第108話 秒針
シャーッ。
キッチンまでシャワーの音が聞こえてくる。
俺は膝を揺すっている。
テーブルにのせたマグカップから、カタカタと音がした。
「あのーっ」
葛城がドアの隙間からぴょこっと頭を出した。
バスタオルを巻いている。
「あっ、これ着て。これしかなくてごめん」
俺は桜藍の着古しを渡した。
数分すると、葛城が戻ってきた。
渡したシャツを着ている。
なぜか口を尖らせている。
「もしかして、まだ酒が抜けてないのか?」
「抜けてますけど。この上着、胸がブカブカなんですけど。女子高生の服を借りたのにブカブカなんですけど!」
俺は葛城の肩を叩いた。
「ドンマイ」
「このシスコンめ。……先輩もシャワーどうぞ」
「ああ」
シャーッ。
冷たいシャワーを頭からかけた。
まだ右手が痛い。
手の甲に触れると、少し皮が剥けていた。
人を殴ったのなんて、きっと保育園以来だ。
「あぁ……。俺、クビかも」
顔を上に向けた。
シャワーヘッドから、水飛沫が降ってくる。
クビになるとしても。
部長には、報いを受けさせないと。
キュッ。
シャワーをとめた。
「ふぅ」
気分を落ち着けてから、リビングに戻った。
葛城と目が合う。
気まずそうに目を逸らされた。
「腹減ってないか?」
「減りましたぁ」
お湯を入れて。
3分待って。
ずずーっ。
2人でカップラーメンをすする。
「こんなのしかなくて悪いな」
「ほんとですよぉ。傷心な女の子にカップ麺食べさせるなんて、男として0点です!」
葛城は笑った。
「さっきのこと、教えてくれないか? よかったらでいいんだけど」
葛城は一瞬だけ表情を曇らせたが、話し始めた。
「部長が先輩のところに行くって言うから、『もう帰りせんか?』って言ったら飲みに誘われて」
「それで?」
「時間稼がないとって思って飲んでたら、記憶がなくなっちゃって、気づいたらあの状態でした」
全部、俺のためじゃん。
「そっか。悪かったな。それと、ありがとう」
すると、葛城はピースサインをした。
「先輩、部長を殴っちゃって、大丈夫ですか?」
「まぁ、大丈夫。でも、あの時は葛城を守らないとっていうので頭がいっぱいでさ」
「先輩。カッコよかったです」
葛城はそう言いながらラーメンをすすった。
「はは。無職になりそうだけどな」
「先輩、お願いがあるんですけど」
「なに? あまり無理なのは聞かないからな」
葛城は舌を出した。
「分かってますよーだ。先輩、シスコンですもん。えっと、お願いは今日だけで良いので、『このは』って呼んでくれませんか? わたし自分の名前がすごく好きなんです」
「別にそれくらいならいいけど」
「じゃあ、さっそくどうぞ」
「この……」
気恥ずかしくて、その後の音が続かない。
葛城は目をキラキラさせている。
「早くお願いします」
俺は鼻先をかいた。
「なんだか照れくさいから『このはちゃん』でもいい?」
「部長を思い出すからイヤです」
「じゃあ、名前を呼ぶ必要がある時になったら、呼ぶから」
葛城はむくれた。
それからしばらくテレビを観た。
葛城は、ソファーの上で体育座りで笑っている。
少しは落ち着いたかな?
時計を見ると1:30だった。
「んじゃあ、そろそろ寝ようか」
そう言うと、葛城は少しだけ遅れて、頷いた。
♦︎
葛城はベッドで、俺は床に布団を敷いた。
カチカチ。
秒針の音が、やたら大きく聞こえる。
すごく疲れているのに、何故か眠れない。
部屋は真っ暗で。
ここからはベッドの上にいる葛城は見えない。
「先輩」
「早く寝ろよ」
「わたし、ホテルにパンプス置いて来ちゃったじゃないですか?」
「あの状態じゃ履き替えてる余裕なかったしな」
「あのパンプスって、部長に変な使われ方とかしてないですよね?」
「……」
再び、秒針の音が聞こえだす。
「なんか言ってくださいよ。やっぱ、そうですよね。わたし、男の人が怖くなりそう」
『元夫の一件から男性が怖くなってしまって』
俺は宮園さんの言葉を思い出した。
「なぁ、葛城。会社にいる間は俺が守るから。あのさ。かつ……このはがされたこと、警察にいけば、普通に捕まるやつだけど。被害届とか出すか?」
すると、葛城の頭が話し動いて、ベッドが軋んだ。
「出さないです。警察で色々聞かれたりもイヤですし」
「そっか」
「あの。先輩。わたし、なんか怖くて。先輩の布団に行っても良いですか?」
「お前な。布団は狭いから無理だよ」
「そう……ですよね」
葛城の声が掠れた。
消えてなくなってしまいそうな声。
「別にいいよ。俺は反対向くから、好きにして」
俺が背中を向けると、ベッドが軋んで、掛け布団がもぞもぞと動いた。
背中に人肌と息遣い。
葛城は、ただ俺の背中にくっついて。
それ以上は求めなかった。
「先輩」
「どうした?」
「わたし、下着つけてないですから」
「おまえな。布団から追い出すぞ?」
「冗談ですって。……あのね、わたし、この布団にいる間は大嘘つきになりますので」
「どういうこと?」
「先輩。助けにきてくれて、全然、嬉しくなかったです」
「なるほど。そういうやつね」
「先輩。あのですね」
「なに?」
「わたし、先輩のこと、……大嫌いです」
俺が振り返ろうとすると、葛城に押し戻された。
「何も答えなくていいですから」
それきり、葛城は何も話さなかった。
♦︎
次の日の朝。
目覚めると、目の前に葛城の顔があった。
俺と目が合うと、葛城は口を綻ばせて、幸せそうな顔になった。
「先輩、おはようございます」
「葛城。おはよう」
すると、葛城は一瞬、目を逸らした。
少しだけ寂しそうな顔をして。
でも、笑って。
頬にえくぼを作った。




