。ほとんど儲けがないじゃねーかよ」
ガサッ。
専務が握りしめると、資料が折れ曲がった。
専務の額の汗を拭った。
「先行引渡しがOKなら、満額の6980万で売れますが」
「いや、先行引き渡しだけは、絶対にダメだ」
「ちなみに半年売れ残って経費が増えた場合の試算は……」
「いや、もういい」
専務は腕を組んで目を閉じた。
背もたれにもたれると、その度にキィキィと音がした。
専務の目が開いた。
「お前、狙っただろ? 舐めたことしやがって」
細い目から鈍い眼光。
「……」
「山路。その客、自殺と墓については本当に了解してるんだろうな?」
「その2点については大丈夫です」
キィキィ。
専務の椅子が、規則的に軋む。
「分かった。6,500万でいい。もうこの物件の話は聞きたくない。とっとと売っちまえ。でも、ちゃんと頭金は入れさせろよ」
バタンッ!
専務はそう言い捨てると、会議室から出ていった。部長も追いかける。
専務の姿が見えなくなると、俺は身体の力が一気に抜けた。
「専務、なんか怒ってましたね?」
葛城はそう言いながら、湯呑を片付けた。
「まぁ、実際に薄利だからな。それにしても、セクハラの件で専務があんなに怒るとは。正直、意外だった」
すると、葛城は首を傾げた。
「そうですか? 専務は可愛い娘さんもいて、愛妻家なんですよ。女子社員の間では有名な話です」
「あの風貌で?」
「愛妻家に見た目は関係ありません」
葛城は腕を組んだ。
「葛城が入って来てくれて助かったよ。ありがとう。あっ、山田さんに報告しないと」
葛城は不思議そうな顔をした。
「先輩。飛び降りたの5階のどこかの部屋でしたよね? さっきはなんでウチの部屋から落ちたなんて言ったんですか?」
「だって、その方がショッキングだろ?」
「……それだけ?」
「それだけだよ」
「先輩はやっぱり、タチの悪い守銭奴なんですね」
そう言って葛城は口を押さえた。
「悪かったな」
「でも、守銭奴さんがいなくなったら、わたし……」
何かを言いかけて、ほんの少し首を振って。
葛城は、みぞおちのあたりに手を当てた。




