第110話 かけひき
「でも、葛城君を山路君のチームから外したとして、どこに入れるんだね。ええと、社長の肝煎りのAIの部署。なんだっけ?」
専務は細い目を開いた。
「AI査定部です。私もそこに連れて行こうかと」
「それは名案だね、そこなら部長の指導も受けられるし。確か葛城君の専攻は都市分析だったかな。AIとの相性も良さそうだ」
まずい。
葛城と引き離されたら、守れない。
しかも、部長と葛城が同じ部署?
胃の底がムカムカする。
俺はみぞおちのあたりを押さえた。
「それで、指値はどうするの?」
専務は腕を組み直した。
「それは……」
部長が指を立てて、得意そうな顔をした。
その時。
ガチャ。
ドアが開いた。
「あのぉ。お茶を持って来たんですけど」
葛城だ。
「は? お茶? 頼んでないぞ。あ、丁度、君の話をしてたんだよ。ちょっと座って」
専務の声。
葛城は俺の横にチョコンと座った。
「え、えっと。葛城君は何か他に仕事があるんじゃないかな?」
部長の声は震えている。
「いいえ。わたし暇なので。会議の勉強させてください」
葛城は笑った。
でも、テーブルの下の指は震えていた。
「んで、指値はどうするの?」
専務が部長を流し見る。
「え、それはもちろんあり得ないですよ」
葛城の指が俺の手に触れた。
指先は流水にさらしたみたいに、冷たい。
「先輩」
葛城が掠れた声で、囁く。
俺は、冷たい指先の上に手を重ねた。
「……部長。わたしのパンプスはどうしました?」
少しだけ粒のある声。
全員の視線が部長に集まる。
「パンプス? 何、訳のわかんないこと言ってるの」
部長が葛城を睨む。
葛城が立ち上がった。
「専務。あの、セクハラとかで悩みがある場合は、どこに相談したらいいんですか?」
ガタッ。
専務が立ち上がった。
「葛城君。セクハラ受けてるの? 僕ね、寛容だけど、そういうのだけは許せないんだよ」
専務の顔が険しい。
今までに見たことない顔だ。
「あっ、でもいいんです。本当に困ったら専務にご相談しますので」
専務はドサッと腰を下ろすと、また腕を組んで目を閉じた。
「で、部長。この前は物件の同行、ありがとうございました。部長の『墓場のある物件なんて、叩き売りするしかない』ってアドバイス。すごく勉強になりました。——それで、さっきは何のお話をしてたんですか?」
葛城は笑顔になった。
「いや、それはその……特に私から言うことは何もないです」
部長は俯いた。
額が汗で光っている。
「はぁー。君も頼りにならないね」
専務が目を開けた。
テーブルに両肘をついて、俺の方を見る。
細い目の奥で、瞳が光る。
目を逸らしたくなる。
背筋に冷たい感覚。
「葛城君が、君の物件に入れ込んでるのは知ってるけどね。それはそれ。山路君、悪いけど指値は受けられない。君ならその理由は分かるよね?」
その声は、諭すようだった。
薄利なこと。
解除になった場合のリスク。
他の客に言い値で売れる可能性。
全部正論だ。
でも、俺は。
あの人に、宮園さんに住んでほしい。
もしかするとクビになるかも知れない。
それでも、俺は——。
ゆっくりと息を吐く。
「専務。実はあの物件、あの部屋で飛び降り自殺があったんです」




